木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

国産紅茶

2010年08月21日 | B級グルメ
緑茶紅茶は、製法が違うだけなのに、緑茶栽培盛んな日本において、国産紅茶はなぜ少ないのだろう?
ふとした疑問が湧いた。
最近、静岡に行くことが多く、日本茶に興味を持ち始めたところでの疑問だった。

調べてみると、現在、国産紅茶というのは細々とではあるが販売されている。
統計によると、現在の国内生産量は10トン内外らしい。
国産品は、輸入品より価格が高い分、無農薬品を標榜しているものが多く、こだわりの一品となっている。
それでは、国産紅茶は昔から栽培されていたのであろうか。

日本において茶が大々的に栽培されるようになったのは、明治初期になってからであった。
緑茶の栽培については、後日改めて項を起こすが、牧ノ原を中心とした静岡での開拓の影響が大きい。
この頃の茶は、国内需要よりも海外への輸出品としての意味合いが大きかった。
諸外国からの日本への興味の度合いは高く、緑茶も高価で取引されたからである。
当時、世界の紅茶需要に応えていたのは、インドであった。
日本も輸出用紅茶の開発に取り組んだ。

日本の紅茶栽培のもっとも華やかだったのは、1950年代から60年代の前半で、輸出量が5000トンを超えたこともあった。
1965年でも生産量は1500トンあったが、1969年には253トンに減少、さらに、1971年6月、紅茶が輸入自由となると、1975年にはわずか3トンに激減している。
これには、日本の紅茶の品質が「中級品の上」に達しなかったから、という理由も大きい。
皮肉なもので、栽培面積が激減した1969年、「べにひかり」という秀逸な品種が開発された。
「べにひかり」は国際的にも高い評価を受けたが、高茶生産の激減化の波の前にほとんど栽培されなかった。

しばらくは誰にも見向きもされなかった国産品種であるが、その後、かなりの年月が経ってから、再び紅茶を栽培する人も少しづつではあるけれど増えてきた。
1995年には「べにふうき」が登録。
初代の1953年登録の「べにほまれ」、1969年の「べにひかり」、1995年の「べにふうき」。
親・子・孫とでもいえる三代で、日本の紅茶も世界レベルに比肩した。

海外品より高価とはいっても、それほど高くはない国産紅茶。
この週末にでも買って、飲んでみようか。




国立茶試験成果100選 (金谷町お茶の郷博物館)

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池袋大勝軒

2010年08月19日 | B級グルメ
先日、東池袋を自転車でブラブラしていると「大勝軒」の看板を発見。
元祖である大勝軒があった近くである。
開けっぴろげな造りの店で、中を見るともなしに見ると、なかなか繁盛している。
大勝軒の屋号は、オーナーであった山岸氏が店を畳む少し前に、自由に使うことを認めたため、全国至るところに大勝軒の名前の店が現れた。
おりしも、つけ麺ブーム。
多くの店が元祖大勝軒と同じ製麺所の麺を使用しているようで、麺は同じだが、スープが違う。
知らない人もいるかも知れないが、もともと大勝軒は東池袋の交通不便な場所にありながら、常に長蛇の列を成す有名店だった。
地元民であった私も列に恐れをなして二、三回しかいったことのない店。

元祖の地元の東池袋に「大勝軒」とはうまいことを考えたもんだ、と店の脇を見て驚いた。
店外の椅子に座っているのは、紛れもない山岸さんだったからだ。
すると、これは全国にある「なんちゃって大勝軒」ではなく「リアル大勝軒」!?
踊る心、だけど、お腹はイマイチ空いていない。
でも、店先に座る山岸さんの誘惑には耐えられない。
正直、元祖の味をよく覚えていない私にとって、この店の味が元祖と同じだったのかどうかは自信がない。
だが、非常に丁寧な仕事をしているな、と感じた。
つけ麺は、今はブームになっているが、この先もずっと人気を保っていくとは思いがたい。
その際がこの「大勝軒」の本番だと思う。

大勝軒HP


写真左端の足が御大。思わずサインでもせがみそうになってしまった。


岩海苔トッピング。麺は中盛。

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ドクターフィッシュ体験

2010年08月14日 | 日常雑感
昨日、東京ドームへ行ったら、ドクターフィッシュの体験があった。
5分間、500円。
少々高いかな、と思ったが好奇心には勝てず、体験してみることに。
このドクターフィッシュというのは、メダカくらいの大きさで、人の古くなった角質を食べるらしい。
こんな人出の多い日に、ドクターフィッシュも満腹気味で、たいしてつついてもこないんじゃないか、と思ったが大間違い。
彼らの食欲は相当なものらしく、足を入れた途端、しきりに足を突付いてくる。
くすぐったい。
調べてみると、ドクターフィッシュはコイの仲間であるといい、正式な名はガラ・ルファと言う。
1匹あたりの値段が知りたくなって検索してみると、30匹49,000円!
かなり高価だ。
しかし、飼育は容易で、繁殖力もあるようなので、もう少し安くなるかも知れない。
さらに検索してみると、1匹700円くらいの個体もいる。
注意が必要なのは、ガラ・ルファには亜種がいて、種類によっては人の角質を食べないらしい。
また、角質を食べるのは、若い魚で老魚は、食べなくなるとも書いてある。
安い買い物をして喜んでいても、結局は安物買いの銭失いになりかねない。
さて、昨日の効果。
じっと、足を見るも、何の変化もなし。
まあ、たった5分だからなあ。


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ベストアルバム!

