田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

白鳳休場!!

2019年01月26日 | 日記
 よもやの三連敗、まさか休場するとは思わなかった。今場所は12勝3敗で優勝が決まると思っていた。11日目の御嶽海戦、まさか途中休場から出てくるとは思わなかった御嶽海。横綱も取りにくかったと思う。そのすきをつくかのような見事な寄り切りだった。優しさからの横綱の油断と思った。
 
 一場所おきに休場、そして優勝する白鳳と、負けても負けても痛々しく出場する稀勢の里が土にまみれて引退したのを、御嶽海は、力士のあるべき姿と横綱の風格と品位を無言で横綱に教えたように見えた。
 
 玉鷲は同じモンゴル出身、貴ノ岩事件で噂を聞かなかった。なぜか同じモンゴル力士と思えない。白鳳の衰えか、疲労の蓄積なのか、それとも玉鷲が強くなったのか分からなかったが、優勝決定戦は玉鷲と白鳳だと思った。
 
 昨日、まさかの戦いだった。貴景勝の突き押しに、為す術無く散った白鳳だった。それでも、12勝3敗で、巴戦に苦しみながら白鳳の優勝を考えたオイラだった。
 
 午前中に聞いた白鳳休場のニュース。昨日の、悔しそうな白鳳の顔を憶えているだけに意外だった。悔しい顔の後の横綱は強い、今までそうだった。来場所の鬼にしてしまったと思った。それだけに、怪我でもなく、戦意喪失でもない横綱白鳳の休場は解せない。
 
 昔々、大横綱千代の富士が、若かった貴乃花に破れ、大観衆を魅了するような、きれいな笑顔がテレビに映し出された。清々しかった。その後すぐに引退した。
 
 土まみれで、転がされ、押し出され、目を閉じた稀勢の里は哀れだったが、同じ清々しさを感じた。弱かった横綱と言われ続けるだろうが、苦しみを知っているだけに、立派な大親方になるような気がする。
 
 横綱白鳳休場、この意味するものは引退しかありえない。来場所を休むようなことはあってはならぬ。今場所、仮に優勝できなくとも、来場所優勝にからむ戦いを続ければ大横綱だったのに、少し残念な思いだ。

買い物同行

2019年01月25日 | 日記
 金曜日、牛乳が安い○○マート。妻と買い物に行った。このスーパーは野菜類が安い小規模のスーパー。特に金曜日は買い求める高齢者が多い。駐車場は特に注意が必要だ。
 
 駐車場は角地、南道路は一方通行だが逆走もしばしばある。駐車しようとしゃにむに入る車が怖い。本日の献立は、ホッケの開き、温野菜、具沢山味噌汁だそうだ。お腹が空いてきた。
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皇室の婚約

2019年01月24日 | 日記
 有名人と言っては失礼、引退できない人達だからそっとしておいて欲しい人なのだけど、結婚となると将来に渡る。慎重にならざるを得ない。
 
 昔々、恋愛結婚であっても、互いの両親の納得は必要だった。あくまで自分たちの意思を通そうとすれば、二人で4人の親を納得させねば。それで駄目なら『駆け落ち』。互いの両親は「駆け落ちされては困るから、話だけは聞こう」と慎重だった。
 
 今は使わない言葉の結婚適齢期だが、高校へ行かず、立派に働く子は、十代であっても適齢期だった。結婚を自分の問題として真剣に考えていたと思う。
 
 昔は交際が始まれば、結婚の文字がちらつき、男にその意志がなければ、交際に発展する前に遠慮するのが男のルールだった。それもなるべく目立たぬ方法を考え、後々の女性が不利にならぬように配慮するのが粋な男だった。
 
 互いの親に認められない理由『遊び人』『男女関係が複雑』『無職』『職を転々』等など、今は許容範囲なこともアウトだった。
 
 心配な両親は探偵社を使って調べることもあっただろうが、多くは、費用をかけず、親戚や知人を頼って相手の人柄や家柄を調べた。これを「聞き合わせ」と言った。
 
ネットでは
聞き合わせとは、日本に昔からある風習で、今でも地方によっては残っているところがあるようです。 結婚する男女の両親や親戚が、おもに相手の実家近辺で、どのような家庭環境で育ったか、どんな人物かを評判を聞いて回ります。

 「聞き合わせ」があったことは噂になる。噂になれば「もうそんなお歳の娘さん、息子さん。そろそろかな?」と、大抵はお目出度い噂になる。現に私も二度ほど「聞き合わせ」で聞かれたことがある。聞き合わせであることは直感で分かる。けっして悪くは言わない。伝えなければならぬことは言葉を選んで答えた。嘘は禁物だった。
 
