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赤いバス

2011-02-16 23:26:02 | 秋田市営バス
秋田市営バスのお話。今回は、市営バスの車両の色について。※前回はこちら
5年前の今頃、「さようなら赤バス」などという言い回しが一部マスコミなどで使われた。
その記事中では、「市民や利用者から“赤バス”の名で親しまれた秋田市営バスが間もなく、3月末を持って65年の歴史に幕を閉じる…」といったような表現もあったと記憶している。

秋田市営バスは赤系統の色合いの車体の塗装だったから、「赤いバス」→「赤バス」となったのは察しが付く。
でも、その「赤バス」の呼び名が市民に親しまれたというのは事実だろうか?

少なくとも僕の周りでは、秋田市営バスを指して「赤バス」と呼んだのは、それより前には1度しか聞いたことがなかった。
それは僕が高校生の時(1990年代前半)。
高校のそばのバス停で帰りのバスを待っていると、バスで通勤している同じ学校の先生とご一緒した。おそらく1940年頃のお生まれで現在は65歳過ぎくらいの女性。

そのバス停は、市営バスと民間バスの両方が通っていたのだが、僕は間もなく市営バスが来ることが分かっていて、もちろんそれに乗るつもりだった。
するとそれより先に、緑の民間バスがやって来た。
僕は乗るつもりがなかったので、道路際から下がっていたのだが、それを見た先生は「青バスが来たわよ。あなたは赤バスなのね?」と声を掛け、乗って行かれた。
つまり「民間バスが先に来たけど、あなたは後から来る市営バスに乗るのね」という意味だった。

僕は「赤バス」「青バス」という言葉をその時初めて聞いたので、一瞬戸惑った。
日本では古来から緑色のことを「青」というから緑のバスが「青バス」なのだろうし、「市営バス」「中央交通」というより、「赤バス」「青バス」という方が言いやすい。なるほどと思った。
でも、僕の周りにもその先生と同年代の方々はそれなりにいるが、「赤バス」「青バス」と言うのは聞いたことがない。地域性があるのかもしれない。

僕が生まれ育ったのは、市営バスだけが走っていた地域。
交通局の段階的縮小・民間移管が始まる前は、民間バスに乗る機会がほとんどなく、生まれてから20数年間で10回以下しか利用しなかったと思う。それほど市営バスが身近だった。
だから、赤とか青とか区別する以前に、単に「バス」といえば市営バスを指していたのだろう。区別して呼び分ける必要がなかったのだ。(区別が必要な時は、「市営バス」「中央交通」と呼んでいた。)

僕に言わせれば、「赤バス」は「親しみを込めた呼び方」というより、「競合地域において区別するための呼び名」だと思う。
皆さんや周りの方々は「赤バス」って言っていましたか?


ちなみに、「市バス」という呼び方についても少し。
そもそも秋田では、「市バス」という表現はあまり使わなかったと思う。新聞記事などで略称として使う程度のはず。

一般的に「市バス」といえば「市営バス」の略だと思う。だから、現在の秋田市には「市バス」はない。
しかし、他の方々のブログを拝見していると、たまに「秋田の市バスは…」といった表記を目にする。内容からして昔話でなく現在の話題なので、民間会社のバスのことを指して「市バス」と呼んでいるのだ。
中には「秋田市の市バスを運行しているのは、秋田中央…」などと、民間会社が運行していることを理解した上で、「市バス」という言葉を使う方もいた。

こうした使い方をするのは、若い人やよそから来た人が多い気がするので、世代や地域によっては、「市内を走るバス」の意味で「市バス」を使うのだろうか。
そう言われれば、広島・松山・長崎などの路面電車は民間会社が運行しているが、「市電」で通じるのと同じ理屈だけど…
でも、「都バス」といえば東京都交通局のバスだけを指し、小田急とか東急とか西武とか、都内を走る民間バスのことは「都バス」とは言わないし。




さて、上記の通り、秋田市営バスの車両は赤かったわけだが、具体的にはどんな塗装だったのかまとめてみたい。
多くの方の記憶にあるのは、この記事冒頭の写真のような塗装だと思う。

