私が青二才の頃の話。賢く見られたいあまり革新的であることを演じたり、死刑廃止を唱えたりした。本屋で買う本も左翼的な出版社の本の背表紙だけで選んだり、死刑廃止論者が書いた本に洗脳されていた。同じように反戦であることの証明に憲法9条を信奉していた。同じような境遇の友人が「革命は銃口の先に生まれる」と叫びながらの過激な行動を見た。私は革命は戦争と同じにしか見えなかった。単に言葉に酔っていただけだ。恥ずかしい時代だ。
汝の敵を愛せよの言葉に酔い、教会に近づいたり、聖書を見たものだ。恥ずかしい時代だった。
死刑廃止論に接して、弁護士が死刑に値する犯罪を犯した容疑者の弁護のために、刑を一等軽くするための弁護活動ならば、それは弁護士の業務であるからして多いに結構だと思う。しかしそうではない他人の人々が軽々に死刑廃止を言うべきでは無いと思うようになった。
私も青二才から少し成長した。人の親になり、いっそう命の重さを感ずるようになった。被害者の親の気持ちになれば、決して犯人を許すことなどできないし、刑が執行されても、許せないと思う。
加害者の親の気持ちになれば、決して許してもらえないと思うだろうし、我が子を刑死から救おうとは考えない。私は無慈悲な鬼親だろうか。死刑制度は被害者と被害者家族の気持ちと、加害者家族の気持ちを汲んでの制度ではなかろうか。だからこそ冤罪はあってはならぬし、疑わしきは被告人の利益であろう。だからして、私は死刑廃止を言うことは出来なくなった。
※今まで死刑執行人の書物は読んだが、刑死家族、死刑囚の
肉親の書物は読んでいない。真剣に探してみようと思う。
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改葬備忘録の整理
以前のブログ『改葬備忘録』の製本化をチマチマ仕上げているのだが一向に進まない。先日「いいね」がスタンプされ驚いた。製本が終えたら順次削除するつもりだ。それまで何日かかるか解らないが、サブタイトルを書き換え、フリースペースに一文追加した。よろしかったら一度見てくださいませ~。
汝の敵を愛せよの言葉に酔い、教会に近づいたり、聖書を見たものだ。恥ずかしい時代だった。
死刑廃止論に接して、弁護士が死刑に値する犯罪を犯した容疑者の弁護のために、刑を一等軽くするための弁護活動ならば、それは弁護士の業務であるからして多いに結構だと思う。しかしそうではない他人の人々が軽々に死刑廃止を言うべきでは無いと思うようになった。
私も青二才から少し成長した。人の親になり、いっそう命の重さを感ずるようになった。被害者の親の気持ちになれば、決して犯人を許すことなどできないし、刑が執行されても、許せないと思う。
加害者の親の気持ちになれば、決して許してもらえないと思うだろうし、我が子を刑死から救おうとは考えない。私は無慈悲な鬼親だろうか。死刑制度は被害者と被害者家族の気持ちと、加害者家族の気持ちを汲んでの制度ではなかろうか。だからこそ冤罪はあってはならぬし、疑わしきは被告人の利益であろう。だからして、私は死刑廃止を言うことは出来なくなった。
※今まで死刑執行人の書物は読んだが、刑死家族、死刑囚の
肉親の書物は読んでいない。真剣に探してみようと思う。
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改葬備忘録の整理
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