木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

超字幕

2010年01月31日 | 日常雑感
ソースネクストの「超字幕」が売れているらしい。
僕も家電店でこの製品を見たときは、ぜひ欲しいと思った。
だが、価格が4000円弱ということで二の足を踏んでいたが、インターネットのダウンロード販売では、980円で提供されていたので、即購入。
なかなか使い勝手がいい。
「超字幕」というのは、洋画の英語字幕と日本語字幕が対訳して表記されるもので、製品にはもちろん、本編がそっくり含まれている。
昔、「スクリーンプレイ」という、要するに映画シナリオを熟読していた自分にとっては、夢のような製品である。
まだ主流がビデオだったころ、耳が聞こえない人用に英語字幕を表示させる機械(クローズドキャプション・デコーダ)があって、結構なお金を出してその機械を買った自分である。
ただし、どの映画でも良かったわけではなく、特殊な信号が含まれていているものに限られた。
利用できる映画がごく限られていたのである。
DVDになって英語字幕が自由に選択できるようになったときは、ひどく感動した。
だが、結局意味がとれないものは、英語から日本語に直して、もう一回英語で聞くといった作業をしなければならず、面倒だった。
この「超字幕」はそういったわずらわしさがいらず、また、テレビではなくパソコンでの操作というのも使い勝手がいいい。
パソコンならではの、お気に入りにシーンを登録だとか、辞書表示など、なかなか痒いところにも手が届く。

気になったところとしては、英語字幕が完全表示ではない。
たとえば、

Ain't you got nothing better to do?

の日本語訳が「日曜なのに好きだな」とある。
この字幕からでは全然分からない。

映画の中の台詞は、

Ain't you got nothin' better to do with your Sundays?

で、訳としては「日曜だぜ、もっとましなことはないのか?」
がいいと思う。
これらの英語字幕の省略が多々あり、気になる。
完全表記にすると、あまりにごちゃごちゃするので、わざと省略しているのだとは思うが、上記の例のように、少し省略しすぎな部分が多い。

脚注でストップするという機能があって、これは愛用している。
脚注とは「うんちく」のようなものだが、なかなか面白い。

全体にはお勧めできる。

「スクリーンプレイ」はどうなっているか見ると、まだ健在であった。
DVDで英語表示が見れるようになって、かなり旗色が悪くなったと思っていたし、それも事実なのだろうが、「スクリーンプレイ」は「スクリーンプレイ」で利用価値がある。
とくに、「超字幕」との組み合わせはかなり有効だと思う。
「スクリーンプレイ」は英語字幕が完全収録なので、「超字幕」の不完全部分を補って理解できる。
脚注も豊富で、一部構文的な説明も記載されているのは、書物ならではの利点であろう。

「超字幕」と「スクリーンプレイ」でだぶって利用できるのは、「ブラックレイン」「トップガン」「ローマの休日」などである。

超字幕HP

スクリーンプレイHP

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美容院の植木

2010年01月30日 | トマソン的町歩き
少し前になったが、神奈川県の茅ヶ崎駅の近くを歩いていて、実に妙なものを見つけた。
リアルなマネキンの首。
男女の首、合わせていくつか並んでいる。
その頭を見ると、くりぬかれて土が入っており、植物が植えられている。
「なんじゃ、こりゃ」が第一声。
しかも、それらが飾ってあるのが美容院の店先である。
かなり、微妙なディスプレイで、アートに近いのかも知れない。
マネキンがよくできているだけに、不気味度が増している。
夜には見たくないかも。



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首尾の松

2010年01月28日 | 江戸の風俗
先週、両国から吉原まで歩いてみた。
両国から浅草までは川沿いを歩き、浅草寺を通って待乳山聖天宮を経て、山谷堀、日本堤、吉原大門という道程である。

歩いてみて印象的だったのは浅草寺の賑わい。
外国の人を含め、進むのも困難なくらいの混雑振りであった。

隅田川沿いは歩道が整備され、歩きやすい。
ちらほらと観光目的で歩いている人も見かける。
両国から浅草にかけての見所としては、国技館、安田庭園、首尾の松、といったところ。

