さて、番組の途中ですが、護道に関する私の(暫定的な)結論に飛ぶ前に、いくつか記事を差し挟むことになるだろうと思います。
護道についてもっとまとめたいのと、ツイッターが盛り上がったのがありまして。
私の思考回路を敵味方に分けすぎじゃないか、と指摘されることが多いのですが、それのどこがいけないのか不思議です。便利ですよ~敵と味方にきっぱり分けるのは。
情報処理としてはとても省エネできるのですよ。
私の方には不都合はありません。
不都合があったとしたら、心ならずも敵にされた人たち、だと思うのですが
よ~く胸に手を当てて考えてみてください。
よく考えたら私とはどう考えても味方ではないでしょ?
だったらお互いにその方がいいのです。
私は「アンビバレント」という感情を解さない人です。
愛甲さんに言ったら「そりゃわからないでしょうね」と言われました。
それも一因かもしれませんが
敵味方に分けて考えるのは脳が心地よいのです。
そしてこういう疑問を呈されました。
「障害児だから世の中に迷惑をかけてもいい」と考えている支援者や保護者はそれほど多いのか、という疑問です。
皆さんはどう思います?
本当は、自閉青年が一般幼女にわいせつ行為をして警察沙汰になったら差別だと怒って佐々木正美先生まで担ぎ出した某自閉症協会
の行状なんか市民感覚で受け入れていない人がいるのかもしれません。
でもその人たちも青いお祭りのときには萌えたりしてますよね。
だとしたらこっちには同じに見えるのです。
もしこれが間違っているのならどう間違っているか教えてもらえればうれしいです。
そして支援者も一般市民として「障害があるからと言って友だちを殴っちゃいかん」とは思っていると思います。というか「障害があるから友だちを殴っていいんですよね?」ときかれたら、それに「いいですよ」と答える人は少数かもしれません。ギョーカイにはいると思いますが、一般市民としてはそういう被害加害は防ぐべきだと思っているかもしれない。
でも実際に学級の保護者会で「障害があるので手が出ます。ご容赦ください」とか言い訳する凸凹児の母もいれば、同じように凸凹の子を持つ母でもそれに違和感を感じながら自分の子には他害しないようコンディションを整えている母もいるのです。
そして実際に、「ご容赦ください」という声を聴いたとき、「それはおかしい」と面と向かって言える支援者がどれだけいますか?
私はそこに疑問を持つのです。
なぜなら「障害特性を理解してもらいましょう」という名の下になんとかセンターやなんとか親の会や相撲協会じゃない某協会の集まりとかで「他の保護者の理解を先にとっとく」とかそういう指導がされているからです。
若くてものも知らないたいした社会経験もないお母さんがたまたま他害児を授かれば常識を学ぶ間もなくそういうなんとかセンターのえらい()先生やなんとか親の会の先輩達の言うことを真に受けるかもしれません。それが結果的に一般社会での非常識な「障害があるから許してね」発言になるのです。
そのときに「いや、ダメなんですよ手が出るのは」と正面切って言える支援者のみが私にとっては「他害を許さない支援者」なのです。
そういう人がどれだけいますかね?
一般市民としての良心などそこで捨てて、保護者の機嫌とる人が大半じゃないですか?
そして「他害をしてもいい」と正面切って認める人は少なくても、これだけ「治すなんて差別」の人がいます。「ありのままを受け入れることこそ愛であり治すなんてとんでもない」と私たちへのいらだちをぶつけてくる人がいます。一方で「治したい」のも愛なんです。
読者の方のお言葉を引用させていただきます。
=====
ほんとなんだ💢これ。さすがに腹立つわ!!ありのままを愛するのは親の勝手だけど、言葉が出なくて意思疎通できない、勝手に身体が動いて思うように動けない、過敏で音を痛みに感じる、そんな苦しみを味わうのはその子供であり、そんな苦しみを一生感じてろということ?!
=====
いいところを治したい人はあまりいないので、本人たちにとって不便なところ、社会に迷惑なところを治したいわけです。
そのための方法がお金もかからず支援者もいらず今すぐにでもできることだったらやってみたいというのが親心です。
だとしたら治したくない親たちは、子どもが苦しんでいても平気なんだろうし、社会に迷惑かけても平気。「他害上等」だと思っているというのが自然な推論じゃないんでしょうかね。
皆さんにとって花風社はマイナーですか?
おそらくそらパパあたりは「マイナーだ。自分たちがやっているのが標準療育だ」と思っているでしょう。
だとしたら現在の標準療育は、「障害児は社会に迷惑をかけても許される存在である」という信条のもと動いているなあ、というのが私の判断です。
すなわち標準()から外れまいと躍起の支援者保護者は「他害児許容せよ論者」である。
というのが私の判断です。
護道についてもっとまとめたいのと、ツイッターが盛り上がったのがありまして。
私の思考回路を敵味方に分けすぎじゃないか、と指摘されることが多いのですが、それのどこがいけないのか不思議です。便利ですよ~敵と味方にきっぱり分けるのは。
情報処理としてはとても省エネできるのですよ。
私の方には不都合はありません。
不都合があったとしたら、心ならずも敵にされた人たち、だと思うのですが
よ~く胸に手を当てて考えてみてください。
よく考えたら私とはどう考えても味方ではないでしょ?
だったらお互いにその方がいいのです。
私は「アンビバレント」という感情を解さない人です。
愛甲さんに言ったら「そりゃわからないでしょうね」と言われました。
それも一因かもしれませんが
敵味方に分けて考えるのは脳が心地よいのです。
そしてこういう疑問を呈されました。
「障害児だから世の中に迷惑をかけてもいい」と考えている支援者や保護者はそれほど多いのか、という疑問です。
皆さんはどう思います?
本当は、自閉青年が一般幼女にわいせつ行為をして警察沙汰になったら差別だと怒って佐々木正美先生まで担ぎ出した某自閉症協会
の行状なんか市民感覚で受け入れていない人がいるのかもしれません。
でもその人たちも青いお祭りのときには萌えたりしてますよね。
だとしたらこっちには同じに見えるのです。
もしこれが間違っているのならどう間違っているか教えてもらえればうれしいです。
そして支援者も一般市民として「障害があるからと言って友だちを殴っちゃいかん」とは思っていると思います。というか「障害があるから友だちを殴っていいんですよね?」ときかれたら、それに「いいですよ」と答える人は少数かもしれません。ギョーカイにはいると思いますが、一般市民としてはそういう被害加害は防ぐべきだと思っているかもしれない。
でも実際に学級の保護者会で「障害があるので手が出ます。ご容赦ください」とか言い訳する凸凹児の母もいれば、同じように凸凹の子を持つ母でもそれに違和感を感じながら自分の子には他害しないようコンディションを整えている母もいるのです。
そして実際に、「ご容赦ください」という声を聴いたとき、「それはおかしい」と面と向かって言える支援者がどれだけいますか?
私はそこに疑問を持つのです。
なぜなら「障害特性を理解してもらいましょう」という名の下になんとかセンターやなんとか親の会や相撲協会じゃない某協会の集まりとかで「他の保護者の理解を先にとっとく」とかそういう指導がされているからです。
若くてものも知らないたいした社会経験もないお母さんがたまたま他害児を授かれば常識を学ぶ間もなくそういうなんとかセンターのえらい()先生やなんとか親の会の先輩達の言うことを真に受けるかもしれません。それが結果的に一般社会での非常識な「障害があるから許してね」発言になるのです。
そのときに「いや、ダメなんですよ手が出るのは」と正面切って言える支援者のみが私にとっては「他害を許さない支援者」なのです。
そういう人がどれだけいますかね?
一般市民としての良心などそこで捨てて、保護者の機嫌とる人が大半じゃないですか?
そして「他害をしてもいい」と正面切って認める人は少なくても、これだけ「治すなんて差別」の人がいます。「ありのままを受け入れることこそ愛であり治すなんてとんでもない」と私たちへのいらだちをぶつけてくる人がいます。一方で「治したい」のも愛なんです。
読者の方のお言葉を引用させていただきます。
=====
ほんとなんだ💢これ。さすがに腹立つわ!!ありのままを愛するのは親の勝手だけど、言葉が出なくて意思疎通できない、勝手に身体が動いて思うように動けない、過敏で音を痛みに感じる、そんな苦しみを味わうのはその子供であり、そんな苦しみを一生感じてろということ?!
=====
いいところを治したい人はあまりいないので、本人たちにとって不便なところ、社会に迷惑なところを治したいわけです。
そのための方法がお金もかからず支援者もいらず今すぐにでもできることだったらやってみたいというのが親心です。
だとしたら治したくない親たちは、子どもが苦しんでいても平気なんだろうし、社会に迷惑かけても平気。「他害上等」だと思っているというのが自然な推論じゃないんでしょうかね。
皆さんにとって花風社はマイナーですか?
おそらくそらパパあたりは「マイナーだ。自分たちがやっているのが標準療育だ」と思っているでしょう。
だとしたら現在の標準療育は、「障害児は社会に迷惑をかけても許される存在である」という信条のもと動いているなあ、というのが私の判断です。
すなわち標準()から外れまいと躍起の支援者保護者は「他害児許容せよ論者」である。
というのが私の判断です。
花風社さんではどんどん新しい事が本になっていくのに、なんで、反論はずーっと変わらないのでしょう?
脳、器質性、原因はわかっていません、治りません。治るってどういうことか説明しろ。過大な宣伝で利益を得ようとするのは違法だから、この法律だったら、取り締まれる…。
まるで、カーボンコピーだなぁと思いました。古くてスミマセン。もちろんメールのCCではなく、紙の方です。もういい加減、字が薄くなって読めなくなってるのでは?
もっと前に進もうよ、と思いました。
他害についても、障害だからしょうがない、で時が止まってしまっているのではないでしょうか?
療育とは腐った人格の上にまともに見えるような偽装で塗り替えるようなものであり、彼らにまともな人間に擬態されると、アスペの怖さを知らない人が対応に遅れ被害が拡大します
擬態されるぐらいなら自己淘汰してくれたほうがはるかにマシです。アスペの療育はヤンキーの更生話と一緒でまったくもって不快です
違っていたらごめんなさい。
最初、ASDの人に医者、支援者をしてほしくない、と言う意味かと思ったのですが、違うようですね。
治療や療育は擬態させるためのものではないし、こちらで治った報告されている方やお子さんは、むしろ逆のベクトルだと思います。
成人になってから診断を受けた、あるいは周りが疑っている人、こじらせてしまった人?が周囲を振り回しているのは、よく聞きます。そういう訴えでしょうか??