木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

ピアノを弾くモモンガを夢みて

2012年11月27日 | モモンガ
むかしむかし、「柔道一直線」という今から思うと、「超」が付くほどベタなタイトルのテレビドラマがあった。
この中で近藤正臣演じる敵キャラがピアノの鍵盤の上に立って(!)足の指でピアノを弾くというハチャメチャなシーンがあった。
足の指を手の指同様に繊細に動かせるという設定だったのだろうが、あまりも無茶苦茶だった。
この番組は子供たちにとってかなり人気番組だったので、小学生が実際にピアノに乗ってしまい、先生に怒られたなどという話はよく聞いた。

代わって、うちのモモちゃんも、もしかしたら、ピアノが弾けるかも知れない(そんなバカな!)と思って、鍵盤の上に乗せてみた。
これで上手く音楽が奏でられれば、テレビでも引っ張りだこ。

ところが……。

軽過ぎて、鍵盤はびくともしないのでした。
ちゃんちゃん。



やたら動きが速くて、新幹線のよう。

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野口英世とメリー・ダージス

2012年11月25日 | 人物伝
己に自信のある者ほど、他人を頼らない。
けれども自信と劣等感は表裏一体である。
豪放磊落であるように見える人が、実は繊細な神経の持ち主だったという例などはよく聞くところだ。

野口英世。
この人ほど、自信と劣等感の中で揺れ動いた人もいないのではないだろうか。
心の叫びがまるまる外に聞こえてしまうような人だったと思う。
有名なところでは幼児の時に囲炉裏に手を突っ込んでしまい、火傷のせいで左手の指が全てくっ付いた状態になってしまった。
周囲からは「手ん棒」とからかわれた。
成人後、指を離す手術を行って貰ったことから、英世は医学への道を歩もうとするが、途中から細菌学者としての道を歩む。

化学しろ、細菌学にしろ、気が遠くなるような失敗の上に、ごくごく少ない成功が得られる分野だ。
猪苗代出身の野口英世には、粘り強い東北の血が伝わっていたのだろう。
「ヒデヨはいつ寝ているんだろう」
と周囲に言われるほど、寸暇を惜しんで行った地道な試験の後に、英世はアメリカで学者としての名声を轟かせていく。

英世の妻はメリー・ロレッタ・ダージス。通称、メージー。貧しいアイリッシュ系の移民の娘であった。
メージーには悪妻説も付きまとった。ひどいものになると、娼婦だったなどという噂も飛び交う。
だが、英世がアフリカに行き、黄熱病に罹った英世の手紙によって、メージーが悪妻であったかどうか分かる。

1928年4月5日
しばらく手紙が来ないので心配している。
どうしているか、すぐに電報で知らせてほしい(後略)。

1928年4月7日
今、満月だ。研究所から帰りながらあなたのことを思って。とても悲しい。でも、それも、もう終わり。心配しないで(後略)。


1928年4月10日
あなたの電報と手紙が届いて、とても嬉しかった。あなたが元気でアンディと一緒なのが嬉しい。彼もあなたも十分気をつけてもらいたい。仕事は難しいが、元気だ。五月中頃まで、ここにいるだろう。


夫がこんな手紙を出す相手が悪妻である訳がない。
もしかしたら、世間の言うところの『良妻』とはズレがあったかもしれない。
それでも、世間の『良妻』が自分にとっての『良妻』とは限らない。
人生の最期に「いいパートナーだった」と素直に言えるなら、その夫婦は素晴らしい関係にあったと思う。

野口英世は聖人君子ではなかった。
若い頃には放蕩もしたし、ロックフェラー研究場では助手との不倫も噂された。
助手の名は、エブリン・ティルディン。
後にノースウエスタン大学医学部の教授となり、一生を独身を通した女性だ。
不倫の噂の真偽はさておき、背の高いマサチューセッツ生まれのアメリカ娘は、英世に心酔した。

メリーも英世の死後は、悲しみのあまり、常軌を逸したような行動をとっている。
東洋の小男のどこにこんなに西欧女性を夢中にさせる魅力があったのだろう。
外見的魅力ではない。
仕事に集中して取り組む姿勢、生き方そのものにカリスマ的な魅力があったに違いない。


メリー・ロレッタ・ダージス

参考:野口英世とメリー・ダージス 飯沼信子 (水曜社)


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浜野炬随~努力は裏切らない?

2012年11月15日 | 江戸の人物
二代目・浜野炬随(はまのくずい・はまののりゆき)。
江戸時代の刀剣装飾職人(彫物師)である。
父親である初代・浜野炬随は名人として名高かったが若き日の二代目は生まれつき不器用で、彫ったものはわずかに万屋新兵衛のみが買い取ってくれていた。
だが万屋もついに我慢ができず、「もう彫物師など止めたほうがいい」と厳しく忠告した。
ショックを受けた炬随は絶望のあまり自害しようとしたが、その試みを母親に見破られてしまう。
母親は、
「死ぬのは構わないが、いまはのきわに土産として母に観音像を彫りなさい」と命ずる。
炬随はこの世で最後の仕事と思い、寝食も忘れて一心不乱に仏像を彫りあげた。
その観音像を見た母親は満足げに、
「この像を万屋に持って行きなさい。値は三十両。一文もまけてはなりません」
と告げる。
言われた通りにした炬随であるが、一目観音像を見た万屋は、
「まだ先代の彫った像が残っていたのですか。先代の作品なら三十両は安いものだ」
と言った。
「いえ、その像はわたしが彫ったものです」
と炬随が事情を話すと、まるまる三十両での買い取りを約束した万屋は、
「人間死ぬ気になってやればできるものだ」と感心し、大化けした炬随の成長を喜んだと言う。