首尾の松は隅田川沿いに張り出す見事な枝振りで、江戸時代、舟通いの客にとってもっとも目立つ存在であった。吉原の帰りに客が「首尾はどうだった」と確認を行う場所とも言われたのが、首尾の松の語源とされる。
実際に見に行くと、隅田川からは少しだけ離れた場所にある。この位置だと、安藤広重の絵のように隅田川まで張り出すのは難しいと思える。場所が移ったのだろか。
それに、いかにも小振りである。
現地にあった説明文を読むと、この松は昭和37年に植えた7代目だそうだ。
初代は、江戸初期に植えられたが、安永年間に風害で倒れ、代わりに植えられた二代目も安政年間に枯れたとされる。
松が百年の間にどれだけ大きくなるのか知らないが、少なくとも、安政年間には目印になるほど大きな松の木はなかったことになる。
安政以後はたびたび木は枯れ、明治には「湖畔の蒼松」に改名したというが、重厚すぎるネーミングである。
「首尾の松」の由来にも3種類あるらしいが、吉原通いの客が首尾を確認したという案が一番しっくり来る。



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男と女

2010年01月27日 | 日常雑感
「話せば分かる」と言いながら、青年将校に殺害されたのは犬養毅だったが、犬養は、人は死して言葉を残した格好になった。
確かに大概のことは話せば分かるのだろう。
だが頭で納得しても、心が納得するかどうかは別である。
利害関係があれば、更に別物となる。
男と女ともなれば、更に「話しても分からない」。
同じ人間なのだから、話が分からない訳がない、と思う。
これは、男の論理である。
論理、という言葉を使う時点ですでに男性的である。
日常、書き物をしていると、いつとはなしに論理的に考える癖がついている。
男女の間で話をする場合、その論理的な思考は邪魔だ。
男が優れていると言っているのではない。
結論に至るアプローチが男女では決定的に違っていると思う。
たとえば、喧嘩をするとどこに原因があって、どうすればよいのかを男は体系立てて組み立てようとする。
そこで得られた結論を相手に対して使おうとすると、まったく使えないのを痛感する場合が多々ある。
高度成長時代の日本にあっては、夫婦間や恋人間のステレオタイプが幅を利かせていて、女性も不満を声高には唱えなかった。それが世間一般の「常識」だったからだ。
しかし、少し戻って江戸時代などを見るとまったく違う。こと庶民の世界にあっては女性のほうがよほど強かった。
現代は、また時代が戻ってきたのかも知れない。

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スコーピオンズ解散

2010年01月26日 | ロックマニア
昨日、ロックバンド・スコーピオンズが解散を発表した。

驚いたのはグーグルでの検索で一時的ではあったが、検索数急上昇のトップになったこと。
まだ、スコーピオンズの知名度というのはかなりのものがあるのだろう。
日本は、ブリティッシュハードロックやメタルという音楽が割りにまだ高い人気を誇っている国だろうが、先日のMSGも名古屋での集客力は700名程度。来月には「ヨーロッパ」も同じダイヤモンドホールでライブを行うがどれくらい集客できるのだろうか。
メタルも「メタリカ」あたりからスラッシュメタルという速いテンポのバンドが多くなり、ついていけなくなった(ついていく気もないのだが)。
詳しくは知らないのだが、「デトロイト・メタルシティ」などでかかる音も昔の「正式」なメタルではなかった。
そういった意味では、一番メタルメタルしていたのがスコピであったともいえる。
激しいけれどキャッチーな音と、ボーカルのクラウス・マイネの圧倒的な歌唱力にものすごいインパクトを感じた。
ルックス先行のバンドが多い時代にあって、スコピは決してビジュアル的に優れていたわけではなく(むしろ逆)、音で勝負したバンドであった。
後々、ずいぶんPOPSになってしまったり、アコースティックになってしまったりしたが、また原点に戻ったのだろう。

メタルにあって、ボーカルは楽器である、というのが私の持論である。
その意味はというと、メタルやハードロックにおいては歌詞が重視されない。
歌詞よりも歌唱力やシャウトする力が求められる。
お前の裸がみたいよー、とか、悪魔がどうたら、といった歌詞では共感するのが難しい。
ここに歌詞にメッセージ色を持ったパンクと決定的な違いがある。

