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hasyan の 旅の散歩道

元気な間に余暇を通じてドライブなどで得た、行き先々の身近な風景・
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源氏と平家にまつわる伝説の首切地蔵尊 2014.11.23

2014年11月23日 19時45分44秒 | 神社・寺院


  所在地  首切地蔵尊   兵庫県丹波市山南町谷川315

 加古川の支流篠山川・山田河へと上流へ車を走らせると、どんどん道幅が狭くなって行き、首切地蔵尊の駐車場に、そこには地蔵茶屋があります。この山道は、昔「大阪道」といわれ、摂津・播磨と丹波の国を結ぶ間道として使用された道のようです。

 駐車場から首切地蔵尊へ行く道が

 地蔵尊までは階段を上がっていきますが、その右側には寄付された人の名前が貼ってあり、各地から多くの人達が参拝に来られているみたいですね。

 紅葉は、ちょっと遅かったかな~紅葉した落ち葉が沢山あります。

 寿永2年(1183年)の頃、源氏との戦いに敗れた平家一門に連なる公達、姫君が丹波路へ逃れるなかで、落人狩に捕えられ、奥山深い沢で悲運の最期を遂げたのを伝え聞いた里人達が、碑を建て弔ったのが始まりとされます。

 現在は7体のお地蔵さんが祀られており、春秋の2回の大祭には行者の方々の大護摩焚きが行われ、首から上の願い事が叶うとされ合格祈願者が参拝に訪れる人が多いようです。

 地蔵尊をお参りしていると、この土地の人がお茶でもいかがですかと話しかけられ、話も弾みこんないわれのある地蔵尊とは、紅葉が終わりかけているのが残念

 丹波路に迷い込んだ公卿や姫たちはしばしの憩いを求めて身を寄せたが、それもつかの間、落人狩りに捕らえられ山田の奥山深く樹木生い茂り昼尚暗い首切沢で処刑されあえなく悲運の最期を遂げました。
伝え聞いた里人たちが人の世のはかなさを嘆き、哀れみ碑を建てて野花をたむけ後生を弔い祀ったのがはじまりで、いつからか首切地蔵尊と呼ばれ、今に言い伝えられています。
 次回をお楽しみに では またね

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