たーさんの世界(意地悪じーさん)

ようこそ たーさん珈琲へ。
この珈琲は見るだけですのでお代は要りません。

何とか

2015年04月29日 | Weblog
新幹線の二時間半の遅れで、何とか名古屋の家に帰れそうです。

改札口の若い駅員は焦って大声で誘導していましたが、僕も焦りました。

原因は架線の故障の様でしたが、安全な新幹線でも、やはり機械ですからあり得ます。

多少のトラブルはあったかも知れませんが、思ったよりもスムーズな動きでした。


新幹線が(-_-;)

2015年04月29日 | Weblog
何十年ブリで女房にプレゼントを買ったら、雨が降るどころか、東北新幹線が止まった。

ついでに小倉でも、新幹線が事故で止まっているらしい。


盛岡駅で特急券の払い戻しを駅員に聞いたら、相手がすっかりナマッテいて、全く聞き取れません。

将来が不安?

2015年04月29日 | Weblog
数年前に女房が、僕に将来が不安だと言った。

だけど僕は、彼女が何で不安なのか分からなかった。

自分が働けば何の不安もないから、そう心配する必要は無いのです。

全く心配する必要はありません。

僕はこうして働いています。

いよいよ連休

2015年04月29日 | Weblog
いよいよ、僕も連休の始まりです。

今まで地元の会社のときは連休は暦通りでしたが、今年からはまとまった休みが取れます。

中には15連休の社員もいますが、僕は現場があるので会社の連休に従います。

連休と言ってもやらねばあらない事が沢山あります。

例えば信州の田舎の草退治とか、叔母の病気見舞いとか、女房の実家への送り迎えとか、バイクや自動車の洗車とか、何しろいろいろあります。

でも、孫達の顔が見られるのが何よりの楽しみです。


これから二戸駅まで車で走ります。

そして新幹線です。

偏向報道

2015年04月28日 | Weblog
NHK、TBS、フジテレビ、テレビ朝日は、北朝鮮と韓国に乗っ取られ、半島人に都合の良い偏向報道がなされていると聞いていますし事実そうです。

その経緯は、最初は半島の人間に言いがかりを付けられて職員の在日枠を設けた事から始まりますが、やがて在日枠の半島の人間が重要なポストに着き始め、報道番組の筑紫哲也の様な人間迄が現れる様になりました。

更にバブルの崩壊で、民法のスポンサーがサラ金やパチンコ関連の業者が増え、テレビ局が彼等の意に沿った報道をするようになった様です。

NHKも其れに準じた経緯をたどっている様ですが、憲法九条を変えると日本が戦争に突き進むが如くの報道をしたり、閣僚の靖国神社参拝を特別な事の様に取り扱ったりして、本来の日本があるべき姿から遠ざけている様です。

我々日本人は本来の日本を取り戻すべく在日の言動等に注視し、日本が本来あるべき姿を取り戻しましょう。

こう書くと、僕は日の丸を掲げた外宣車に乗っているエセ右翼と重ねる方もいるかも知れませんが、そもそもエセ右翼の連中は半島系の人間の集まりで、本来の日本人のあるべき姿とは違います。

目を覚ませ、日本人




復興大臣来る

2015年04月27日 | Weblog
僕の現場事務所の近くに視察に来た竹下復興大臣が、僕の現場事務所を訪れました。




わざわざ訪れてくれた大臣にが握手を求めてきたので僕も快く応じ、立派な施設を作りますからと約束しました。

其の後で僕は、私は自民党を応援しているが、中国や韓国に負けちゃあダメだと大臣に渇を入れてあげました。





これがマスコミの実態です。

2015年04月27日 | Weblog
ベトナム戦争時代に、ベトナムに韓国軍の慰安所があった事実を報道した、TBSの山口ワシントン支局長を出勤停止の後に左遷させた様だ。

前にも書きましたが、韓国はベトナム戦争で女性を性的暴行を加えたり、一般村民の大虐殺を行った事実があるようだ。

何が過去の過ちだ

何が正しい歴史認識だ

何がお詫びだ

何が従軍慰安婦問題だ

チョーセンの方こそ、受けた恩を忘れずに、そして自分達の蛮行を恥じるべきだ。


マスコミは、きちんと事実を伝えるのが本来の仕事であって、事実をねじ曲げる報道操作をしてはならない

孫達に囲まれるとは

2015年04月26日 | Weblog
よく【孫達に囲まれる】という言葉を耳にしますが、ようやくその言葉の持つ幸せが理解出来る様になりました。

僕の孫達は未だ小さいのですが、もう少し大きくなり孫達に囲まれジイチャン等と呼ばれたら、僕は泣いてしまうかも知れません。

そう言えば、娘の結婚式で僕は最初から最後まで泣きっぱなしていたのを思い出しました。

特に最初に娘の花嫁姿を見たときは、声を出して泣けました。

その気持ちは嬉しいとか悲しいと言ったものではなく、子供の頃から立派に成長した娘の姿が一度に甦った感情とでも言いましょうか。