田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

本音で語る

2017年11月02日 | 日記
 ブログの友が宗教上の問答で本音を言えず、今更ながら悔しい思いをしていると書いていた。本音を言えば角が立ち、建前で茶を濁すことが多い世の中である。
 
 本音を言わねば真意が伝わらぬと思うが、伝える相手が怒り心頭では、言葉も聞こえぬだろう。と、分かっているものの、私は本音を言い過ぎてきたたように思う。それが原因で友人が少ないかもしれない。

 特に勤め人の頃の本音は、経営者をたびたび困らせたと思う。指導的な立場になっても、決して社員を扇動することはなく、仲間にどう思われようとも、ひとたびサラリーマンとして勤める者の使命は、会社に利益をもたらせることを第一とした。その代償として賃金を得るのである。賃金を他と比べたり、世の平均と比較する不平不満は見苦しいと考えていた。
 
 経営者は労働に見合った賃金を支払うのが責任であり、利益を上げられる環境を作るのが義務であるなどと主張し、利益を度外視する経営者にとっては煙たいヤツだったと思う。

 そんな私だったが、酒が飲めないのにもかかわらず、多くの酒席に同行する機会が得られたのは、青臭い私に世間の波風を見聞きさせてくれた師匠の親心と思っている。
 
 トラブルの多い顧客の不満を聞こうと、酒席を設けて話を聞こうにも、つい私は説教口調で顧客の機嫌をそこねてしまう。師匠は、相づちの間に、二度三度言葉を挟むだけであった。翌日顧客から「昨晩はご馳走になりました。お返しにS先生ともう一度お会いしたのですが、それと、帰宅してS先生に言われたことを考えたのですが、素人が口を挟むよりあなた方に全部お任せします。申し訳ありませんでした。」と問題解決。
 
 さてさて、中学高校では校則に苦労しました。かくいう私の学生時代の校則は、今から考えればとても緩かったと思います。しかし世の中には奇妙な規則に縛られている団体もあるそうです。規則を列記しますと、
「ロビーでたわむれること禁止。」
「別室に行く者は許可を取ること。」
「会は3分前までに席に着くこと。」
「2週連続で同じ席に座らない。」
「スカートの長さは地面から○○センチ~○○センチまで。」
「ワイシャツは、柄物、色の濃いもの禁止。」まさに中学の生徒手帳にありました。これを理由に先生に叱られたときは本音で口答えしました。
『たわむれてたのではない、なぜ戯れと思うのですか?』
『考えて行動してます。先生は生徒が信じられないのですか?。』
『3分前を守るなら、なぜチャイムがあるのですか?。』
『落ち着ける場所ってあるのです、先生はないのですか?。』
『ズボンの裾幅とかスカートの丈など些細なことだと思います。』
『学生服の下は何でも良いでしょ?。』

 懐かしい。先生はいつも困ったような顔で「お前らの気持ち解るからこれ以上叱らないけどなぁ・・・・。」私たちは「先生、校長さんが言ってるだけだろ。」なんて本音を言ってました。きっと先生は困ったことでしょう。

 さてS師匠がある日「六兎君、人にもの申すときは、その場で腹を立たせるような言い方は、ケンカを売っていると同じだ。しばらく後で、そうだな家に帰ってから猛烈に腹が立つような言い方をするのだ。人というのは一人になったときに考えるものだ。命令されたり教えられることは考えないものだ。腹が立つことも時が経てば納得できたりするものだ。」と。

 私は師匠に「どうすればそのような物言いができるのですか?。」と問いました。師匠は「人を見る目を養え。人の話を聞け。話す人の目を見ろ、真の言葉で語っているか、言わされているかを知れ」と。

 私は常に本音を語ります。聞く人が私の言う本音が聞ける人か、聴こうとしない人かが解るようになりました。後者の人には、薄っぺらな本音しか語らないようになりました。なぜならそれで良いからです。本音を語るべきか、黙するべきか判断している今日此の頃です。おしまい。