僕の業種もそうですが、仕事の結果を書類に残すと云う二次的な仕事の方が年々忙しくなっています。
その理由は、説明を求められた時に何か形のあるモノを示して、我々はいつもこの様な仕事をこの様にこなしています。
そしてその結果はこの様で間違いなく確実に行われています。
と云う様な説明を仕事の内容を求めて来た者に対して、分かりやすく説明する為の書類となっています。
つめり説明を求められたモノが、責任を持たない為の書類作りの意味が大きいのです。
僕はいつもこの様な馬鹿げた書類作りに対して、ある種の疑問を感じております。
特に役人(官僚)は責任を取らない階層なので、下部組織に書類の提出を求めたがるのです。
全て書類です。
我々土木屋の基本はモノ造りですが、最近はパソコンできれいに整えた書類提出を求められます。
モノを作っているのか、それとも書類を作っているのか分からなくなる時が間々あります。
ですから最近の土木屋は、決められた事を決められた様に行う事は得意なようですが、その先にある不確定要素の対応にたいしては弱い面があります。
今は殆んど全ての業界がこの様な傾向にあると思います。
例えばビニール袋の製品の取り扱い説明書にも、注意書きに【
頭に被らない】と書いてある例がある様ですが、どうせなら女性下着にも書いたらどうだろうか
と思います。
本当に最近はおかしな事が横行し、公園にも【ここでは大声を出さない】等の子供向けの注意書きもあるようです。
不要な過度の書類を求めたり、馬鹿げた注意書きを書いたりしなくてはならない世の中に、僕はある種の危険な傾向を感じております。
僕の卒論の先生は、『たーさん
学問でも数字なんてものは、どのようにも書き換えられるんだヨ。
』と云うのが口癖でした。
我々はきれいにまとめられた文書を読むとき、これが果たして事実なのかを疑って読む事が大切です。
空港や高速道路の将来見通しを国土交通省に都合よくでっち上げられた事実は、まさしく【書類は単に書くだけ】という現実の良い例なのです。