 さて本題だが、慎重に行動しなければならない人が、なぜにこのような軽率な行動をしてしまったのだろう。私自身、避けて通れない父親の女性関係が悩みだった。妻になる彼女の理解は得られても、聞き合わせでご両親の耳に入ることもある。ご両親の理解は欲しいし、過ちを犯した家族の名誉も守りたかった。
 
 正直に、事前にご両親にお話した。父と仲が良くない人は、決して良くは言わないだろう。「この家とは仲が悪い」と地図を書いて伝えた。あえてそこで聞いてもらっても良い覚悟だった。
 
 妻のご両親は遠足気分で私の故郷へ行ったそうだ。ご両親が当てずっぽうで訪れた家のお婆さん「田神さんの家、結婚なさるような男の子?・・・いたかしら??」お母さんは目の前が真っ暗だったそうです。私は小学校卒業、故郷を早々に離れたものだから、故郷の人達の記憶になかった。後々の笑い話。

昔、中国製品が溢れる前

2019年01月23日 | 日記
 1980年頃、今でいう中華製品全盛以前、東南アジア製品が驚くほど安い価格で日本を席巻した。それを『ニックス』?『NICS』?とか言われていたのを記憶している。
 
 『NICS』をネットで探したら、1970年代の石油危機後の世界的な経済の低成長の中にあって、急速な経済成長を続ける発展途上国をいう、とあった。中国も含んでいたのかもしれないが、フィリピン、マレーシアと思っていた。
 
 私が住む近くに、NICS商品だけを扱うスーパーができた。安かったのは単純な電化製品だったが、一度だけしか行けなかったほど、店じまいが早かった。
 
 その後、同様な商品を扱う中華製品が洪水のように押し寄せた。当時さかんに言われた『デフレ・スパイラル』の意味も分からず、大安売りに大いに喜んだものだった。
 
 その頃の日本は環境に重点が置かれはじめ、今まで当然のように使われた、多くの農薬や薬品が禁止された。使えなくなりそうな薬品が輸出されていたと知ったのはずいぶん後だった。それまでは殺虫剤に使われたクロルデンがアッという間に危険薬品、いまなら大騒ぎ間違いなし。
 
 禁止された農薬をたっぷり浴びた食品に危うさを感じ始めたのはその頃だった。私達安物買いは、すでに口にした後だから、長生きはできないと思った。
 
 それからのスーパーでは、産地を確かめるようになったが、完全には信じられなく「騙されても良いや」と投げやりになった。だが、防御策として、決して安すぎる食品は買わなくなった。また外食は極力しなくなった。利益を求め、産地偽装をすれば、大きな痛手を被る大手スーパーを利用するようになったのもその頃である。買い物で得た知識と読んだ記事が妙に合致した。
◆ピーナッツ(大粒落花生) ◆枝豆 ◆しいたけ ◆えび(冷凍)
は、好きだったが怖くて食べなくなった食品でもある。

 肌にも触れない冬物のライトダウンだが、タグにMADE IN VIETNAMとあり、変な安心感がある。変だがそう思ってしまう。

CDを買い 踏み割る

2019年01月22日 | 日記
 男が路上ライブの女性のCDを買い、その場で壊して「許可なしライブに抗議した」とか、気になる記事を読んだ。
 
 男はテレビ取材に対して「僕の中に正義感がある。必要悪というか」と語り、罪悪感はまるっきりないそうだ。買った物は俺のもの、壊そうが何をしようが俺の勝手と言いたいのだろう。
 
 私の市でも、たまに路上ライブに出くわす。人だかりもそれほど邪魔じゃない。親しめないメロディーや歌い方も、耳を塞ぐほどではない。その場を通り過ぎれば済むことだ。それよりも、そんな若者に批判めいた目をした人を見かけると、つい好きでもない若者の音楽を応援したくなる。判官びいきだけだろうか?。
 
 こんな出来事、テレビを通さなければニュースにもならない。ニュースになればテレビで取り上げられ、コメンテーターが意見を言う。それらの意見の多くは正しく、間違っていないが、ただ言っただけで終わってしまう。褒められるほどのことでは無いが、誰も罰せられず、だれにも益はなく時間が終わる。世のテレビ、ネット、いったい何のためにあるのかなぁ?。そんなに正義、不正義の境界線を目立たせたいのかな。