もう何十年も前、歴史にまったく興味がなかったころの話。
ハイキングに行った帰り、埼玉県比企郡の小川町を歩いていたら「二葉」という割烹があり「忠七めし」というお茶漬け風の名物料理を見つけた。
「剣豪・山岡鉄舟考案」とも書いてあり、これが初めての山岡鉄舟との出会いだった。
二葉のHPによると、日本には五大名飯というのがあるらしい。

それは、
忠七めし(埼玉・小川町)
深川めし(東京・深川)
さよりめし(岐阜・山岳地法)
かやくめし(大阪・難波)
うずめめし(島根県・津和野町)
深川めし(東京・深川)
さよりめし(岐阜・山岳地法)
かやくめし(大阪・難波)
うずめめし(島根県・津和野町)
だということだ。
前置きが長くなったが、山岡鉄舟の書は静岡県の吉原の旅館「鯛屋」でも見かけたことがあるし、鉄舟はいたるところで揮毫している。
その中のひとつ、木村屋總本店の看板も鉄舟の揮毫である。
どうして鉄舟が揮毫したかというと、もともと親交があったようなのだが、明治7年に日本人の口に合うようにと発明された酒種あんぱんが好物だったからとも言う。

木村屋總本店のHPから引用すると、明治8年、
明治天皇が水戸藩下屋敷(現在の向島)を行幸される折、巷で評判の酒種あんぱんを献上してはどうかと侍従山岡鉄舟よりお薦めの言葉を頂戴し、四月四日、奈良の吉野山より取り寄せた八重桜の花びらの塩漬けを埋め込み焼き上げた、季節感たっぷりのあんぱんが明治天皇に献上された。 ことのほか、皇后陛下のお口にあい、両陛下より「引き続きおさめるように」とのお言葉を賜った。
とある。
このことから、4月4日があんぱんの日として知られるようになった。
山岡鉄舟については以前「吐しゃ物を食べた山岡鉄舟」という記事でも書いたがとても興味深い人物だ。
