広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

天ノ袋橋

2015-06-23 22:51:48 | 
先日の秋田市北部の新城川の流路付け替え工事の現地(飯島字天ノ袋地内)で、旧流路に架かる橋のことをちょっとだけ触れて終わっていた。
今回は久々に「橋」カテゴリーにして、その続き。

天ノ袋集落内の大きな木や家が並ぶ農村の道の1つが、新城川に突き当たると、前回の記事最後のような風景になる。
そこには橋が架かっている。

その先は無舗装の砂利道で建物はまったくない。畑があって、さらに先に田んぼや横山金足線の築堤が横たわる。

この橋こそが、小字名を名乗る「天ノ袋橋」である。
にしては、簡素というか貧相というか何というか…
路面は錆びた鉄板が敷き詰められ、その隙間からは草が生えている。高欄(欄干)は鉄パイプ。

集落側の橋のたもとに「2.0t」の重量制限の道路標識とともに、大きな「通行注意」の看板が設置されていた。
標識・看板とも線状の反射材が使われているから、比較的最近のものだろう。橋本体よりもずーっと立派。

秋田市建設部 道路維持課による看板の文面は衝撃的。

「橋が老朽化しているため大きな地震や台風・大雨などの直後は通行をひかえるようお願いします。」
なんともスリリングな看板。これを読んでしまったら、たいていの人は渡る意欲(?)が失せるだろう。
一休さんは「このはし渡るべからず」とある橋を「はし(端)じゃなく真ん中を渡れば大丈夫」と言って渡ったけれど、これを見せられたら、どうするだろう…
Googleのストリートビューもこの橋のたもとで終わっており、撮影車は引き返したようだ。
「“直後”は通行をひかえるよう」というのは、市が見回りして安全確認を済ませるまではという意味なんでしょう。

こんな橋だし、向こうは砂利道で、私有地かのようだが、看板からすれば市が管理する公道なんだ。
訪問時は「大きな地震や台風・大雨などの直後」ではないし、歩くなら大丈夫だろうと、恐る恐る(極力静かにかつ大股で)渡ってみた。別段グラグラするとか床が抜けそうとか、具体的な危険は感じなかった。
天ノ袋橋から下流側。右岸が集落、見えないが左岸すぐ奥が横金線

川面。この時点では、まだかろうじて川として機能していた

上流側
橋の上流側はすぐカーブしているが、そこは新旧流路の分岐点。新しく架けられた上飯島橋がちょっとだけ見えるが、上飯島橋側から天ノ袋橋は見えないでしょう。簡素すぎて。

左岸側から集落を振り返る
左岸側には標識や看板はない。
道路はこのままあぜ道と一体化してしまうか、横金線もしくは新流路に突き当たって終わるようで、こちら側から新規に渡る人はいないのだろう。(横金線ができる前は、その先の下新城笠岡方向の田んぼへ続いていたはず)

ということで、この橋を利用する人は、集落から田畑へ行き来する人だけだと考えられる。
飯島字天ノ袋は、集落がある旧流路の右岸(河口に向かって右)、川の西側だけ。
川の対岸は、田んぼを中心とした農地が広がり(今は横山金足線が貫く)、はるか先に下新城笠岡の集落があるわけだが、横金線の向こう側も飯島がしばらく続き、「彼岸田(ひがんでん)」という小字。大部分が農地と道路で、住人はゼロのはず。
田んぼの所在地が飯島であるからには、田んぼの所有者も飯島の人たちだろう。
彼岸田の由来は不明だが、おそらく、天ノ袋集落から見て「川の対岸にある田んぼ」→「彼の岸の田」→彼岸田となったのかもしれない(思いつきの推測です)。
天ノ袋集落南側の「蓬田橋」は、駅や学校や飯島地区中心部などの行き来に便利だが田んぼへは遠回り。そのために北側に天ノ袋橋があるのだろう。

横山金足線の道路からも、一瞬だけ天ノ袋橋が見える。
土崎方面から北進してきて、消防飯島出張所を右に見て彼岸田に入ると、横金線と旧流路がちょっとだけ並走する。
左が新城川旧流路(奥が上流)。道路は奥が金足方面
すぐに道路と川が離れた所で、
この通り


