木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

成功者

2012年06月27日 | 日常雑感
もうすぐオリンピックが始まる。

水泳男子100m自由型の金メダリスト
陸上男子100m走の金メダリスト

どちらが栄誉あるのか分からないし、ましてやどちらの金メダリストが幸せか、など誰にも分からない。

ギネスブックに載った長者世界一。
そのまま、世界一幸せな人間かというとそうでもあるまい。

数字で測れる世界は、他の人にもよく分かるが、逆に数字や言葉では表せない世界は、本人しか分からない。

金メダルを捕った人だけが成功者なのか。

夢はどの段階を以て達成したと言えるのか。

答えはみな自分の心の中にしかない。





米についての忘備録

2012年06月27日 | 忘備録
米の表現がいつも混乱する。
忘備録として、整理。

1石=10斗=100升=1000合=10000勺

1合=150g
1升=1.5kg
1斗=15kg
1石=150kg

1俵=60kg

1石=2.5俵=150kg

加賀百万石=250万俵=150,000,000kg=15万トン

一人扶持=5合(0.75kg)/日*360日
一か月=0.75*30=1斗5升=22.5kg
1年=0.75*360=1石8斗=270kg

米1kgを400円とすると、
270kg*400円=108,000円

サンピンは三両一人扶持
1両を10万円とすると、

300,000円+108,000円=408,000円

100㎡=1アール
100アール=1ヘクタール=10000㎡
1町=10反≒0.927ヘクタール
1反=10畝≒10アール


平成23年度 日本国内の主食用米の収穫量 813万3000トン
10アール当たりの収穫高(反収) 533kg
主食用作付面積 152万6000ヘクタール

江戸時代の反収
上田:3石(450kg)/1反 中田:420kg

試し算
152万6000h*5.33t≒813万3千トン

米の生産者価格(平成22年)
12,630円(玄米60kg)
精米1kg当たり234円

平成23年産米の相対取引価格
全銘柄平均価格 15,374円(玄米60kg)
精米1kg当たり285円

米の消費者価格(平成24年)
2,128円(東京・5kg)
1kg当たり426円

参考リンク 







江戸の酒

2012年06月27日 | 江戸の味
ワインの消費量を見ていたら、中国が世界第4位になった(2011年度)との統計に出くわした。1位はアメリカ。
以下、2位イタリア、3位フランス、4位ドイツ。一昨年5位だったイギリスを抜いて5位になったのが中国である。
しかし、消費量を国民ひとり当たりの量で見ると、順位はかなり変わってくる。
1位フランス、2位ルクセンブルグ、3位イタリア、4位ポルトガル、5位スイス(メルシャン資料より)。もっとも、こちらの資料は2007年のものなので、昨年の順位とは単純に比較できない。
日本のひとり当たりの年間ワイン消費量は2リットル。フルボトル約3本分である。フランスは52.1リットルでさすがはワインの国という感じがする。
ちなみに、日本のアルコール消費量の内訳を見てみると、清酒4.89リットル、ビール22.55リットル、発泡酒8.85リットル、リキュール11.85リットル、ウイスキー0.66リットル。
全体では一人当たり年間67.69リットルのアルコールを消費している(前述メルシャン資料)。
数字を比較すると、ワインだけで52リットルものアルコールを消費しているフランスとは酒好きという点では、遥かに敵わない。
日本ではビール、発泡酒、第三のビールで7割くらいを占めるが、ビールの消費量で見ても、世界的には38位に過ぎない。1位はチェコであるが、日本の2.9倍ものビールを飲んでいる(キリンホールディング資料)。

江戸時代を見ると、元禄期には上方から江戸に入ってくる酒が年間二十一万石に達していた。この頃の江戸の人口を七十万人と見積もると、年間一人当たりの消費量は54リットル。アルコール度数だけを考えると、江戸時代の人の方が酒をより多く飲んでいたかも知れない。

「八文じゃ盧生が夢のとばっ口」という川柳があるように、文化の頃の下酒の価格は一合八文で、二八蕎麦の半額くらいだった。今でいえばラーメンの半額くらい。ラーメンが七〇〇円だったら、ビール三五〇円という計算になる。なんとなく同じような価格で親近感がわく。惣菜も一皿八文くらいである場合が多く、現代でいえばニッパチ酒場のような感覚だったのだろう。

居酒屋のことを「矢大臣」と呼ぶことがある。テレビの時代劇などだと、テーブル付きの椅子に座っているような居酒屋の場面が多いが、江戸時代ではテーブルもない床に客は座っていた。現代で言うと、花見のとき、ブルーシートを敷いて飲んでいるような恰好だ。
居酒屋に畳などの高級品はなく、板の間であり、少し程度がいいと、むしろが敷いてあるくらいだった。
このとき、片膝を立てて飲んでいる人も多く、その姿が矢大臣に似ているから、居酒屋の別名となったのである。

ただし、居酒屋が定着するのは江戸時代も中期以降で、それ以前は、「享保の半ばくらいまでは、丸の内から浅草の観音まで行くのに、昼食をするにも困ったものです」と三田村鳶魚が述べているように、江戸初期には縄暖簾だとか、居酒屋はなかった。