スコピも60過ぎて「お前がいなけりゃ生きていけねえ」なんて歌っているのがつらくなったという部分もあるのではないだろうか。

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米良美一

2010年01月24日 | ポップマニア
ジブリ映画「もののけ姫」の主題歌を歌ったのは米良美一であった。
中性的なキャラクターで、彼の歌は妙なくらいジブリの世界にマッチしていた。
いろいろスキャンダルもあり、最近名前を聞かなくなったなと思っていたら、「どらく」という朝日新聞のブログのインタビュー記事が掲載されていた。
なにかの病気だと聞いていたが、インタビューを読むと「先天性骨形成不全症」という大変な病気だと分かった。
思春期に寝たきりだった時期もあるらしく、鬱屈した青春時代だったという。
それが「もののけ姫」で大ブレイク。
だが、「売れっ子」という虚像に無理に自分を合わせようとして、心も体もボロボロになってしまう。

「米良さんの問題は自分の人生を受け入れず全部背を向けて、人のせいにしていること。親のせい、神様のせい、世間のせい、その恨みを払拭しない限り、米良さんの人生は始まらない」

東洋医学の先生から言われた言葉。その言葉で、米良は段々変わって行ったそうだ。
彼が女子刑務所で歌う「ヨイトマケの唄」は鬼気迫るものがある。
歌の力、というものを感じさせる歌だ。

米良美一インタビ
ュー



ヨイトマケの唄

(おまけ)もののけ姫

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スティーブ・ウイリアムス ラスト・ファイト

2010年01月21日 | スポーツの周辺
新日本プロレスや全日本プロレスで活躍したプロレスラーにスティーブ・ウイリアムスという選手がいた。
アメリカンフットボール仕込みのごつごつしたパワープレイを得意とするレスラーで、ドクター・デス、殺人医師の異名で知られた。特に全日本プロレスではテリー・ゴディと人間魚雷コンビを作り大活躍をした。
多分、身体の固さからそうなってしまうのであろう急角度のバックドロップや、オクラホマスタンピードなど力技は迫力があった。
しばらく見ないな、と思ったら昨年7月にIWA JAPANが新宿FACEで行った試合に登場していた。
相手はヘルアントマシン2号というレスラーであったが、スティーブにはかつての輝きはない。
最後はオクラホマスタンピードを決めようとするが、かつてのパワーはなく、単に担ぎ上げた相手が崩れ落ちてフォールに持ち込んだに過ぎない。
これでスリーカウントが決まったが、会場で起こった「ええ!」のざわめきがスティーブの全盛期を知る者としては寂しい。わずか2分半の試合であった。かなりしょっぱい試合であったことは否めない。
試合後リング上でマイクをとったスティーブの声は地を這うように低い。もともとしゃがれ声であったが、こんなに低い声だったか?
その低い声で、スティーブは10月に引退試合を行うと表明。
だが、10月の引退試合は行われなかった。スティーブの体調が悪化したためである。
そして、12月29日他界。

スティーブは5年前に喉頭ガンに罹っていたとのことだった。声帯も全摘出。だから、あのような声だったのだ。
そのガンが今年になって再発していた。
そう考えると闘病生活中のスティーブのファイトがしょっぱくなることは当然で、しょっぱいファイトしかできなくなっている自分を一番きつく感じるのもスティーブ自身であったのではないだろうか。
多分、あの体では普通に寝転んだりおき起き上がるのさえしんどかったのではないだろうか。

プロレスではよく、引退→カムバックが繰り返され、引退もただのポーズのように行われることが多いが、スティーブやジャイアント馬場のように生涯現役にこだわるレスラーもいる。
レスラーの懐事情は分からないし、スティーブももしかしたら金のためにリングに上がっていたのかも知れない。
最後のリングからわずか5ヶ月で亡くなってしまったスティーブであるが、最後までリングにこだわる姿は、根っからのプロレス好きだったのだと信じたい。
プロなのだから、スポーツ選手は観客をうならせるような試合をしなくてはならない、という意見もある。
だが、プロレスは、たとえ、仕組まれた筋書きの中があったとしても、観る者に感動を与えられる特殊なスポーツだ。


