世界大でもこの「国」内でも、多分、「腐敗」は「極地」にまで立ち至ったということなのだろうと蛙は思う。
最近、仏教がらみのをよく読んできていて「末法の時代」だなぁなんてこと、つくづく思うけれど、それだからして「個人の救済」などというところに行こうなどというのは「いかがなものか」なんて思うよ。
そこいくと「闘う仏教」の佐々井さんの「非暴力・反差別」なんかはすとんと胸に落ちるわなぁ。
さて、まず「世界」だけれど、「リーマンショック」以来の景気後退について、蛙は「これは恐慌などではない。資本制社会に本来内在する<本質>の展開なのであって、<富>は少数者に更に集中をし<貧困>は更に拡大をする。そのことによって早晩、景気は上昇することになるだろうが、一層の矛盾の集中が<弱者>に襲いかかってくることは間違いない。それはまた支配者層をも震撼せしめる危機を招くことになるだろう。」ということをこれまで言ってきていた。
事態はまさにそのように展開をしている。
エジプトとその周辺国では「民衆の反乱」が激しさを増している。
「世界の盟主」アメリカの都合に合わせて「つくられている世界秩序」がほころびを見せ始めているということに他ならない。
実に残念なことは「ブルジョワ支配体制」に対抗すべき「民衆の側」に「思想」と「方法」が未だ「発見」をされていないことだ。
花崎皋平さんが「ピープルの思想」を提起し、アントニオ・ネグリが<マルチチュード>を提起しているが、今のところそれらは「大衆的に承認をされていない」し、対抗思想が「ムスリム」をおいて外に無いというのが現状だろうか。
翻って、我が国においても、アメリカ追随を更に強めながら、資本の側は一層、その力を、その富を増大させ、民衆は更に追い詰められてきている。
「対抗する力」の弱さが「小泉」や「石原」「橋下」などのポピュリズムをのさばらしてきたわけだが、今のところ「極右」的展開が大きな流れにはなっていない。
一番心配なのは、民衆の怨念が「そのようなもの」にすくい取られることだろう。
果たして「我々の側」が未来を勝ち取れるのかどうかよく分からないが、少なくとも「小さな流れ」に過ぎないとはいえ「反権力・反差別」の闘いは<それぞれのところ>で拡大してきているのだから、それらを集中していくような地道な行動が求められているのだろうと思われる。
希望を失う必要はないッ!
最近、仏教がらみのをよく読んできていて「末法の時代」だなぁなんてこと、つくづく思うけれど、それだからして「個人の救済」などというところに行こうなどというのは「いかがなものか」なんて思うよ。
そこいくと「闘う仏教」の佐々井さんの「非暴力・反差別」なんかはすとんと胸に落ちるわなぁ。
さて、まず「世界」だけれど、「リーマンショック」以来の景気後退について、蛙は「これは恐慌などではない。資本制社会に本来内在する<本質>の展開なのであって、<富>は少数者に更に集中をし<貧困>は更に拡大をする。そのことによって早晩、景気は上昇することになるだろうが、一層の矛盾の集中が<弱者>に襲いかかってくることは間違いない。それはまた支配者層をも震撼せしめる危機を招くことになるだろう。」ということをこれまで言ってきていた。
事態はまさにそのように展開をしている。
エジプトとその周辺国では「民衆の反乱」が激しさを増している。
「世界の盟主」アメリカの都合に合わせて「つくられている世界秩序」がほころびを見せ始めているということに他ならない。
実に残念なことは「ブルジョワ支配体制」に対抗すべき「民衆の側」に「思想」と「方法」が未だ「発見」をされていないことだ。
花崎皋平さんが「ピープルの思想」を提起し、アントニオ・ネグリが<マルチチュード>を提起しているが、今のところそれらは「大衆的に承認をされていない」し、対抗思想が「ムスリム」をおいて外に無いというのが現状だろうか。
翻って、我が国においても、アメリカ追随を更に強めながら、資本の側は一層、その力を、その富を増大させ、民衆は更に追い詰められてきている。
「対抗する力」の弱さが「小泉」や「石原」「橋下」などのポピュリズムをのさばらしてきたわけだが、今のところ「極右」的展開が大きな流れにはなっていない。
一番心配なのは、民衆の怨念が「そのようなもの」にすくい取られることだろう。
果たして「我々の側」が未来を勝ち取れるのかどうかよく分からないが、少なくとも「小さな流れ」に過ぎないとはいえ「反権力・反差別」の闘いは<それぞれのところ>で拡大してきているのだから、それらを集中していくような地道な行動が求められているのだろうと思われる。
希望を失う必要はないッ!