たーさんの世界(意地悪じーさん)

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明日から二月

2015年01月31日 | Weblog

明日から二月ですね。

 

昨年の今頃は大変でした。

 

入院させた父が一時退院して家に戻ったのですが、二月のある日、僕が週末に帰省した丁度その日、父がパンツの中に大量の大便を漏らしたのです。

 

それは父には勿論ショックだったと思いますが、僕にもショックな事でした。

 

それだけ父は弱っているという現実を、目の当たりにしたからです。

 

年始の時に親父は桜の咲く頃に急変すると伝えた事が、悲しい現実味をおび始めたからです。

 

僕はこの時点で、父の死を現実のものとして覚悟し始めたのです。


人の人生とは何?

2015年01月30日 | Weblog

人の人生っていったい何なんだろうと単純に考えてみます。

 

その答えは人様々だと思いますが、自分の考え方はきちんと持っていた方が充実した人生を過ごせるように思います。

 

では、僕の人生って何と考えてみます。

 

それは堅苦しく考える事もありませんが、僕はやりたい事をやって死ぬ事が良いのかナアなんて思ったりもします。

 

やりたい事と意っても漠然としていて何だか分からないと思いますが、社会人としての中でやりたい事ですからそんなに特異なことではありません。

 

やはり、自分らしく生きるという言葉になるのかナアなんて思います。

 

では自分らしくとは何かと考えます。

 

自分らしくとは、人と協調はしても諂わないと言う事かも知れません。

 

 

昔の僕は、どちらかと言うと虚弱体質で神経質で直ぐに涙を出す子供でした。

 

直ぐに泣く僕に、父は男の子は泣いちゃあ駄目だと言って叱られたりもしましたが、その父の叱りで又涙が出たりもしました。

 

しかし僕は父が言った言葉を今でも覚えていて、何か困難にぶつかっても涙は出さない様に必死で堪える繰り返しでした。

 

そのうちに要領を覚えてきて、困難をできるだけ避ける様になりました。

 

それが仕事のやり方にも現れているのかも知れません。

 

 

困難に直面しても自分の力で乗り越えるのが、僕の生き方なのかも知れません。(場合に寄ったら困難を克服できない場合もありますが、そんな時は、流れに身を任せる事も大切です)


交通誘導員の仕事は面白い

2015年01月29日 | Weblog

Kさんの言い方からすれば、交通誘導員をしている人間の多くは人生が殆んど終わりになっている人間なのだそうですが、僕は何故だか、この仕事が面白くて仕方ないのです。

 

と言うのは、交通の流れが赤白の旗の動き一つで変えられるからです。

 

旗の動きの如何で自動車の動きが自由に変えられるので、ストレスの発散には持って来いなのです。

 

しかも健康に良いしその上お金まで貰えるのですから、こんなに良い仕事はありません。

 

勤務は自分の都合で変えられるし、大した責任もないし、何故かは分かりませんが、仲間のガードマンとの話にも結構合わせられるし合うのです。

 

僕は最近、自分にはガードマンの仕事が向いているのかも知れないと思うのです。

 

そう言えば、中学の音楽の研究授業で僕はクラスの合掌の指揮をした事があります。

その時の先生方の僕の指揮の評価は素晴らしいの一言で、全員が僕の指揮棒に合わせて歌っているという様な評価でした。

 

しかし実際は、クラスの者が僕の指揮に合わせて歌っているのではなく、僕が歌に合わせて指揮をしていたのです。)

 

こんな訳で、僕は白旗の先の動きで自動車の流れを操作するのですが、先ほど書いた今日初めてのKさんにも、僕の旗の振り方が信じられないくらい上手だとまで言われました。 

 

僕って振りの天才?

 

 

 今日も作業をしている若い子(作業業者の社長の息子)に、『オッチャン、初めてだね。いつも何処に居るの?』と作業の終わりに声を掛けられましたが、僕は『あっちこっちヤ。』と答えておきました。

 

 


世間は狭い

2015年01月29日 | Weblog

今日のアルバイトで一緒に誘導した人(Kさん)は、以前にもこのブログで取り上げた岡崎高校卒業で、毎日スロットに行っていたガードマン会社の社長の事を偶然にも知っていました。

その社長の名前はSさんと言いますが、もう数年前にそのパチンコ屋で偶然再会し互いに住所と電話番号を交換しあった人なのですが、今日一緒に仕事をした人が言うには、警察上がりのSさんは気が短くて好き嫌いが激しく、嫌いな人には全く口も利かないばかりか名刺さえ渡さない人だったようです。

 

しかしSさんは僕に電話番号と住所まで教えてくれたのですが、Kさんが言うには、気難しいSさんがそうする事は本当に稀ではないかと言うのです。

 

Sさんが今でもご健在なら、一度電話でも良いのでもう一度話をしてみたいと思い、ガードマンのKさんにSさんの電話番号を調べて欲しいと頼んでおきました。

 

そんな話をしている中で、Kさんが以前は名古屋の飲み屋街(錦三丁目)の一流クラブを飲み歩いていた事も聞きました。

名古屋の老舗クラブの中にWA○○というクラブがあり、当時でも座って五万円超えの高級クラブでした。

Kさんはそのクラブに毎晩通っていて、ママさんに洋服まで作って貰っていた様です。(理由は想像でわかりますが、ここでは具体的な話は伏せておいた方がよさそうです。 たぶんKさんの身内の関係だと思います。)