だけど、これだけが秋田市営バスではない。かつては他にもいくつかの塗装が存在していた。
※同じデザインの塗装の車両でも、窓枠等の車体自体のデザインで受ける印象が異なったり、メーカーや導入時期によって微妙に色合いが異なることもありました。後日、紹介するつもりですが、ここで取り上げる写真は、あくまでも1つの実例とお考えください。

●路線旧塗装 ?年~2001年 (←この見出しは便宜的なもので、正式名称ではありません。年代は新車として導入した期間ではなく、その塗装の車両が存在していた時期です。)
ボンネットバス時代の古い写真を見ると、また別の塗装だったようだが、昭和40年代以降に導入されたバスは、こんな塗装だった。
懐かしく感じる方も多いはず
僕が物心ついた頃は、市営バスといえばこれだった。

おそらく、1985(昭和60)年度に導入された車両までがこの塗装だったはず。
新塗装登場後も、原則として塗り替えられることはなく(一部の小型バスは塗り替えられた)、2000年度(2001年3月)まで見られたと記憶している。
上の写真は、最後の年度に撮影したものだが、僕が撮った旧塗装の写真の中で唯一まともに写っているもの。奇しくも、旧塗装最後の1985年度導入車の中でも、いちばん最後の番号が振られた「198」号車だった。
この記事にも少し画像があります

●路線新塗装 1986年~2006年
そして、たぶん1986(昭和61)年度導入車両からは、おなじみの塗装になった。
ちょっと写りが悪いですが、上と似たアングルで同じ三菱製中型車(モデルチェンジしてるけど)で比較してみると、
1992年導入の「273」号車
新旧を比べてみると、赤い線が太くなり、ラインの数が減ってシンプルになった。
僕のイメージとしては、旧塗装は「肌色っぽい」印象があり、新しい方は「白い部分が多い」感じがしたが、実際には、肌色と白の面積は新旧であまり差がなさそう。目を引く赤色の帯が太くなったせいで、相対的に肌色が減って白が増えたように感じたのかもしれない。
また、正面上部の行き先表示の周囲は、旧塗装では赤く、新塗装では黒い。しかし、一部の旧塗装車両でも、末期には黒く塗り替えられた車両があった。

新塗装導入と同時期に、各メーカーがモデルチェンジを行ったこと、座席の布地が無地から柄入りのものに変更されたことなどもあり、スタイリッシュで新しさを感じたものだった。
新塗装のバスは1996(平成8)年までほぼ毎年導入され、計100台以上(110~120台くらい?)に上った。【2014年2月24日追記】119台(小型車7台を含む)のはず。
しかし、2000年から始まった段階的移管に伴い、おそらく2001年度以降は民間会社へ譲渡されて緑色に塗り替えられたり、それほど古くないのに廃車になったものもあり、年々数を減らしていった。
最後の2005年度に在籍したのは、わずか11台。

●貸切旧塗装 ?年~2001年
観光(貸切)車両は別塗装だったが、やはり「赤バス」であり、かなり古くから赤かったようだ。
1960年9月1日付「広報あきた」151号「のり心地満点! すばらしい赤いバス
赤バスならぬ「赤いバス」だそうです。JR九州みたい。

僕が子どもの頃の貸切車もこの塗装で、遠足などで乗った思い出がある。
実はこの塗装の車両、一部は路線バスでも走っていた。
これ
地色はグレー。赤はエンジ色っぽくて、路線用の赤とは違う。
窓の下の細い線が後部で途切れていたり、車体裾と窓上の赤い部分が斜めの線で後部に行くほど狭くなっていたりするのが、おもしろいデザイン。
正面の市章のところの細い線だけ、地色ではなく白色のようだ。正面はなんとなく歌舞伎役者みたいな印象。
子供の頃は羽後交通のバスに似た塗装だと思っていたが、それよりは赤の面積が少ない。

これは、車体は路線用車種がベースだが、塗装は貸切用と同じという、変わった車両。
内装は路線バス仕様のシートながらも、背もたれが高めで全席が2人掛けで、貸切としての使用も考慮している。もちろん、運賃箱などワンマン路線バス用設備もある。
これは、普段は路線バス(大型車なので路線は限定されていた)として走り、遠足シーズンなど繁忙期には貸切バスとして走る、「路線・貸切兼用車両」。(バス愛好家などには「ワンロマ車」と呼ばれる。僕も遠足で乗った経験があるので、詳細は後日

