田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

今日は生ゴミの日

2014年08月21日 | 日記
 木曜日は週二回の生ゴミの日です。わが市はまだ無料収集です。私の個人的な意見は、有料ゴミ袋を販売し回収するシステムが良いと思います。ただしそれには条件があり、容器を必要とする商品は全てデポジット制にしたほうが良いと思います。これはまた別日に書くとして、今日は団地の困ったお爺さんのことです。

 妻がゴミ出しから帰り「ったく!。あのお爺さんは何をしたいのかしら!」プンプン怒ってました。ゴミ集積場の周りで、まるで監視しているように見ているそうです。団地の人だから苦情を言うこともできず、まして手にほうき等を持っていれば「お疲れ様です」なんてことも言わねばならないそうです。そのお爺さんは、掃除にかこつけて、禁止されているゴミを出す人を監視をしていると言われています。

 今月初めに京都市が『無分別ごみ袋、京都も開けて調査へ』を発表しました。それには「個人情報の取り扱いを慎重にするため、開封作業は守秘義務のある市職員が行うことなどを検討したい」と注記があるのですが、私の団地のお爺さんは違反物件を見つけると、町内会役員に報告なさるそうです。しかし、出した人を確認してからでないと、後始末が面倒になるので、出されたゴミの中身と出した人を監視していると噂されています。ゴミの中身を見られるのが嫌で、深夜や前夜に出し、猫やカラスの被害を増やしています。まったく困ったものです。

 京都のように、ゴミの中まで調べなければならぬほど、私達の道徳心が薄れたのか、あまりに複雑な分別に判断力が追いつかぬのか、それとも日本語を理解できない人が増えたのかが良く分かりません。私はこれらが複合的に絡んでいると思うのです。京都市が中を調べることによって、どこに原因があるかを知る手段ならば大いに賛成しますが、他人のゴミの中を見るのはおぞましいことですね。

 さて、我が団地の困ったお爺さんは、昨年度、輪番制の町内会執行部の役職が当たってしまいました。町内会の一番の目的は町内の親睦ですから、注意やお叱りは最小限にとどめなければなりません。どうしようもない場合は、人目につかぬところで、やんわりと相手を傷つけぬように伝えるのが鉄則です。昔風の、上からのお達しは通用しない時代です。しかし、久しぶりに上に立つ役職に就いたお爺さんは、規則を守ってこそ町内が良くなると考えました。ゴミのルールは市の決まりに、さらに複雑な団地の決まりを絡ませてしまったので、解釈がいろいろできてしまうようになってしまいました。町内会の役職を離れた今年度、熱も冷めるだろうと思っていたのですが、一人で黙々と団地内のゴミチェックをなさっているのです。違反者に自ら注意することは無く、町内会の役員に「違反者を野放しにしても良いのか」と伝えなさるそうです。確かに生ゴミに新聞紙を捨ててはいけないのですが、子供さんの粗相を古新聞で処理することはありますから、一概に違反とは言えません。それと出したごみの中身を見られるのはとても嫌です。

 住民は何も言いません。私も言いません。言ったところで理解されないことは火を見るより明らかです。喧嘩するのはなおさら嫌です。時期が来るまで待たなければなりません。人として何を待つか、人の寿命を待つことに、とても嫌な気分に責め立てられのです。

 長い人生、人の上に立てる人は多くありません。順番であったり、偶然で人の上に立ってしまった人のなかには、指導者になったとか、人に命令することに快感を覚えたり、自分こそが道徳であると錯覚する人が現れてしまい、このような人が困ったチャンになるのですね。