確か、僕が小学校一年か二年生だった頃だと思いますが、父が家の飼い牛を柿木に繋ぎ、細い枝で牛の尻を思い切り叩いていた事があります。
その理由は、刈り取った稲を引く牛が人間の言うことを聞かずに、途中で動かなくなったからだったと思いますが、牛は叩かれながら悲痛な泣き声を上げて、まるでその痛さに涙を流して泣いている様でした。
僕は幼いながらにも、牛が可哀想に思えて仕方ありませんでしたが、当時は人間も生きるのが必死だったのです。
我が家はその牛が最後でしたが、水害で鉄砲水が我が家に押し寄せた時、その牛は小屋から逃げ出して、いつも働いていた田んぼに逃げていたと聞きました。
その話は今から六十年近く前の話ですから、今ではその牛も父もこの世には居ません。
この世は、こうした事の繰り返しの結果なんですね。
その理由は、刈り取った稲を引く牛が人間の言うことを聞かずに、途中で動かなくなったからだったと思いますが、牛は叩かれながら悲痛な泣き声を上げて、まるでその痛さに涙を流して泣いている様でした。
僕は幼いながらにも、牛が可哀想に思えて仕方ありませんでしたが、当時は人間も生きるのが必死だったのです。
我が家はその牛が最後でしたが、水害で鉄砲水が我が家に押し寄せた時、その牛は小屋から逃げ出して、いつも働いていた田んぼに逃げていたと聞きました。
その話は今から六十年近く前の話ですから、今ではその牛も父もこの世には居ません。
この世は、こうした事の繰り返しの結果なんですね。