秋田市交通局では、4世代の兼用車両があったようだが、うち1980年頃導入の2代目(1992年頃廃車)と、上の写真の1985年度導入の3代目が、貸切と同じ塗装だった。(初代は1960年代後半に路線バスと同じ塗装で導入されたらしい、4代目については後述)
時期的には、路線用も旧塗装だった時期だが、行き先表示の脇が黒く、モデルチェンジ直後の「いすゞLVキュービック」(秋田県内初導入だったかも)でもあったので、斬新でかっこよく感じた。


貸切(兼用ではなく専用の)車両についてはよく分からないが、おそらく、1986年度に導入された車両もほぼ同一の旧塗装だったようだ。その車両はおそらく1993年頃までになくなったと思われる。
一方、上の写真の1985年度導入の路線・貸切兼用車両は、旧塗装の路線専用車両と同じく、2000年度末で姿を消したはず。

●貸切新塗装 1985?年~1998年
貸切の新塗装は、1985年度導入の2階建てバス「みはらし号」において、旧塗装をアレンジした塗装が採用されたのが最初のはず。翌年導入の中2階建てバス(スーパーハイデッカー)「わかくさ号」も同じような塗装だった。

上記のとおり、1986年頃までは他の(2階建てでない)貸切車両が旧塗装で導入されている。したがって、貸切車両は何年かにわたり、新旧の塗装を混在して導入していたということのようだ。(というか二階建て車両だけ特別塗装だったということか)

その後、平成に入ってから導入されたと思われる(2階建てでない)貸切バスは、2階建てバスの塗装によく似たものになった。
 (再掲)回数券表紙の広告より
従来のものをベースにしたダイナミックなデザインになった。グレー・赤とも明るい色合いになり、白い部分もある。
分かりにくいが、側面には星のマークや「AKITA CITY」の文字が大きく配置された。
貸切事業は路線より早い1997年度いっぱいで廃止された。この塗装はその時に、旧塗装よりも先に消滅したことになる。

【2019年10月18日追記】ネットで「秋田市交通局 二階建バス乗車記念」という絵はがきらしきものの画像を見つけた。
内容からして、みはらし号導入間もない頃に、乗車記念に配ったものだと思われるが、平成初期頃に交通局庁舎(営業所?)でもらったような話も。
みはらし号の写真とともに、「昭和60年秋田県で最初に導入」「車体のデザインは秋田市立美術工芸専門学校によるもので、「みはらし号」の愛称は一般公募204点の中から選定されたものです。」「高さ3m77cm 長さ11m99cm 巾2m49cm」と説明。
これにより、このデザインの作者がある程度判明した。
秋田市立美術工芸専門学校とは通称「美工専」。後に秋田公立美術工芸短大、さらに秋田公立美術大学となった。専門学校部分も、短大附属高等学院→大学附属高等学院として存続(高校ではなく専門学校)。
「~学校によるもの」とあるので、生徒学生ではなく、教員に依頼したのかもしれない。そういうのができる先生がいたはず。
その数年後の一般路線バスの新デザインは、誰がデザインしたのか、気になるところだ。


赤くない市営バスもいくつかあった。
●秋田八丈 1992年~2002年
白い!
これも路線・貸切兼用車両(4代目)で、1992年度に日野製の大型車5台4台だけが導入された。【2012年1月11日訂正】導入台数は5台ではなく4台でした。
正面に秋田市章はあるものの、それ以外は市営バスらしさを感じさせない外観。白地に斜めの色違いのラインが3本引かれた、シンプルなデザイン。

これは、秋田市の伝統工芸の織物「秋田八丈(秋田黄八丈)」をモチーフにデザインしたもの。

なお、Wikipediaや一部サイトなどにおいて、この塗装を「2代目の貸切路線兼用車」で塗装を「秋田八景」と称しているが、それは誤り。兼用車の4代目であることは上記の通りだが、「秋田八景」が誤りといえるのは以下のような理由から。
・具体的な日付は示せないのだが、導入当初、テレビのニュース(たしかABS)や魁新報で、「秋田八丈をデザインしたバス」として報道された記憶がある。【2024年6月23日補足・コメント欄も参照】
・1992年に秋田県が「新・秋田八景」というのを定めており、それ以前にも「秋田八景」というのがあったらしい(江戸時代の紀行家・菅江真澄が関係している?)が、いずれにしても秋田「県」エリアのものであり、秋田「市」のバスが取り立ててデザインにする必要性がない。また、この3色ラインのデザインで、「八景」を表現しているとするのは、無理がある。

