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新城川その後

2017-05-07 22:58:39 | 秋田の地理
飯島~下新城笠岡の続き。
7日付秋田魁新報社会面では、4月中旬の強風で稲の育苗用ハウスが被害を受けて生育が遅れ、田植えが遅れる可能性があるとして、下新城笠岡地区の農家が取材されていた。5月中旬が例年の田植え時期とのこと。


秋田市北部を流れる新城川(一級河川で、国から委任されて秋田県が管理)は、洪水が頻発するため、川幅を広げたり新しい流路に付け替えたりする工事が進められており、2015年春に下新城笠岡から飯島の国道7号線付近まで2.35キロが通水し、現地の模様を紹介(この記事が最初)していた。

その時の現地の雰囲気では、付け替えられた区間の古いほうの川は埋められそうな気配だった。
その後、県から公式な情報も、マスコミの報道(地域の人たちが川沿いに桜を植えて咲いたというのはあったけど)も、ツイッターなど個人の発信も、いずれもなく2年経ってどうなっているか、よそ者ながら気になっていた。そこで現地へ行った次第。

前回の記事の写真でも分かるかと思うが、新しくできたまたは広げられた新城川は、だいぶなじんで“こなれて”きて、いくぶん“川らしく”なった印象。
一部まだ工事途中ではあるものの、予備知識がなければ2年前にできたばかりの川だとは思えないだろう。
現段階では堤防の通路や川沿いの道路が全区間にわたってつながっているわけではないが、将来的にどうなるかは不明。


下流側からさかのぼる。
国道・奥羽本線付近から、横山金足線(ここでは市道)の下流寄りにかけての飯島字天ノ袋付近では、狭く遠回りしてた川が、北側をショートカットする広い川に付け替えられた。
この区間は、2年前とほぼ変わっていなかった。
付け替え区間に新設された上飯島橋から。左が拡幅された上流方向、正面奥が旧流路への分岐
旧流路にも、以前と違わない程度の水が流れており、水路として機能しているようだった。
国道や線路付近の合流点は未確認だけど、これだけ水が流れているのなら、埋められていはいないだろう。

天ノ袋といえば、秋田市で“いちばん危ない橋”「天ノ袋橋」。それも、
以前と変わらない
路面には農作業用の車両が通ったと思われる跡が幾重にも。ちゃんと利用されているようだ。
天ノ袋橋から上流・新流路との分岐点方向


既存の川が拡幅された区間を挟んで、(飯島とは別に)付け替えが行われた下新城笠岡。増水時には危険な箇所の1つ。こちらは2年前の時点で旧流路を埋める工事が進んでいた。
(再掲・地理院地図に加筆)※地理院地図は現在も新流路は未掲載
旧流路は集落を南北に貫く県道112号線より西側の集落内をカーブを繰り返して流れ、集落北端で県道をくぐって東へ方向を変えている。(下流からさかのぼった表記)
新流路は、集落西側の田んぼの中を貫き、旧流路と十字に交わって、旧流路よりやや手前(南)で県道をくぐる。

県道と並んで流れていた、集落南側「下笠岡橋」のところ。
北・上流方向
下笠岡橋はなくなっており、上流側・県道から離れて集落内の「笠岡橋(市道)」も、
下流方向、奥左右が橋だった
笠岡橋もなくなっていた。
(再掲)まだ橋があった頃
川は埋められ、中央部に幅数十センチの水路が通っていた。
全部、岸(道路)の高さまで埋め戻すわけではなく、橋があった部分だけ、盛土して築堤にして高さを確保して、橋を廃止していた。水路は築堤の中をくぐっている。
笠岡橋上流方向
埋められた部分は、どういう位置づけの土地なのか知らないけれど、通行人が気軽に降りられる構造ではないが、面したお宅の土地からは降りられそうで、降りた形跡がある箇所も。

以上のように、新流路とぶつかるまでの集落内は、旧流路を最低限埋めて、橋を廃止した状態。橋自体は欄干類はすべてガードレールに代えられて跡形もないが、道路の線形や下笠岡橋のたもとの枝垂れ桜はそのままであるなど、川だった面影が比較的残っていた。

新流路といったんぶつかって、再び新旧分かれて県道の下へ。
新流路から上流方向。左が新旧合流点跡、橋は県道

(再掲)以前の同じ場所。左の細いのが旧流路
上流の県道寄りの区間では、かつて比較的高い護岸があったせいか、下流側集落内よりも丁寧に埋め立てが行われていた印象。
旧流路と合流していた地点は、護岸で固められて、そこが合流点だったとは分からない。

県道の笠岡橋(?)は、
(再掲)埋め立て途中の頃

ほぼ道路の高さまで埋められた
こちらも細い水路が作られ、橋は跡形もない。埋めた部分にも草が生えていて、川の面影は薄い。こちら側も気軽に立ち入れそうな雰囲気ではない。

工事看板によれば「旧河川の環境整備」が7月いっぱい行われている。
川跡は上流方向・県道は飯島方向。看板に隠れているが中央奥が下新城簡易郵便局
ここにあった橋は、歩道用の橋が独立して架けられ、その分車道が狭くなっていたが、埋められて前後の区間と同じ道幅になった。歩道部分は橋時代よりは狭くなったが、それでも充分な広さで問題はないだろう。
(再掲)橋があった当時。上の写真と反対側から

現在は一直線
となると、橋の手前に今も設置されているあるひし形黄色の「幅員減少」の警戒標識。
しかも、上の写真の北行き側では、左右に同じ標識が並んでいるように見えるが、線の形が違う。
特に左側のほうは一瞬「車線数減少」かと思うけれど、点線がないので幅員減少。左側のほうが道路形状に即した形で、右が標準の一般的な形ということになる。
今となっては不要な標識。
ストリートビューによれば、反対側は、少し手前左側に道路形状に即した標識、橋の直前の交差点に一般的な形の標識が設置されていた。
一直線になって車は通りやすくなったが、小学校前の広くはない道だから、スピードを出しすぎる車がいないだろうか。


下新城笠岡地内では、かつての新城川と3つの橋が消えていたことになる。
埋めた川の跡は、どうなるのだろうか。公園とか散策路のようなものにはならないのだろうか。
※2年後2019年春の様子

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