田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

二回だけの同窓会

2019年01月27日 | 日記
 虐められていたのではないし、昔を思い出したくないのでもない。昔は懐かしいが、青春は青春のまま封印しておきたい私なのだ。
 
 小学校は24人極小のクラス。故郷は小さな山村、個人の結束が強く、少人数ゆえのまとまりから、転校した私は忘れられた。転校した中学はあまりに大きく、ベルトコンベアのような進学のステップに過ぎなかった。
 
 高校の同窓会は活発。同窓会に来ないのが不思議とばかりに誘われる。高校三年の担任が校長に昇進したお祝い同窓会が一回目、まだあの頃は若く、何をするにもハツラツとしていた。
 
 加山雄三の歌を歌おうが心底騒げない私だった。先生は私の名を覚えていてくれた。嬉しかった。その後しばらく、先生はガンを発病お亡くなりなった。一年を経過していなかった。悲しかった。
 
 高校時代の出席番号が近くのT君、一時店を持っていた。彼の売上協力になればと、仕事の付き合いは彼の店を使った。彼は同窓会の幹事をしていた。しばしば同窓会に誘われた。「元気でやってる」とだけ伝えてもらったが「総会だけは出てくれ」と懇願された。
 
 総会は卒業生全部が集まる大人数、卒業年度のプラカードのある席に近づくと「来た来た。初めてか?」と歓迎された。さっそくの名刺交換、歳が歳だけに商売、商売なのだ。こっそり私に名刺を出した子、クラスでは目立たないおとなしい子だった。
 
 「田神 金に困ったらいつでも融資するゼ」と勇ましい。彼は銀行員になっていた。世の中そんなに甘くないと思いながら『オイラなどに貸し付けたら焦げ付くぞ』と名刺を出した。その後「口座だけ開いてくれ」と泣きつかれ、一金1,000円の口座を開いた。昔はいくつ口座を持っても良かったものだから、こんな口座がいっぱいあった。
 
 私達の同窓会にカーストはないが、商売に利用するのが普通になっている。これが疎遠になった原因かもしれない。