木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

数字を見たら、時代が見えてきた→来なかった 宿場町編

2008年02月03日 | 江戸の交通
迂闊なことだが、私が旧東海道と、新幹線が走る今の東海道が別であると知ったのは、大学のときであった。旧東海道は、宮(熱田)から七里の渡しに乗って、海路で桑名に行く。
このため、「東街道」ではなく、「東海道」だと言う人もいる。
このルートだと不破の関(関が原)を避けることになる。
推理の域を出ないが、島津、長州、薩摩などの武将が参勤交代の際に、関ヶ原を通り、その度に合戦のことを思い出されてはかなわないと幕府が考えたためとも言われている。
旧東海道で、一番の宿場がどこかというと、冒頭にちらっと出たである。
天保14年の『東海道宿村大概帖』からの数字であるが、宮の旅籠数は248軒。
その後、桑名の120軒岡崎の112軒品川の93軒と続くのでダントツである。(五十三次の平均は、56.4軒)
人口も10,342人と賑わいを見せている。街道で一番人口が多いのは大津で14,892人、続いて現在の静岡市にあたる府中が14,071人。宮は第三位にあたる。
人口の割りに旅籠が多いのは、箱根と滋賀の坂下である。
数字から、何か読み取れるかと思ったのであるが、今回は単なる数字の羅列になってしまい、すみません。
写真は、下が御油の松並木、その下が七里の渡し