現に在る「自由」とは、支配階級が民衆を「煮て食おうと焼いて食おうと勝手」であるという意味に他ならない。
現に在る「民主主義」とは、暴力的に維持される圧倒的な「後進」国群民衆の「血と涙」の犠牲の上に立って、それらを「見ないことにする」というペテンの下に成立しているに過ぎない。
「日本国」民衆もまたその「罪」から逃れることはできない。
けれども、そういう現実が「未来永劫」続いていくはずもないと蛙は思う。
ハンチントンは「トンチンカン」だと思っていて「文明の衝突」などの彼の著作を読んでいない。読まずに言うのも何だけど、「キリスト教対イスラム」、西洋文明対ムスリム世界という風に「時代」を解き明かそうということなのだろうかと思っている。
それならば「それは違う」と言わなければならない。
世界の「変転」は「支配階級」と「被抑圧民衆」との「階級闘争」がその動因なのだということを覆い隠す主張であるからである。
「イスラム教」については一度しっかり学んでみなければならないと考えているが、だいたいユダヤ教もキリスト教もイスラム教も「元」はといえば「一っところ」から出たもので、「唯一神」は「同じもの」なのだと思っている。
蛙の理解では、ユダヤ教もキリスト教も「商業活動」とは「親和的」であるが、イスラムの場合、「相互贈与」が主たる経済活動の基底におかれていると思う。
マスコミの論調で「イスラム過激派」が「貧しい人々から支持されている」のは「貧民救済のために食糧・生活物資が給付されている」がためだと強調されたりするが、そしてその基調が「過激派」が「支持を取り付けるためにする偽善」であるかのような主張であったりするが、それはいかにも「ブルジョア道徳」に染め抜かれた者の「ためにする」非難というべきであって、そのようなことはムスリムにとってはごく自然な「生活態度」なのだろうと蛙には思われる。
岩井克人の著作は随分読んだように思っていて「なかなか面白い」なんて思っているが、何が書いてあったか、きちんと覚えてはいない。ただ、「資本主義」のエンジンは「差異」みたようなことを言っていたと思う。
「あっち」で安価な「もの」を仕入れてきて「こっち」で「高く」売るって話だ。
紀伊国屋文左衛門だって「それ」で大儲けをしたんだったし、「大航海時代」も「それ」が支えだった。
「今」だと「あっち」の「人件費」は安くて「こっち」の「人件費」は高いということで「工場」がどんどん海外に出て行く。
中国の「人件費」もだんだん高騰してきたから今度はバングラディッシュへ行こうなどという話も出ている。
また、ある企業が優れた技術開発で他社とコスト面で差をつけて大きな利益を生むという話もある。
これは一層の技術開発競争ということになる。
いづれについても「いつかは平準化する」に決まっている話だ。
「石油」について考えてみよう。
現在は「石油化学文明」の時代だ。
ところで「石油」の価格はどのようにして決まっているのだろうか。
俗流「マルクス主義」の立場では、その「商品」の内にどれだけの「抽象的労働力」が投じられているかということになるのだろうか。
「原油」を採集し、それを「製油所」に運び、精製をして「ガソリン」なり何なりの「商品」として消費されていくわけだが、どう高く見積もってみても「10円・20円」の世界だと蛙は思う。
現在リッター当たり130円から140円くらいだろうが、日本の場合「税金」として「持っていかれる」分もあるわけだが、それにしても途方もない「利益」が「産油国支配層」「石油メジャー」にもたらされているはずだ。
今、その「産油国」あたりで「騒動」が起こり始めた。
(次回につづく)
現に在る「民主主義」とは、暴力的に維持される圧倒的な「後進」国群民衆の「血と涙」の犠牲の上に立って、それらを「見ないことにする」というペテンの下に成立しているに過ぎない。
「日本国」民衆もまたその「罪」から逃れることはできない。
けれども、そういう現実が「未来永劫」続いていくはずもないと蛙は思う。
ハンチントンは「トンチンカン」だと思っていて「文明の衝突」などの彼の著作を読んでいない。読まずに言うのも何だけど、「キリスト教対イスラム」、西洋文明対ムスリム世界という風に「時代」を解き明かそうということなのだろうかと思っている。
それならば「それは違う」と言わなければならない。
世界の「変転」は「支配階級」と「被抑圧民衆」との「階級闘争」がその動因なのだということを覆い隠す主張であるからである。
「イスラム教」については一度しっかり学んでみなければならないと考えているが、だいたいユダヤ教もキリスト教もイスラム教も「元」はといえば「一っところ」から出たもので、「唯一神」は「同じもの」なのだと思っている。
蛙の理解では、ユダヤ教もキリスト教も「商業活動」とは「親和的」であるが、イスラムの場合、「相互贈与」が主たる経済活動の基底におかれていると思う。
マスコミの論調で「イスラム過激派」が「貧しい人々から支持されている」のは「貧民救済のために食糧・生活物資が給付されている」がためだと強調されたりするが、そしてその基調が「過激派」が「支持を取り付けるためにする偽善」であるかのような主張であったりするが、それはいかにも「ブルジョア道徳」に染め抜かれた者の「ためにする」非難というべきであって、そのようなことはムスリムにとってはごく自然な「生活態度」なのだろうと蛙には思われる。
岩井克人の著作は随分読んだように思っていて「なかなか面白い」なんて思っているが、何が書いてあったか、きちんと覚えてはいない。ただ、「資本主義」のエンジンは「差異」みたようなことを言っていたと思う。
「あっち」で安価な「もの」を仕入れてきて「こっち」で「高く」売るって話だ。
紀伊国屋文左衛門だって「それ」で大儲けをしたんだったし、「大航海時代」も「それ」が支えだった。
「今」だと「あっち」の「人件費」は安くて「こっち」の「人件費」は高いということで「工場」がどんどん海外に出て行く。
中国の「人件費」もだんだん高騰してきたから今度はバングラディッシュへ行こうなどという話も出ている。
また、ある企業が優れた技術開発で他社とコスト面で差をつけて大きな利益を生むという話もある。
これは一層の技術開発競争ということになる。
いづれについても「いつかは平準化する」に決まっている話だ。
「石油」について考えてみよう。
現在は「石油化学文明」の時代だ。
ところで「石油」の価格はどのようにして決まっているのだろうか。
俗流「マルクス主義」の立場では、その「商品」の内にどれだけの「抽象的労働力」が投じられているかということになるのだろうか。
「原油」を採集し、それを「製油所」に運び、精製をして「ガソリン」なり何なりの「商品」として消費されていくわけだが、どう高く見積もってみても「10円・20円」の世界だと蛙は思う。
現在リッター当たり130円から140円くらいだろうが、日本の場合「税金」として「持っていかれる」分もあるわけだが、それにしても途方もない「利益」が「産油国支配層」「石油メジャー」にもたらされているはずだ。
今、その「産油国」あたりで「騒動」が起こり始めた。
(次回につづく)