以前、私が全日の試合を見に行った際、途中の試合を見にスティーブが会場に出てきたことがある。
「Have a nice fight!」と声をかけたのだが、「ふん」という感じで相手にして貰えなかった。
ファンサービスが悪いなあ、と思い、スティーブにはあまりいい感想を持っていなかったのだが、リング後のスティーブの挨拶を聞いていると、ずいぶん「いい人」になったような感想を受ける。
そういえば、スティーブはアメリカで「ドクターデスからドクターリブへ」という本を出し、教会などでもスピーチを行っていたということだ。

武藤敬司が短いながら、追悼のコメントを述べていた。

それにしても、テリー・ゴディ、ジャンボ鶴田、そしてスティーブまで亡くなったのは寂しい限りである。


スティーブ・ウイリアムス ラストファイト

全日本初登場時のスティーブ・ウイリアムス

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男色ディーノ & ヨシヒコ

2010年01月21日 | スポーツの周辺
あまりにもくだらなく、それゆえに、あまりにも面白い動画を発見した。
果たして、これをプロレスと呼んでいいものかどうか・・・。
動画は10分以上ある長いものなのだが、面白さに短く感じた。
アナウンサーと解説者のまじめな実況も面白さに拍車をかける。

プロレスは八百長だとか、インチキだとか論ずる人がいるが、プロレスはスポーツであると同時にショーでもある。
下記の動画を観て、これが真剣勝負などと言う人はいないが、これもこれで、プロレスのひとつの形であろう。
正統派プロレスファンは眉をひそめるかも知れないが、私自身は楽しめた。
時間がある方はぜひ見て、笑って欲しい。

男色ディーノ・ヨシヒコVSPIZAみちのく・アントーニオ本多

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マイケル・シェンカー IN  名古屋 2010

2010年01月20日 | ロックマニア
1月14日、木曜。
名古屋の新栄にあるダイヤモンド・ホールへマイケルを観に行った。
マイケルといっても、ジャクソンではない。
マイケル・シェンカーである。
マイケルは80年代のハードロック界にあって、エドワード・ヴァンヘイレン、ゲーリー・ムーアと並んで新御三家ギタリストと呼ばれた人物である。
白と黒に塗り分けられた独特のフライングVを持って鮮烈な印象を残したロッカーである。
いろいろ伝説も多く、何年か前のダイヤモンド・ホールでのライブでは演奏不可能なほど、べろべろに酔っていて、早々とライブが終了された、などという話もある。
今回も大丈夫かなどと、一抹の不安が頭をよぎる。
メンバーはゲーリー・バーデン(vo)、サイモン・フィリップス(dr)、ニール・マーレイ(b)、ウエイン・フィンドレー(g、kb)にマイケルの5人構成である。

いつも通り、早目に新栄に行き、居酒屋で一杯引っ掛けてから行くことにする。
前回、ハノイ・ロックスのライブの時に知遇を得たナイスガイ大西さんと合流し、タイムサービスで半額の生ビールを4杯か5杯ほど呷る。
「マイケルのフライングVは今はフェンダー製ではない」などの知識を教えて貰いながら、いつも通り開演ぎりぎりになって、会場へ。
入りは700名くらいか。ハノイのときよりは多いが、超満員というほどではない。
客層の年齢を見ると、やはり高目でスーツ姿も多い。
実は、昨夜YOUTUBEでMSGの映像を酔眼で観ていた自分は、スーツでMSGのライブに行こうとしている自分が急に許せなくなって、当日、昼休みに皮ジャンを買いに行ってしまった。
そんな私のへんてこなこだわりをよそ目に、中にはスーツの上にコートを着たまま会場入りしている諸兄もいた。
7時の開演であったが、遅れることもなくスタート。
マイケルの登場に会場が湧く。
見ると、じじむさいとしか思われなかったあごひげはなくなり、皮ジャン姿に、頭にはふさふさとした金髪。相変わらずサングラスはかけていたけれど、ずいぶん若々しくなった感じだ。
ふさふさして見えた金髪は髪型なのか、それとも・・・などという邪推は別として、マイケルのこの変化は歓迎だ。

