木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

オリンピック

2010年02月13日 | スポーツの周辺
バンクーバーオリンピックが始まった。
心浮き立つものがある。

入場行進を見ていると、名前しか知らない国が多いことに驚いてしまう。
一人参加という国も多い。
メキシコなどは、50歳のアルペンスキーヤーが一人参加であるし、ガーナなども、26歳からスキーを始めた35歳の男性一人の参加である。
映画「クールランニング」で名を馳せたジャマイカも今回は3名の参加でしかない。
こうしてみてくると、オリンピックというのは、一部の強国のものであることに改めて気づく。
その中で、参加すること自体に意義を感じる選手が多いのは救いである。
そういった選手は、勝ち負けを超越したところでメッセージを送っている。
かつてのカタリーナ・ビット選手が反戦のために、勝敗を度外視してリルハンメルオリンピックに出場したように、極端にいえば、生き方自体に感銘を受ける選手もいる。

勝てばそれですべてよし、というのはある意味事実である。
トップ選手は「いい人」だけでは勝てないし、競技以外での生活、性格などはテレビを通じても伝わってこない。
勝ちと負け、何位という冷たい結果だけがすべてではないというのは、きれいごとなのだろう。
それでも、やはり結果だけがすべてではないと思いたい。

何とかという日本のスノーボーダーの選手がだらしない服装で参加し、叱責を買った。
こういった態度は、「勝てばそれでいいんだ」という姿勢である。
かつてのホリエモンのように、「金を持っていればそれで勝ち」と言っているのと同じだ。
スポーツ選手は優等生でなくてもいい。
だが、注目度の高さというのは自覚して欲しい。
だらしない格好がしたいなら、ユニホーム自体拒否すればいい。
筋の通った反逆ならいいが、自覚の低いところでの反抗は勘弁して欲しい。

ともかく、しばらくはテレビから目が離せない毎日が続きそうである。

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