側面から続いて天井にも色が付いている
2001年度末までこの塗装が見られたが、2002年春の新屋方面の路線移管に伴い、譲渡(この時に、交通局に残っていた大型車がすべて廃車または譲渡された)され、緑色に塗り替えられてしまった。現在も活躍中だが、もう20年も経つのか。

以下は、自分で撮影した写真はないので、秋田市サイト内の「秋田市写真館」の写真をお借りして紹介します。トリミング、トーンカーブの補正を行っています。
●初代ミニバス 1975年~?年
道が狭い新興住宅地に路線バスを運行するため、1975年に小型バスが導入され、他の路線バスとは異なる塗装だった。
水色とオレンジ
僕は1度だけ乗った記憶があるが、塗装までは印象に残っていない。
活躍はあまり長くなかったようで、10年くらいで2代目が導入され、さらに1993~1996年度には3代目が導入されたが、いずれも他の路線バスと同じ塗装だった。

●初代空港リムジンバス 1981年~1993年頃
1981年に秋田空港が雄和町(現・秋田市雄和)に移転したのに伴い、市営バスと民間会社の共同運行で、貸切車両をベースにした専用車両による空港リムジンバスの運行が始まった。
車両はそれぞれの運行事業者が保有したが、塗装は2社共通だった。
秋田市章が側面に付いている(後期の貸切車両も同じ位置)

●2代目空港リムジンバス 1993年~?
上記の車両の老朽代替として、1993年度に2台が導入され更新された。初代リムジンは3台以上在籍したはずだが、2代目は2台だけだったはず。
写真はないのだが、真っ白なボディに赤と青で「~」みたいなデザインが入ったシンプルな車両だった。メーカーのカタログに載っている標準塗装で注文したのかもしれない。
【3月8日追記】だけど改めて前項の旧塗装リムジンバスを見ると、使われている色は白・赤・濃い青(紺)で新塗装と同じだ。旧塗装を意識していたのかもしれないい。

導入後少しして、市営バスがリムジンから撤退したので、この2台は貸切に転用、さらに貸切も廃止されたが、うち1台は「秋田市太平山自然学習センター」の送迎バス「まんたらめ号」として活躍しているようだ(塗装・ナンバーは変更)。
【2014年4月6日追記】「貸切」としての用途は、老人クラブが活動する際に利用できる「いきいきふれあいバス」に限定されていたようだ。
【2016年7月25日追記】空港リムジンから交通局が撤退したのは1995年春らしい。いきいきふれあいバスは1998年開始。1995~1997年は、一般貸切だったのか?


以上が、僕が知る限りの秋田市営バスの車体塗装バリエーションのすべて。
市営バスを民間移管する際の条件の1つとして、「市営バス時代の塗装はすべて変更する」というのがあったそうだ。移管途中の段階における誤乗を防止するために必要だったのだろう。
でも、今は完全民間移管したのだし、いつか“復活”したら楽しそうだと、勝手に妄想してしまう。モデルチェンジした21世紀のバスにも、赤い塗装は似合いそう。
チョロQにするのもいいかも。

それにしても、特に旧塗装のバスの写真を、もっとたくさん撮っておけばよかったと悔やんでいる。
(今後の記事でも市営バスの写真をアップしますが、ほとんどが最後の数年間に撮影した新塗装のものです)
※次の記事はこちら

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12 コメント

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市営バス (あんなか)
2011-02-17 11:09:19
新屋地区では競合するバスがなかったせいか普通に「バス」と呼んでいたと思います。
「路線・貸切兼用車両」こと「ワンロマ車」は懐かしいです。
シートが若干柔らかく乗り心地が良いのか福祉団地線や商業高校経由に多く配置されていたと思います。
少なくとも新屋西線や新屋線にはあまり走っていなくて乗れたときは当たりなんて言ったものです。
当時は週刊アキタ紙で緑のバスを「空気を運ぶバス」なんて皮肉られて書かれました。
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赤バス (もんも)
2011-02-17 20:20:50
将軍野市民生協の撮影場所は通町橋のはくとの前ですか?電気音響が映っていますね
日本生命ビルはついになくなってしまいさびしいですね
笹岡天徳寺は中央警察署前かな?