2010年08月10日 | ミドル・オブ・ザ・ロード
昔、池袋に文芸坐という映画館があった。
もう死語だろうが、いわゆる名画座という位置づけの映画館で、格安料金で2本立ての映画を観ることができた。
その文芸坐で観た映画のひとつが「ふたりだけの恋の島」。
数曲の挿入歌を歌っていたのがミドル・オブ・ザ・ロード(MOR)というバンドだった。
もう20年以上も前の話だ。
映画は、親に恋路を反対された恋人同志が無人島に逃避行するという典型的なラブストーリーで筋書きとしては陳腐である。
それでも強烈な印象が残ったのは若さあふれる主演女優、オルネラ・ムーティの魅力だと思っていた。
かなり年月が経ち、それだけではなく挿入歌を歌っていたMORの力も大きいと感じた。
MORは「チピ・チピ天国」なるいかにも安っぽいネーミングの歌が日本での唯一のヒットなので際物バンドのように誤解されがちだが、そうではない。
一昔まえのアバといってもいいようなバンドだ。
お世辞にも美声とは言えないボーカルのサリー・カーの声が癖になる。
MORの一連のヒット曲の入ったCDは入手できても、「ふたりだけの恋の島」の中の挿入歌の入ったCDは手に入らなかった。

そのMORのベストアルバムが発売されると、まささんに教えていただいたのがもう半年前。
今日、やっとそのアルバムを入手した。
アルバムの中には「ふたりだけの恋の島」のメイン挿入歌「The Sun In Your Skin」もしっかり収録されていた。

ヘッドフォンでThe Sun In Your Skinを聴いていたら、こみ上がるものがあった。
何十年振りかに旧友にあったかのような懐かしさや、やっと会えたという感情でほろりと泣いてしまった。

音楽を聴いて涙したなんて何年振りだろう。
多分、この曲はヘビーローテーションでは聴いていかないと思う。
何かあったとき、そっと取り出して聴く曲になりそうだ。

自分にとって特別な曲が、誰にも名曲である訳がないが、それでも、自分にとっても名曲に出会うというのは心の財産だ。
あなたにとっての特別な曲とはなんでしょうか?



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ひまわり

2010年08月04日 | 日常雑感
静岡へ出張するときは、天気が気になる。
雨だととても嫌だ。
というのは、いつも立ち寄る店(?)が雨だと休みになってしまうからだ。

その店というのは、無人販売店で花を売っている。
とてもお値打ちなお値段(ひと束100円!)で季節の花を売っている。
今日も寄ってきたが、ひまわりであった。
ひまわりは大好きな花。
おもわず頬が緩んでしまう。
7束売っていたので、全部買って近所に配ろうかとも考えたが、私と同じようにここの花を楽しみにしている人もいるかもしれないと思いとどまって、4束にした。
3束を近所に配ったら、喜んでもらえたので、こちらのほうがうれしかった。
昔は切り花に抵抗があり、ほとんど買わなかったこともあるのだが、ずいぶん考え方も変わってきた。

とりあえず、今日はひまわりを眺めながら酒を飲んでいます。



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切れる!

2010年08月02日 | 日常雑感
切れる、という言葉は好きではないのだが、「切れる」としか表現のしようのない怒り方が昨今、多々見られるようになった。

マスコミでも「切れた」状態の有名人を撮ると視聴率が上がるので、しきりに煽る場面がみられる。
プロ野球における場外乱闘が後々、編成されると視聴率の高い番組になるのと同様だ。
しかし、売れっ子アイドルなど、切れればイメージダウンになる人間がターゲットになる訳がなく、テレビ討論会などでお笑いタレントや一般の人が、レギュラーによって面白いように「切れ」させられる光景も見受けられる。

レギュラー陣は本当には怒っていない(半分は)。
政治家やプロレスラーは、怒気を含んだ発言を行うときも、醒めた一面を必ず持ち合わせている。
これと似ている。

YOUTUBEで観たテレビ討論会。
レギュラー陣に操られてしまったのは政治家(?)とスポーツ評論家の二人。
一人は、「情けないよ」、一人は「よくこんな場に出て来れたな」の一言で「切れて」しまった。
切れたところで、勝負あった、になる。
「情けないよ」で切れてしまったのはスポーツ評論家。
自分の得意のジャンルに一般市民と同レベルの知識しかないタレントが土足で踏み込んできたような不快感があったに違いない。

どうでもいいような話ならそんなに熱くはならない。
自分の信じる「聖域」に相手が一見「正論」に見えるような意見を呈して来たとき、どうするか。
私はそんなとき「ウルトラマンとウルトラセブンはどちらが強いか、討論しているのと同じだ」と考える。
古いし、適切な比喩ではないと思うが、もっと別の喩えを出すなら「幕末にあって、官軍、幕軍、どちらに正義があったか」でもよい。
要は結論の出ない問いである。
複数の人間がいれば、知識の量は常に異なっている。
相手が少ないか、自分が少ないか。
たとえ、相手の知識量が極端に低かったとして、持論でこてんぱんにやっつけようとしないほうがいい。
人間は頭で勝ち負けを計ることはできても、心で勝ち負けを計ることはできないからだ。感情的なしこりが残るだけだ。
自分の信念は相手に強要するべきではない。

一方、今でもナチス崇拝者がいると言う。
悲しいけれど、それも現実だ。
世の中はマーブルチョコレートのようなもの。
いろんなチョコが混じり合って成り立っている。
天使だけでなく、悪魔も必要悪なのかも知れない。

もちろん、例外はある。
けれど、切れるのが通常であってはならないと思う。
切れるのは、最後の最後。
自分や家族や友人の命であったり、自分が本当に大事にしているものの最後の一線が侵されそうになったときでいいと思う。
伝家の宝刀は、最後に抜くべきではないだろうか。

「よく出て来れたな」で切れる

「情けないよ」で切れる

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