たーさんの世界(意地悪じーさん)

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孫娘との会話

2016年06月29日 | Weblog
今日は、孫娘と電話でお話をしました。

孫娘は二歳半ですので、未だ彼女が話している内容は分かりません。

ただ、アンパンチ(アンパンマン)とミミ(ミッキーマウス 又は ディズニーランド)とハークン(七ヶ月になる自分の弟の名前)とジーちゃん(勿論、僕の事)位は分かりましたが、その他は、まるで中国語を聞いているみたいで、最後に娘に通訳して貰いました。

娘が言うには、孫娘はディズニーランドに行くのをとても楽しみにしているみたいで、その事を僕に話していた様なんです。

ですから孫娘は、途中で楽しそうに、『ハハハッ』と可愛く笑いながら話してくれていました。

孫との会話に癒されました。

肌が合わない人

2016年06月28日 | Weblog
この世には、肌が合わない人は居るものです。

肌が合わない理由は理屈ではなく、感覚的なモノです。

その人はよく話しかけて来るので、僕は音楽を聴きながら仕事をしています。

同じ事を何度も聞く、やると言ってもやらない、話し方がまどろこしい、腹を据えた仕事をしない等色々有るが、仕事が妙に遅いのは、前の現場の誰かに似ている。

孫娘の写真

2016年06月26日 | Weblog
自作のアンパンマンのお面を被った、孫娘の写真が送られて来た。

そのお面は大人から見れば何が何だか分からない様なお面ですが、孫娘からすれば大切な宝物なんでしょう。

その様子が、またたまらなく可愛い。

子供って、本当に癒されます。

いつまでも今の孫達を見ていたい。


若い頃の思い出

2016年06月26日 | Weblog
結婚前の僕は無性に空手をやりたくて、複数の知らない道場に顔を出して、其処の道場生と組手をしたものでした。

それは道場破りとはチョッと違い、単純に組手をしたかっただけなのです。

今考えてみれば、よくやったなあと思います。

今でも、若い人をつかまえては、簡単な組手の研究をする事がありますが、とても楽しいのです。

父と同じ

2016年06月26日 | Weblog
父は生前、小さな子供を見ると可愛いと思うと話していた事を思い出します。

今の僕は、まさしく父と同じで、小さな子供を見ると笑みが自然にこぼれて来ます。

スーパーに行くと、パパやママの買い物について来ている小さな子供を見ますが、僕はその子達も可愛いと感じます。

きっと、父も同じ気持ちで子達を見ていたに違いありません。


父は病室で、自分の曾孫の写真を、嬉しそうに目を細めて見ていました。

一度で良いから曾孫を抱かせてあげたかったが、その後数日で老衰で亡くなった父には無理だったかも知れない。

母は勿論、曾孫の存在は知らずに亡くなりました。

母や父に、曾孫を抱かせたかった。

前向きに年を重ねたい

2016年06月26日 | Weblog
年を取るに従い、出合いよりも別れが多くなります。

そうした環境に流されると、やはり精神衛生上良くありません。

そうした事が重なると、やはり顔の表情や考え方にも影響してきて、生き生きした老人になれません。

僕は生きている間は、若々しい表情をした人間でありたい。

ではその為にはどうするかと言った具体的なモノは有りませんが、今は仕事を積極的に且つマイペースで行う事と、適度な運動を心がけています。

それともう1つ、鏡に向かう時間を増やしています。

最近見る夢

2016年06月26日 | Weblog
若い頃に見た夢は、楽しい内容が多かった。

しかし最近の夢は、変な内容の夢が多くなった。

例えば昨夜見た夢は、愛犬が風呂に溺れて水を大量に飲んでしまった夢を見ました。

水を吐かせて息を吹き返しましたが、とても切ない夢でした。

その夢の原因は親族がくも膜下出血で風呂がで倒れ、家族が見つけて水を吐かせたという事を聞いたからだと思うし、先日も、その仏さんが夢の中に出てきたのです。

自分ではその死はショックだたのでそのその影響が残っていたんだと思いますが、最近の夢で楽しい夢を思い出そうとしても記憶にありません。


年をとるという事は、夢にも変化があるのかも知れませんね。

電話の向こうで

2016年06月25日 | Weblog
ちょっとした用件で女房に電話を入れたら、電話の向かうから、子供がはしゃぐ声が聞こえて来た。

おそらく、おてんばな孫娘がはしゃいでいる声だ。


あの子は元気が良いので、お店に行くと、後ろを付いていないと何処かに行ってしまいそうな程だ。

娘は元気な孫に、何かスポーツをやらせたいと言っています。




人の一生

2016年06月21日 | Weblog
若い人の葬儀に出て、人の一生って何なんだろうと考えました。

祖母もよく言っていましたが、死んでしまえば全ては終わります。

その後、家族がどうなっても、嬉しいとか悲しいとか思いません。

其までは、家族の為にと骨身を惜しんで働いた人も、心臓が止まった時点で全て無になってしまいます。

ただ、残された家族には思い出として強く心に残ります。

そう考えると、生きている間に家族や人の為に一生懸命に尽くせば、その後も何らかの事で残された人たちの心で生き続ける事が出来るのかも知れません。


己が如何に人の為になれるかで、その人の価値が決まるのだと思います。