しかもKさんは、僕がいつも行っていた馴染みのクラブの四軒をも知っていたのですが、様々な会話の内容からして彼の過去の話しは全く嘘ではなさそうです。

Kさんは会社を潰して今ではしがないガードマンなのですが、人の人生はいろいろです。

本当にこの世界、吹き溜まりの業界(Kさんもそう言っています)なのですが、いろんな人が居て面白いのです。

内緒の話ですがKさんは面白い事に、借金の取り立てにヤクザの事務所にまで押しかけたようです。

ヤクザが借金の取り立てに家に押しかけた話は聞きますが、借金の取り立てに組事務所に押しかけた話は初めてです。(笑)

そのKさんも、今では歯が半分抜け落ちガン治療を行って皆に慕われる優しいおじいさんなのです。

 

 

明日のアルバイトは、天候が思わしくないのでお休みとして土曜日に振り替えました。

 


岩手行きは、やはり二月中旬か

2015年01月28日 | Weblog

自分の現場の工程表を作成して会社に送りました。

 

工程表では、僕が早く岩手に行かないと現場が間に合わなくなる恐れがあります。

何しろ僕の現場の監理技術者は、今までに現場の経験が全くない人なのです。

しかし正直に僕に何でも話してくれるので、僕はその人を育てようと決意しました。

 

本来なら工程表は監理技術者が作るべきもので、現場代理人の僕が作るべきものではありませんが、監理技術者が正直に自分では作れないと助けを求めてきたので僕が代わりに一つ返事で作ったのです。

 

四十年も現場一筋で来た僕は、人から見れば生き字引か神様のような存在なんでしょうね。

 

考えてみれば、僕は理屈は言えるしハッタリも効かせられる、その上現場で職人さんと一緒に仕事も出来ると思っています。

 

それだけで、土木技術者として十分だと思います。

 

だけど、構造力学的な計算は苦手です。

 

考えてみれば、以前は某圧力団体の人、旧道路公団のトップに近い人、議員さん、市役所の幹部、電力会社のエリート、大手設計会社の幹部さんたちとも毎晩飲んでいた時期もありました。

懐かしい思い出です。

 


お・も・い・や・り

2015年01月27日 | Weblog

先日の話です。

交通誘導の仕事をしていると、可愛いワンちゃんを抱っこした60代半ば過ぎと思われるご婦人が僕に話しかけて着ました。

 

よくよく見ると、そのご婦人がワンちゃんを抱っこして公園にいたのですが、そのワンちゃんが僕になついて来たので一言二言話しかけたご婦人でした。

 

 

警備も忙しくなかったので、いろいろと孫の話や世間話などをしたのですが、僕がこの交通誘導はアルバイトで、アルバイトで稼いだお金は自分の事に使いたいともお話したのです。

するとご婦人は自分の旦那さんも週末にはアルバイトをして、給料よりも良いお金を貰い趣味の鳩につぎ込んだ話を始めました。

 

 

暫くアルバイトの話を聞いていたのですが、僕は旦那さんは現在は何をしているのかと尋ねたところ、ご婦人は『遠いところに旅にでました。もう12年も経ちます。』とちょっと寂しそうに話し始めたのです。

 

そして僕に、あまり頑張り過ぎてもだめだとも忠告してくれました。

 

更にご婦人は、『あっちは余程良いとこらしくて、行ったきりで一度も私の前に現れないんです。夢にも出てこないんです。』とも言うのです。

 

ですから僕はそのご婦人を慰めるために、『聞くところによれば、あっちの世界は酒は旨いし姉ちゃんはきれいだと言うから、戻って来たくないんじゃあないかナア。  それだし、急に戻って来て夢枕に立っても困るしネエ。』と、優しく お・も・い・や・り の気持ちで答えてあげました。

 

ご婦人はそれから少し話したあと、急に用事を思い出したのか家の方に行ってしまいました。


孫の話

2015年01月25日 | Weblog

僕の孫は今が成長の盛りです。

日に日に孫が成長する様子が分かります。

最近は戸棚からモノを引き出したり仕舞ったりもするようになったり、大人を怒ったりしたりもします。

 

ウンコがオムツからはみ出すぐらい沢山食べます。

 

言葉はまだはっきりとは話せませんが、何しろ大人の真似をしたり、バイバイやゴーシゴシ(風呂で体を洗う真似)や名前を呼ぶと手を上げてハーイ等が出来ます。

 

階段を上がったり何にでも興味を示すので、パパやママは目が離せません。

 


シリア人質事件

2015年01月25日 | Weblog

シリアの人質事件の報道に対して、僕はとても複雑な心境で見ています。

 

争っている双方はそれなりの理由があると思いますが、それに日本人が巻き込まれてしまった事はとても残念です。

 

日本政府も難しい対応を余儀なくされていると思いますが、人質安全救出を祈ります。


老いてますます

2015年01月25日 | Weblog

僕はお金は一つのバロメーターだと思っているので、大切なモノだとは思いますし欲しいモノであるには違いありませんが、極端な執着心はありません。

 

そうした観点で、今日の投稿を読んで下さいね。

 

以前ここで前の会社に在籍しているとき、年収を1500万になる様に頑張ると書き、女房と娘に笑われた事があります。(前の会社時代は、年金と合わせても400万あるかないかでした。)

 

しかしソコまでは無理だとしても、65歳を過ぎると、大台に乗れるかも知れないと思う今日この頃です。

 

勿論、本業だけでは無理ですが、年金とアルバイトを含めると、其も決して夢ではなく思います。

 

僕の夢は老人らしくないジジイになる事が夢ですから、バイクに乗り、背筋をキチッと伸ばして歩き、そして年収もソコソコのジジイを目指します。

 

歳を取れば取るほど、年収が増えるジジイって面白いと思いませんか?

 

だけど、65歳になったら、名古屋市の敬老パスを貰って、孫たちと動物園に遊びに行くのも夢です。