木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

日本最古の企業・金剛組

2009年11月25日 | 江戸の話
高知の司牡丹酒造㈱が坂本龍馬にちなんだ酒を発売するという。
江戸時代の製法で作られた日本酒と塩辛をぐい飲みとセットにして販売。価格は2万円ということで、随分と高価である。
この司牡丹酒造であるが、創業が1603年(慶長八年)。徳川家康が江戸に入京した年である。
酒造会社は、江戸時代に創業した会社が多いが、考えてみれば競争の激しい現代社会において、江戸期創業の会社が脈々と続いているのはすごいことだ。

そう思って、日本最古の会社を見てみると、大阪で寺社の設計施工を行っている金剛組という会社の創業年が578年
実に飛鳥時代。聖徳太子の時代にまで遡るので、抜群に古い。もとは宮大工の集団だったというが、現代に至るまで会社が存続しているのは、はなはだ凄い。

古くから存続している企業は、酒、味噌、醤油など、古来からあるものを作っている会社が多い。
他には旅館や運送業などといったところもある。
よく耳にするところでは、布団の西川産業(1566年・永禄9年)ヤマサ醤油(1645年・正保2年)、岡崎のまるや八丁味噌(1337年・延元2年)などが上げられる。
旅館では仙台のホテル佐勘が平安時代の創業、運送業では静岡県清水市のアオキトランス㈱が1615年(元和元年)に大坂夏の陣で徳川家康の兵器を運んだのを始まりとするという。

永らく存続している会社を見ると、意外なくらい小規模な会社が多いことに気づく。
中日新聞の調べだと、売上高が5億円未満の会社が全体の三分の二を占める。
資本金でみても、2000万円未満の会社が三分の二である。
先日、穴吹工務店の会社更生法のニュースが伝えられたが、負債額が1509億円。
穴吹工務店の創業は1905年。100年企業ではあるが、企業も巨大になりすぎると、人間のメタボリック症と同じように、動きが鈍くなり、身体のあちらこちらが早く病むようになってしまうのかも知れない。


金剛組HP

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深川八郎右衛門

2009年11月11日 | 江戸の話
今日十一月十一日は第七代深川八郎右衛門の命日である。
深川八郎右衛門と言っても、あまり馴染みがないと思うが、「半面は海水漫々、半面は蘆萩《ろてき》叢生《そうせい》し」と言われたぬかるみの地を江戸時代初期に埋め立て、人間の住めるような地に改良した功労者である。
深川の地名は、この深川八郎右衛門にちなんでいる

江東区出版の「江東辞典」によると、

江東区は、天正年間に摂津の人、深川八郎右衛門が深川町を、万治元年に相模の人、砂村新左衛門が砂村新田をそれぞれ開発したのを初めとする比較的新しい町です(~序文から)

とある。
何となく自分の記憶と違ったので、矢田挿雲の「江戸から東京へ(六)」を引っ張り出してみると、

慶長年間、伊勢の人深川八郎右衛門が落雁のようにこの低地に降りて、開墾事業をこころみた

何だか気になってしまい片っ端から家にある町名辞典を調べてみたが、三省堂の「江戸東京学辞典」の記載が信頼できそうである。

『新編武蔵風土記稿』によると、深川の開発は慶長元年(一五九六年)にはじまる。海辺の萱野であったこの地を、摂津国から東国に来た深川八郎右衛門が開発し、徳川家康の命によりその苗字をもって村名としたとある。

また、深川の地名には、フカ(=鮫)があの川筋にも多く上がって来たからだ、という説もあるが、この説は先の矢田挿雲が「ワニだったら川筋に上がってくるというのも分からなくないが、鮫が川に上がってくるものか」と一蹴している。

何だが、深川八郎右衛門から話が大分ずれてしまった。

この八郎右衛門は、家康公の御墨付きもあり、世襲制で代々、深川家長子が八郎右衛門を名乗り、二十七町ならびに村方の名主役を務めることとなる。
その七世八郎右衛門のとき、清住町に大達孫兵衛なる者がいた。その孫兵衛が土地を退転する際に、組合一同に不行き届きがあったと叱責を受けた。
親譲りの義侠心を持つ八郎右衛門は全ての責任は自分にあるとし、一人獄に下った。
結局、七世八郎右衛門は獄中死してしまい、名門は家名断絶してしまう。
驚いたのは町民である。八郎右衛門の徳を深く感謝した町人たちは、八郎右衛門の遺骸を是非にと請うて深川家菩提寺である猿江泉養寺に厚く葬った。
その後も二十七町で経費を持ち寄り、毎年供養した。
何かにつけ、損か、得か、という打算主義の信者になりがちな現代の我々にとって、何だか気持ちのいい話である。


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アンヴィル

2009年11月03日 | 映画レビュー
アンヴィル~夢を諦めきれない男たち」を観た。日本にいるとなかなか海外アーティストの懐事情までは分からないところがあるが、セレブな生活をしているアーティストもいるし、その逆もいる。アンヴィルは、「逆」のほうのバンドである。
アンヴィルとは80年代に活躍したヘビィメタルバンドである。実は、僕も当時はHMの中にどっぷりと浸かっていたが、今となっては何となくバツが悪いようにも思ってしまうのはなぜだろう。もともとロックとは既成への反抗であるから、段々、自分が既成体制に組みしてきてしまっているからかも知れない(実を言うと、今でもHMが一番心ときめく音楽なのであるが)。
映画はアンヴィルのオリジナルメンバーであるボーカルのリップスとドラムのロブを中心に据えたドキュメンタリー映画である。
お馬鹿な若い頃から、純粋に夢だけを追えなくなった51歳になるまでが映画に登場する。
リップスの夢とは「ロックスターになってやる」である。
西武球場で演奏したアンヴィルは十分に「ロックスター」だったと思うのだが、商業的には全く成功しておらず、リップスは給食のケータリング業、ロブは建設作業員で生計を立てていた。
その一方で定期的なライブ行い、13枚ものアルバムを出している。ヨーロッパツアーまで行っているのだが、バンドからの収入としてはごくごく僅かなものだったらしい。
こうなってくると、成功とは何か、という根本的な問題にぶち当たる。
アマチュアなら十分に成功しているだろうが、プロとしては全く成功していない。それでも別収入があり、暮らしていけたのだから、成功と言えるのだろうか。
アンヴィルは技術的にはもちろん、現在活躍しているプロと比べても遜色がなかったのであるが、技術の巧拙と人気は比例しない。
若くしてポッと出てきてスターになる人種は、無名の新人の中から出てくる。無名の新人はそれこそ無数にいるわけで、無数のスターになれなかった人の上に、ロックスターは成り立っている。
アンヴィルは一回は「無数のスターになれなかった人」たちに伍してしまった。
それがこの映画により再びビッグステージに上がることできた。
それは単に「ラッキー」だったのであろうか。
続ければ必ず夢は叶うと言う発言はあまりにも安易であるが、辞めてしまえば成功できないのは確実である。
運命の神は皮肉であるけど、必ずしも意地悪ではないと信じたい。
ちなみに、今はリップスもロブも音楽に専業している。


アンヴィル~夢を諦めきれない男たち H P

海外版予告編(字幕付・個人的にはこちらの予告編のほうが好き) 

We're gonna do it together! We get there! We'll get the rockstars! It's a dream. But I'll make it dream come true!
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