居酒屋で一番有名だったのは、神田鎌倉河岸の「豊島屋」である。
鎌倉河岸の辺りは人足や職人が多く住んでいたが、豊島屋は名物の田楽と、安い惣菜を提供し、薄利多売で日夜混雑した。
特に、豊島屋の白酒は有名で、「山ならば富士、白酒ならば豊島屋」と歌にも詠まれた。この白酒は、雛祭り前の二月二十五日の一日だけしか売られなかったので、この日は。押すな押すなの大盛況になった。当日は鳶の者が鳶口を持って二階から下を見張っていた。けが人が現れたなら、鳶口で二階に引っ張り上げようとしていたからだ。
東京に今でも豊島屋という酒店が多いのは、江戸の豊島屋の屋号を真似しているからである。

今日は日本初のワインについて書こうとしていたが、すっかり脱線してしまった。ワインについては、次回に譲るとしたい。

参考
江戸名所図会を読む 東京堂出版 川田壽
時代風俗考証 河出書房 林美一
町屋と町人の暮らし 学研 平井聖
娯楽の江戸 江戸の食生活 中央文庫 三田村鳶魚

↓ よろしかったらクリックお願いいたします。

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 歴史ブログ 江戸時代へ
にほんブログ村


風の正体

2012年06月20日 | 日常雑感
風が吹く。
強い風が吹く。
ビルとビルの間に。
荒野に。
わたしの心の中に。

わたしは風の正体が見たくて、
風の中に立ちつくす。

じっと立っていると、
なにかが見えそうな気がした。

けれど、胸の中がむずむずして、
その場を立ち去ってしまった。

それ以来、風の正体を見ていない。

あのとき、見えそうだった風の正体。
本当に見える直前だったのか、
それとも、単に気のせいに過ぎなかったのか。

いまでは、それさえ、はっきりしない。

私は風(カルメン・マキ)

ライブ版

↓ よろしかったらクリックお願いいたします。

人気ブログランキングへ





いちばん大切なこと。

2012年06月03日 | 日常雑感
ドロシー・ロー・ノルト。
ベストセラー作「子どもが育つ魔法の言葉」の著者である。
この人の著作に「いちばん大切なこと。」という本がある。
その本を見かけたのはほんの偶然に過ぎない。
いつも乗るJRの駅で、キヨスクで時間が少しあるからと手にしたのが「いちばん大切なこと。」であった。

あのね、ものには順番があるの、自分の番がくるまでまとう
きっとだよ
そして、とびきりすてきな自分になろうね!


この詩の冒頭には惹きつけられたものの、一番感動したのは後記とも言える作者の解説文だった。

いちばんすてきな自分になること
いちばんすてきなことをすること
いちばんすてきなものをあたえること



の文は平易で直截だが、胸を打たれた。続けて、

たいていの人は、自分は何をもっているが重要だと思って暮らしています。でもわたしは、長い人生を生きてきて、ほんとうに大事なのは、いまあげた三つのことではないか、と思うのです。違う言い方をしてみましょうか。

あなたはどんな人間か、どんなふうに生きているか
あなたは何をしているか、どんあふうに行動しているか
あなたはほかの人にどんなふうに与えているか

そして最後に、あなたは何をもっているか


詩自体は、読み方によっては教育的な押し付けになりそうな詩なのだが、ギリギリの線でそうならないのは、著者の視線の温かさゆえだろう。
それは、次の一文にも表れている。

「わたしってかわいそう」
と思うより
「わたしってこんなところがすてき」
と思うほうがだいじです


現代はストレス社会と言われ、ストレスは発散すべきだと喧伝される。
パチンコがストレス発散になると言う人もいるし、ジョギングがいいと言う人もいる。
ドカ食いがいい人もいるし、酒に走る人も多い。
けれども、いくらストレスを発散しても、ストレス発生の根源がそのままであれば、一時的なものに過ぎない。
ストレスとは必ず発散しなければならないものなのだろうか。

送られてきたジャンクメールをたまに見ると、金儲けの話が書かれている。「今までは辛い仕事も家族のためと思って、身を粉にして続けて来た。けれども、発想を変えれば、すぐに巨額の金が手に入る」などとの虚言を吐いて、現代版ネズミ講へと誘い込もうとするメールが多い。

仕事、って本当に辛いばかりのものなのだろうか。
楽して得たお金って、人を幸せにしてくれるのだろうか。
金持ちだからといって必ずしも幸せであるとは限らない。
江戸時代の町民なんて、ほとんどがその日暮らしの貧乏人であったが、自分たちが不幸だと思っていなかっただろう。
考え方を変えなければ、環境がいくら変わっても幸せにはなれない。

いちばんたいせつなことは、自分の中にある。
そんな些細なことに気づかずに、情報化時代の住人と呼ばれる現代人は、かく言う自分自身を含めて、あくせくしている。

ドロシーは詩人ではない。
直截な表現が読む人の胸を打つのは、生き方に信念と優しさがあるからだ。
善悪を問わず名を残す人は、何か非凡なものを持っている。
浅原しかり、ホリエモンしかり。
けれども、自分は誤魔化せない。
地位を得ても、巨万の富を得ても、幸せは別のことろにある。
真の幸せを得る人とは、ドロシーのように、行動と思考が一致した人間だと思う。

参考:いちばん大切なこと。(PHP研究所)ドロシー・ロー・ノルト

↓ よろしかったらクリックお願いいたします。

人気ブログランキングへ