ところで、天ノ袋橋には、竣工年はおろかその名前を記した銘板すらない。
参考になった資料が、秋田市の2010年度の包括外部監査。その中で、橋の維持管理が取り上げられており、判明した。
※話がそれるけれど2010年7月10日の豪雨で、新城川の「中二号橋(1968年竣工。17メートル)」が崩落したという。知らなかった。(2008年の秋田市南部の本田橋の腐食による通行止めもあったな。現在は架け替え済み)

秋田市では、2009年度に「橋りょう点検」を行い、1970年以前にできた35の橋の所見をまとめていた。(秋田市管理の橋は730橋。うち180橋が長さ15メートル以上)
その中で、ダントツに古いのが太平八田にある「八田三号橋」で、なんと昭和10年の架橋。ただし、これは今は川でなくなった陸地に架かっている(川の跡は埋められており、道路の一部と化している)らしく、定期的な点検と補修で対応できるとしている。

その次に古いのが、この天ノ袋橋。
昭和30(1955)年にできたそうで、今年で還暦。1955年は南秋田郡飯島村が秋田市に編入された翌年に当たる。
「主桁にH型鋼、床版に覆工板が使用された仮橋である。下部工(橋脚)もH型鋼を組み合わせたラーメン構造体である。」
えっ? 「仮橋」!! たしかに見た目は仮橋同然。
「全体的に腐食の状態が著しく(略)腐食の進行状態によっては落橋する恐れもあり」

点検結果では8つの橋が「緊急対策が必要」と指摘されている。柵の取り換えとか部分的補修も含まれているが、天ノ袋橋ともう1つの橋で必要とされる対策は「橋りょう架け替え」。
天ノ袋橋はそんなに危険な橋なのか。


もう1つの架け替えが必要と指摘されている橋は、以前紹介した「下面影橋」。外部監査の資料では「しもおもかげ橋」とひらがな表記の箇所も混在している。(現地は漢字表記だったよ)
下面影橋には竣工年の銘板はなかったが、1970(昭和45)年の木橋であることが分かった。ちなみに重量制限は4.0トン。【2020年3月31日追記・台帳上はひらがな名になっているのだそう。その他詳細は、以前の記事の追記参照】

外部監査では「対策が必要なことが分かっているのに何もされていない。特に下面影橋は緊急な対策が求められる」といった意見が述べられているが、同じように緊急に対策が必要と思われる天ノ袋橋のことは、あんまり触れていない。それだけ利用者が限定されているということか。

ちなみに、下面影橋は架け替えではないものの、補修工事が今年度行われるそうだ。
事実上、「秋田市でいちばん古く、いちばん危険な橋」である天ノ袋橋。下の旧流路が埋められるのだとすれば、架け替えても無駄になる。このまままだ使うつもりなんだろうか。
冬に大雪が積もっても除雪はしないだろうし、雪の重さで崩落なんてことにならないといいけど。
国土地理院「地理院地図」に加筆。地図上では天ノ袋橋も立派な橋
【27日追記】天ノ袋橋周辺を含む旧流路の岸には「土がけ」を示す地図記号が引かれている。太平川の桜並木のところも同じ記号だが、旭川(川反~太平川合流点)では見られず、「擁壁」の記号。雄物川では堤防の通路に土がけと似た「土堤」の記号。

【24日追記】以前記事にした尾張大橋伊勢大橋のように、昭和1ケタに架橋した幹線道路の長大な橋が、今なお現役のケースもある。土地の気候(雪がない)と適切な管理の結果であろう。
秋田市でも、日頃の管理体制を改善して長持ちさせる方針に変わりつつあるようだが、このように既にボロくなってしまった橋が多数存在するのが事情である。

新城川付け替え工事の続き(下新城笠岡側)はこちら。【24日訂正・本記事中、「下新城笠岡」を「“上”新城笠岡」としていた箇所が複数あったので訂正しました】
※2017年5月時点で、天ノ袋橋には特に変化なし2019年春でも変わらず
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする