福島原発事故の東電や政府の対応を見ていると、どうしても今までの安全ンお考え方が正しかったのかと疑問に思えてなりません。
我々の属する監督官庁もそうですが、事故は起こしてはならないと言うのは確かですが、起こさない為の指導は何でもやらせます。
しかし起こした後の対応は、ほとんど触れないのが実情です。
安全を確保する為にはあらゆる努力を惜しんではいけませんが、事故は必ず発生するという認識を持つのも必要だと思います。
安全管理は、先ず事故防止策と事後の対応策の両方が無いといけません。
しかし日本の安全管理者は、自分の責任に降りかかる事故を引き起こさない為の方策にだけ興味を示し、ヤレ安全会議だとか、安全教育だとか、安全パトロールだとか、安全書類だとか、KYミーティング等の安全策を末端にやらせる事において安全が保たれていると勘違いしています。
東電もその中の一つだと思います。
しかし現実に事故が発生した時の対応はごく浅い対策しか取っていないのが実情で、不幸にして事故や災害が発生した時は、安全管理者は安全書類が整備されているかとか、安全ミーティングは行っていたかとか、被災者の救護方法や容態の心配は二の次で少々方向違いの事ばかりに興味を示します。(何故なら事故が発生すると、監督官庁はその書類で安全管理を判断するからです。←書類のミスを見つけて業者の安全管理度を判断する。)
この社会で働いている限りは確かに必要な書類や打ち合わせは必要だと思いますが、それが網羅されていれば事故は発生しないかと言えばその様な事はありえません。
私はその様な安全管理に疑問を持ち、名古屋市緑政土木局の竣工検査書類に、安全書類が多い現場は事故が少ないのか?私はそうは思わない と書いた事があります。
そうしたら書類好きな、私から言えばバカな検査官がに睨まれた経験があります。
役所という組織は、バカの一つ覚えで、全て書類で判断したがるものです。
※本当の安全を知らない役所には、作業員に安全教育をしてその結果を書類に残すという【正解の安全手法】なものがある様です。
※安全に役所が関与してくると、無駄な書類ばかりが増えてしまう。←その良い例が、月に一度で半日以上の安全教育←大きな現場以外は実際は無理なので、テンプラ書類だけを役所に提出すると合格デス。
書類が無いと、自分が説明するのに困るからです。
話が脱線してしまいましたが、先ほども申したようにある程度の書類や日常の安全管理は必要ですが、安全に大切な大切な万が一の対応策についての教育は日本は殆んどなされていないのが実情です。
今回の原発事故においては、自分達の不十分な知識の中での事故を起さない努力や書類は山の様にあったと思いますが、100パーセント安全という事のない原発事故の対応は殆んどなされていなかったとしか判断出来ません。
その証拠に原発事故に対して、東電も、保安院も、経産省も、政府の役人も、国民の安全確保に対して十分に出来ていないのが現状ではないか。
今 原発で活躍しているのは、いつも危険と接している東電の協力会社の下請けの人、自衛隊、消防関係の職員だではないだろうか。
彼等はいつも危険と接しているので、本当の危機意識が強いのです。
今一生懸命に作業を行っている東電の協力会社の下請けの人達は、平常時には、今は殆んど無力の東電の社員に不安全行動を指摘されて安全アンゼンといい続けられていた人達だと思います。
私は日常の安全の努力を否定するつもりはありませんが、それでも事故は起きるのが当りまえと言った観点からの安全意識を高めなくてはならないといつも思っています。
なんだか要を得ない文章になってしまいましたが、少しでも私の考え方が分かってもらえばありがたいです。
我々の属する監督官庁もそうですが、事故は起こしてはならないと言うのは確かですが、起こさない為の指導は何でもやらせます。
しかし起こした後の対応は、ほとんど触れないのが実情です。
安全を確保する為にはあらゆる努力を惜しんではいけませんが、事故は必ず発生するという認識を持つのも必要だと思います。
安全管理は、先ず事故防止策と事後の対応策の両方が無いといけません。
しかし日本の安全管理者は、自分の責任に降りかかる事故を引き起こさない為の方策にだけ興味を示し、ヤレ安全会議だとか、安全教育だとか、安全パトロールだとか、安全書類だとか、KYミーティング等の安全策を末端にやらせる事において安全が保たれていると勘違いしています。
東電もその中の一つだと思います。
しかし現実に事故が発生した時の対応はごく浅い対策しか取っていないのが実情で、不幸にして事故や災害が発生した時は、安全管理者は安全書類が整備されているかとか、安全ミーティングは行っていたかとか、被災者の救護方法や容態の心配は二の次で少々方向違いの事ばかりに興味を示します。(何故なら事故が発生すると、監督官庁はその書類で安全管理を判断するからです。←書類のミスを見つけて業者の安全管理度を判断する。)
この社会で働いている限りは確かに必要な書類や打ち合わせは必要だと思いますが、それが網羅されていれば事故は発生しないかと言えばその様な事はありえません。
私はその様な安全管理に疑問を持ち、名古屋市緑政土木局の竣工検査書類に、安全書類が多い現場は事故が少ないのか?私はそうは思わない と書いた事があります。
そうしたら書類好きな、私から言えばバカな検査官がに睨まれた経験があります。
役所という組織は、バカの一つ覚えで、全て書類で判断したがるものです。
※本当の安全を知らない役所には、作業員に安全教育をしてその結果を書類に残すという【正解の安全手法】なものがある様です。
※安全に役所が関与してくると、無駄な書類ばかりが増えてしまう。←その良い例が、月に一度で半日以上の安全教育←大きな現場以外は実際は無理なので、テンプラ書類だけを役所に提出すると合格デス。
書類が無いと、自分が説明するのに困るからです。
話が脱線してしまいましたが、先ほども申したようにある程度の書類や日常の安全管理は必要ですが、安全に大切な大切な万が一の対応策についての教育は日本は殆んどなされていないのが実情です。
今回の原発事故においては、自分達の不十分な知識の中での事故を起さない努力や書類は山の様にあったと思いますが、100パーセント安全という事のない原発事故の対応は殆んどなされていなかったとしか判断出来ません。
その証拠に原発事故に対して、東電も、保安院も、経産省も、政府の役人も、国民の安全確保に対して十分に出来ていないのが現状ではないか。
今 原発で活躍しているのは、いつも危険と接している東電の協力会社の下請けの人、自衛隊、消防関係の職員だではないだろうか。
彼等はいつも危険と接しているので、本当の危機意識が強いのです。
今一生懸命に作業を行っている東電の協力会社の下請けの人達は、平常時には、今は殆んど無力の東電の社員に不安全行動を指摘されて安全アンゼンといい続けられていた人達だと思います。
私は日常の安全の努力を否定するつもりはありませんが、それでも事故は起きるのが当りまえと言った観点からの安全意識を高めなくてはならないといつも思っています。
なんだか要を得ない文章になってしまいましたが、少しでも私の考え方が分かってもらえばありがたいです。