ゲーリーの声域を考慮して半音下げたチューニングで行われたライブであったが、とにかくゲーリーの声が出ない。
「ロスト・ホライゾン」などスローテンポの曲ではいいものを感じたけれど、「アーム・アンド・レディ」などでは、かなり後退してしまった。
リズム隊は強力で、サイモン、二ールはいい音を出していた。
サイモンはミック・ジャガーのバックバンドやTOTOにも在籍しており、二ールはホワイト・スネイクにいた。
ゴールデンメンバーとはいうものの、80年代のMSGとは音楽性において乖離しているような気がしてならない。
当のマイケルでさえ、昔の曲を楽しんでプレイしているようには見えなかった。

ラス前の曲が「ロック・ボトム」、ラストが「ドクター・ドクター」であったが、個人的には全盛時のMSGの曲で終わって欲しかったなあ、という感想がある。

マイケルもすっかり優等生となって、客に挨拶もするし、彼なりにファンサービスというものを考えていたステージであった。
なんとなく、中学校の同窓会に何十年振りに出て、「そういえば、お前も昔は悪かったなあ」などと言っているような感じであった。

アーム・アンド・レディ

ドクター・ドクター

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阪神・淡路大震災

2010年01月18日 | 日常雑感
17日は、阪神・淡路大震災の15周年にあたる日であった。
私自身は関西に10年住んだが、向こうに移り住んだのが、大地震のあった年の4月からだった。
引っ越したのは、西宮。地震の被害も大きかった土地である。
被災後、3ヶ月しか経っていない西宮は、何箇所にも仮設住宅が建てられ、空き地の目立つ地であった。
道路などインフラの復興は目覚しく、神戸も急速に再開発された。
皮肉なもので、震災後、神戸の街角や伊丹の駅は新築でとても綺麗なものとなった。

まだイチローがオリックスに在籍していた頃で、「がんばろう神戸」の刺繍を腕に縫いつけ戦ったブルーウエーブには感動したし、夏の甲子園で岡本真夜の「tommorow」が入場曲に選ばれたときも歌詞の内容に感動した。
それから、何年も1月17日付近になるとNHKを中心に報道特集が組まれた。
それが、次第に報道されなくなり、人々の記憶から薄れつつある。
その事実が一方的に悪いと言っているわけではない。
だが、この地震からは学ぶところが多く、地震大国日本では、決して「過去のもの」と片付けてはいけないと思っている。

災害など非常時には、各人の人間性がもろに現れる。
どんなに奇麗事を言っていようが倒れた人から物を盗むような人もいるだろうし、普段はおとなしいと思っていた人が中にいる人を助けに燃えている家のなかに飛び込む場合もあるかも知れない。
なるべく、日ごろ言っている事と、非常時の行動に乖離がないような生き方や考え方を持って行きたいと思う次第だ。

初めて住んだ西宮のマンションの歩いて1、2分のところにあった公園に仮設住宅があった。
高齢の人もいたように思う。
新参者である自分も何か手助けをしたいと心の中で思うだけで、実際はなにひとつできなかった。
手助けをしようと申し入れたところで、先方はありがた迷惑だったかも知れないし、こちらの自己満足に過ぎなかったかも知れない。
だが、今考えると声をかけるべきだった思う。
なぜだと言うと、それが自分の考えている正しい道だからだ。
自己満足やありがた迷惑であったら、先方に拒絶してもらえば済む話だった。

自分は被災者ではないし、当時は東京に住んでいたのだが、近い当時を知る者として機会があればこの地震のことを語って行きたい。

阪神電鉄で三宮から一駅目の岩屋から徒歩10分のところにある「人と未来防災センター」は、ビジュアル面でも迫力があり阪神・淡路大震災について色々な情報が得られる。もし、神戸方面へ行くことがあったら、ぜひ寄って頂きたい場所である。

人と防災未来センターHP

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