北大路欣也氏が警察署長で出演したドラマのロケ地も立て直す寸前の中央警察署で、やはり通町橋(金物山下のあたり)のシーンで赤バス神田線が走っていて興奮しました

ADの前の橋で一瞬だけロケを見て感動しました
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「赤バス」なんて (taic02)
2011-02-17 20:28:15
やはり市営バスだけの地域では「赤バス」なんて言いませんでしたよね。

後でまた取り上げるつもりですが、交通局の路線バスは、営業所ごとに車両のメーカーを揃える傾向がありました。新屋線や西線は南営業所の車両中心で、かつては三菱の車両が多かったはずです。(南営業所廃止までは)
でも、当たるかどうか、運もありますからね。
それに兼用車両は座席が多いため、通路が狭くてつり革がなく、混雑時に来られて迷惑に感じたこともありました。
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もんもさん (taic02)
2011-02-17 20:36:02
鋭いですね! その通りです。
ちなみに秋田八丈塗装のバスの2つの写真も、どちらもその近くでの撮影です。

バスも懐かしいですが、その周囲・背景の建物も時代を感じますよね。まだ10年前後しか経っていないのに。

実際はまだ「秋田警察署」だったけど、ドラマ上で一足早く「秋田中央警察署」になったというヤツでしょうか。
見てないですが、通町周辺のシーンもあったんですね。見てみたかった!
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バスと言ってましたね。赤バスではなく。 (住民)
2011-02-17 22:03:14
新屋・下浜・豊岩・浜田含め、バス、または市営バスと呼んでいました。

その撮影したドラマはテレビ東京系で放送されて、秋田では遅れネットでさえ放送されないと魁で見て、がっかりした記憶があります。

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「赤バス」は限定的? (taic02)
2011-02-17 22:33:45
「赤バス」は赤と緑が競合していた地域だけの呼び方だったかもしれません。
マスコミが取り上げてしまったため、廃止間際になって広まってしまったのかもしれません。
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初めまして。 (マキオ)
2014-04-18 17:43:37
いつも楽しく拝見しております。
秋田ねた、鉄道、バスなど、通ずるものが多く、
最初の記事から順番に読み進めて、ここまでたどり着きました。

わたしが小さいころは、母ちゃんが「青バス」「赤バス」と言ってたので、
みんなそう呼んでると思っていました。
ちなみに、新国道沿線です。

今後とも、よろしくお願いします。
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はじめまして (taic02)
2014-04-19 00:03:40
コメントありがとうございます。
おかげさまで5年もダラダラやっていますので、最初からご覧いただくのはたいへんだったことでしょう。おつかれさまでした。

赤バス青バスは、やはり牛島や新国道のような2事業者の競合エリアにおいて区別するための呼び方だったのではないかと考えます。
新国道方面は、かつては市電・赤バス・青バス(場合によっては国鉄も?)と選択肢が多かったですね。朝などは急行バスも運行されていたとか。

こちらこそ、これからもよろしくどうぞ。
返信する
復刻塗装 今度は (網地 耕部、)
2024-02-10 21:00:02
秋田市交通局が完全消滅で無くなって今年で18年目を迎え、ますます市営バスの塗装すらも忘れてしまいがちです。

そこで、完全移管後から運行している秋田中央交通による100周年記念の復刻塗装バスの第2弾として、秋田市交通局時代の路線塗装の復刻カラーを纏った車両も登場して貰いたいです。
返信する
復刻塗装 (taic02)
2024-02-10 22:14:38
この記事(https://blog.goo.ne.jp/taic02/e/0a13ab6fbb64d6912f4ca7625b6e70ce)のコメント欄でも記しましたが、個人的には中央交通の車が市営バスの塗装をまとうことには、抵抗感というか複雑な心情を抱かざるを得ません。
それよりも、中央交通の貸切の旧塗装を見てみたいです。

あと、2023年の復刻塗装は100周年記念ではありません。この記事(https://blog.goo.ne.jp/taic02/e/ca6d95ac462585733e9d281c326adcca)に追記したように「AkiCa1周年とシニアアキカ完全移行に合わせた企画」とのことです。それに2024年では、設立103周年・開業102周年となってしまいます。
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