木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

参勤交代の人数

2016年04月10日 | 江戸の交通
参勤交代については、広く知られているようでいて、その実、あまり知られていない部分が多い。

「超高速! 参勤交代」によると、

参勤交代とは、全国の大名を定期的に江戸に出仕させる事により、藩の財政に負担を与え、幕府への叛乱をおさえる制度である。

と端的に述べている。つづいて、

参勤交代は武家諸法度の実質的な第一条として掲げられており、参府を渋ったり、遅れたりする大名は厳しく処断された。

とある。
実際、多くの人が参勤交代に持つイメージもこのようなものであろう。
しかし、武家諸法度で述べられているのは、下記の文言である。

大名小名江戸の交代相定るところなり。毎年夏四月中、参勤を致すべし。従者の員数、近年甚だ多し。且は国郡の費、且は人民の労(つかれ)なり。向後(きょうこう)その相応を以てこれを減少すべし。

山本博文氏も、

参勤交代は大名の経済力を削減させようと定められたものではない。この制度の本質はあくまで諸大名の将軍に対する服属儀礼であった。

と書いている。参勤交代が華美になっていったのは、大名間の見栄や競争心によるもので、幕府としては人数を縮小するように、再三申し入れを行っている。

では、行列はどのくらいの人数であったのであろうか。
これについては、幕府から享保六年(1721年)に指針が出ている。

          馬上      足軽      人足      合計
 一万石     3~4騎     20人     30人      53~54人
 五万石       7騎     60人    100人     167人 
 十万石      10騎     80人    140~150人 230人~240人
二十万石以上 15~20騎  120~130人  250~300人 385人~450人


加賀百万石前田家の大名行列は多い時は4000人を数えたというが、この指針からすると、450人でこと足りたのである。
ただし、前田家の場合は4000人の行列であっても、百石当たりの人数は0.4人である。
一方、小大名の場合は、百石当たりの人数が1.5人程度になることも多く、負担が重かった。

参勤交代の費用に目を向けると、

人足費   43%
運賃    32%
物品購入費 20%
宿泊費    5%
(文化二年、鳥取藩)


とある。

藩支出の割合でみると、

江戸入用 30%
京阪入用  2%
道中銀   3%
国許入用 20%
俸禄   45%
(文化1~15年の平均、松江藩)


となる。参勤交代に掛かる費用としては、全体の3%でしかなかったと分かる。むしろ大きいのは江戸での滞在費である。

また、参勤交代には、戦力の提供との意味合があり、常時戦場が建前だった。
であるから、殿様は夜もゆっくりと寝てはいられない。
殿様の枕元には、小姓が座っており、夜なべして軍記の類を朗読している。周囲に夜のあいだ、ずっと起きている姿勢をみせるためだった。
参勤交代が苦役であったのは、間違いない。


写真は、甲州街道小原宿本陣。
本陣といえども、殿様にとっては、安息の施設とはいえなかった。

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