たーさんの世界(意地悪じーさん)

ようこそ たーさん珈琲へ。
この珈琲は見るだけですのでお代は要りません。

牛が泣いた日(牛の涙)

2016年10月30日 | Weblog
確か、僕が小学校一年か二年生だった頃だと思いますが、父が家の飼い牛を柿木に繋ぎ、細い枝で牛の尻を思い切り叩いていた事があります。

その理由は、刈り取った稲を引く牛が人間の言うことを聞かずに、途中で動かなくなったからだったと思いますが、牛は叩かれながら悲痛な泣き声を上げて、まるでその痛さに涙を流して泣いている様でした。

僕は幼いながらにも、牛が可哀想に思えて仕方ありませんでしたが、当時は人間も生きるのが必死だったのです。

我が家はその牛が最後でしたが、水害で鉄砲水が我が家に押し寄せた時、その牛は小屋から逃げ出して、いつも働いていた田んぼに逃げていたと聞きました。

その話は今から六十年近く前の話ですから、今ではその牛も父もこの世には居ません。

この世は、こうした事の繰り返しの結果なんですね。

動物の感情

2016年10月28日 | Weblog
犬や猫、そして牛や馬にも人間に劣らない感情があります。

僕の幼い頃は動物に囲まれた生活をしていましたが、牛が悲しがる声や表情を見て知っています。

言葉が話せないだけに、今でも切ない気持ちになります。

確かに人を襲う動物は隔離しなくてはなりませんが、彼らも生きる為に必死であるには違い無いのです。

無意味な殺生はいけませんね。

孫の動画と写真

2016年10月28日 | Weblog
仕事の事で頭がいっぱいで眠れない夜、孫の動画や写真は僕の心を癒してくれます。

孫の無邪気な会話や表情は、何にも勝る癒しだ。

僕の両親や祖父母達も、同じ気持ちで接してくれていたのだと思います。

こうした愛情の継承が、いつまでも続く事を祈ります。

少しずつ

2016年10月27日 | Weblog
現場スタッフの協力で、少しずつですが現場の先が見えて来ました。

役所の人達も、其々の立場で協力してくれています。

我々の仕事は其々の立場で成り立っていますから、その其々の立場の人間が協力してくれないと、自分一人ではどうにもならないのです。

現場代理人(社長の代理人)は、客と業者の立場を踏まえ、客先に如何に信用して貰えるかが大きなポイントになります。

その為には、相手を怒らせ無い様にしながら、此方が言うべき事をキチンと伝え、やらなければならない事を要領良くならねばなりません。

僕も100パーセントの事は出来ませんが、やらねばならない事を全力で取り組みます。

ですから、無駄な議論や会議はやりません。

残念ながら、わが社は会議が多い会社です。



昔から、会議と書類が多い会社の発展は無いと言われています。

我々は書類を作る事が本業ではなく、モノを作る事が本業なんです。

書類作りに追われ、モノ作りを後回しにしてはいけません❗

夜の歯磨き始めました

2016年10月24日 | Weblog
若さを保つ大切なモノに、自分の歯の維持があります。

今夜から、夜の歯磨きを始めました。

液体歯磨きのガムを使い、寝る前に歯磨きをします。

八十才を越えても自分の歯を保ち、いつまでも若々しくしています。

又、昼休みを使って散歩と空手の練習を、毎日一時間半ずつ実行しています。

突きと蹴りで足腰を鍛え、ヌンチャクで反射神経の衰えを防ぎます。

薬は飲んでいるものの、空腹時の血糖値は100を切る様になったし、朝の血圧も120代と70代に下がっています。

老後の蓄え

2016年10月23日 | Weblog
正直な話し、僕らの年代は、老後の蓄えしていくら有れば良いのか分からない。

65歳で会社を辞めるのと、70迄働くのでは違って来ます。

仮に70才迄今の会社で働いたとしても、僕は少なくとも75才迄は何処かで働くつもりです。

其はおそらく交通誘導の仕事だと思いますが、月々20日位働けば、毎月額面で16万位になるので、自分の小遣いにはなると思います。

其から後はノンビリしたい。

だから、今の内に貯蓄に励みます。

最近興味を持った歌

2016年10月23日 | Weblog
親父が酔っ払うとよく歌った歌は村田英雄の人生劇場という題名の歌ですが、僕はこの歌はそれほど好きではありませんでしたが最近はよく聴きます。

それは親父が、どんな人生を送って来たかのヒントが隠されているように思えるからです。


好きな歌はその人の人柄が出ている様に思えるのです。

僕は演歌、右翼の歌、ムード音楽 等幅広く歌えると思っていますが、それはいい加減で適当な人格と意味でしょうか。

今日のスーパーにて

2016年10月23日 | Weblog
今日のスーパーで、母娘と思われる客を見かけました。

娘さんは二十歳少し過ぎの初々しい感じで、母親はも年齢的には若くて美しく見えました。

娘さんは年齢的には成人しているとしても、母親と一緒の光景では、やはり昔のままと思う様な母親の後を追う子供の雰囲気が出ていました。

二人は親子の買い物を楽しんでいるようで、僕は昨日と同じに、暖かで幸せな気分を頂きました。


僕は母を亡くして18年が経ちますが、母親に会いたい気持ちは今でも変わりません。

一人でいるときこの年齢で、『お母さんお父さんお婆さん』と呼ぶのはおかしいかも知れませんが、これが僕の現実の姿なんです。


年々経っても親は親であり、子供は子供です。

きっと死ぬまでこれは続くでしょう。

会話

2016年10月23日 | Weblog
先日の事ですが、近くのスーパーに買い物に立ち寄った際に、老人(僕と同年代位)が女の子のお孫さんと手を繋ぎ、駐車場のブロックで遊ばせている光景が目に入りました。

あまりに微笑ましい光景だったので、僕が二人に近づいて行き目を細めて眺めていると、その老人と目が合い、彼も僕に微笑み返してくれました。

その遊ばせている様子から、老人のお孫さんに対する暖かな気持ちが僕の心に伝わって来ました。

僕は少しその様子を楽しませてもらっていましたが、老人とお孫さんがその場を離れる時に、老人はただ一言『どうも』とだけ言い残して自分の車に乗り込みましたが、僕は初めての相手と十分な会話を交わせた様な幸せな気持ちになりました。

難しい現場

2016年10月23日 | Weblog
今の現場が大変なのは前任者のせいだけでなく、元々難易度の高い現場でした。

この現場が仕上がるのはおそらく今から一年はかかりますから、その時は僕は66才を越えています。

もしも次も難しい現場の責任者とされたら、僕は断るつもりです。

やって出来ないとは思いませんが、70歳近い高齢者になっても難しい現場をやるつもりは無いからです。