よく「努力は裏切らない」という言葉を聞く。
これは嘘だ。
「願い続ければ必ず夢は叶う」が嘘のように。
たとえどんなに努力しても目に見えるところ=結果、として現れてこなければ全く意味がない。
「努力すること」だけでは不十分で「必死に努力する」ことが成功の条件なのだろう。
夢だってただ長く持ち続けていればいいというものではない。

わたしの例で言うと、昔書いていたものを読み返すとよく分かる。
現地にも何度も行って取材をし、丹念に文献を調べ、必要があれば専門家に手紙を書いた。
その上で十分時間をかけて執筆したのだが、肝心のストーリー運びで失敗している。
結局「自分はこれだけ時間をかけて、これだけ努力したので大丈夫だろう」という気持ちの甘え、自己満足があったのだ。
受験生でも「図書館に座っている」という行為に満足してぼーっとしている時間の長い人を見かける(わたしもそのひとりだったが)。
行為自体に満足してしまって、決意と言うか、必死さが足りないのである。

炬随も努力はしていたに違いない。
でも気持ちに甘えがあった。
「今日できなくても明日がある」
「明日でなくともあさってがある」
その繰り返し。
わたしを含め、多くの人がそう思いがちだ。
人生は永遠に続く訳ではない。
毎日全力疾走していたのでは続かない。
でもダラダラと歩いているばかりでは、いつしか走ることもできなくなってしまう。
走れなくなって初めて呆然とするだけだ。
いつ走るかは人によって違う。
わたしにとっては、「今」が走るとき。

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柴犬ローズティ~タバサさんのこと

2012年11月08日 | 柴犬

あらら、はしたない顔を公開しないで下さいな。

柴犬のローズティちゃんは、人間でいえばミドルエイジの妙齢の女性。

でも食いしんぼさんには変わりはない。

柴犬はあまりパートナーにベタベタしないのだが、おやつをくれる人は例外。

走り寄ってくる、という表現がぴったりなくらい突進して来る。

私は小さい頃から常に犬がいる環境で育ったのだが、転勤などもありなかなか犬と暮らせないでいた。

もし、次に犬と暮らすときは、と決めていたことがある。

それは、ペットショップやホームセンターで「買い求める」のではなく、保健所や民間のボランティア団体から放棄された命を「貰い受ける」ことであった。

そんな中、浜松でボランティア活動を行っているタバサさんの存在を知った。

タバサさんの活動を通じてローズティと巡り会うことができた。

本当にタバサさんのような活動には頭が下がる。

誰に褒められたい訳でもないと思う。

ただ「やらなければ」と言う追い立てられるような感情で日夜奮闘されているのだろう。

本当はペットと言えども、簡単に保健所に持って行ったり、捨てたりできないような法律ができれば一番いいのだろうけど。

ロースティは当初、散歩というものを知らなかった。

でも今は散歩を楽しんでいる。

環境で変化するのは犬も人も変わりはない。

ワンちゃんに興味ある方は、下記のリンクをぜひ参考にして頂きたい。

里親日記

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モモンガスリッパ

2012年11月04日 | モモンガ

相手は迷惑だなあ、と思っているに違いないのだけれど、今日はいい天気なのでベランダで日光浴をさせる。

寝ているところを起こされ、急に眩しいところに連れてこられたモモちゃんは、急いでサンダルの中に隠れ込んだ。

目が大きいせいか、ぱっちりと目が覚めているように見えるが、実は眠たい盛りで、寝ぼけ眼。

この後、モモンガミルクを与えると、「飯だけ食ったら、俺はもう寝るぜ」と言いながら(?)サンダルの中で180度転回して、こちらにお尻を向けてすやすやと寝てしまった。

 

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おまえ!

2012年11月03日 | 日常雑感
今日、プールの後で家の近くの飲み屋さんに行った。
久しぶりだった。
そこには先住民たるシニア3人組。
かなり出来上がっているような雰囲気。
そんな雰囲気が嫌いでないので、OK、OKと入店。
ビールを飲むうち、一組のカップルが入店。
しばらく問題はなかったのだが、そのうちに問題発生。
ふと気が付かないうちに、先の先住民の一人とカップルの女性の間でトラブル勃発。
聞くと、女性としては気を遣った積りで、先住民に御酌をした。
そのうちの一人の置きグラスにもビールを注ぐ。怒ったのは注がれた男性。
マナー上から言うと、置きグラスに飲み物を注ぐのはいけない、と習った覚えがある。
けれども、年の功で流してくれればいいのに、と思ってた最中に双方ヒートアップ。
堪らず仲介した私に「お前は黙っていろ」と先住民。
「あなたにお前呼ばわりされる覚えはない」と言ったところから代理戦争。
「こっちに座れ」、「あんたこそこっちに座れ」みたいな子供のような言い争いになってしまった。

ここで思ったのは、末広がりになっていく人生と、尻つぼみになっていく人生だ。
大衆居酒屋で「常連」の肩書を笠に偉そうにしている人間と言うのは、所詮大したことがない。
実るほど垂れる稲穂、の喩通り、人間も本物は腰が低い。
今日の場合なども、私がもっと腰を低くしていればよかったには違いない。
血の気の多い自分の性格を自覚している以上、きょうの場面では黙っているのが最善の策だったのだとは思う。
けれど丸くなって物分かりのいい人間になって言いたいことも言えないのはまっぴら御免だ。
「お前は黙っていろ」の一言で切れてしまったのも事実だが、いきなり初対面の相手に「お前」呼ばわりするシニアにはもっとなりたくない。

店のママも常連が大事なので、一方的に向こうの味方。
それはそうだと思うが、物の道理はわきまえておいて欲しいと申し上げる次第。
まあ、あの店には二度と行かないとは思うが。


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本場讃岐の味をご家庭で「手打ちうどんつるわ」