たーさんの世界(意地悪じーさん)

ようこそ たーさん珈琲へ。
この珈琲は見るだけですのでお代は要りません。

お金貸してけろ

2013年11月29日 | Weblog

東京都は、無利子、無担保、無催促でのお金の貸し借りが普通のようですね。

猪瀬君僕にも東京との予算から、無利子、無担保、無催促でお金を用立ててくれんかね。

そのお金は、決して僕が貰うのではなく、あくまでも借りるんだからね。

猪瀬君頼むよ。


嗚呼 我が空手部員(条件反射編)

2013年11月24日 | Weblog

 大学時代の空手部から、金送れ の郵便物が届きました。

昔の空手部は強制アルバイトがあったので、そこから空手部の運営費を捻出していたのですが、最近はそうしたアルバイトが不評で部員が集まらず、やむ得ずOB達におねだりしているようです。

後輩達よ、僕は12月の賞与が入ったら現金を送るから待ってておくれ。

 

金送れ の郵便物に、僕が三年生だった時の一年の後輩の挨拶文が入っていました。

彼は全国◎学校空手連盟の重鎮に就任しているとの事で、空手の世界では出世しているようです。

 

そのT君には楽しい思い出があるので、ここでご披露します。

 

僕達が一年生だった時の三年生は随分と真面目な学年で、合宿や練習はきちんとやっていたのですが、僕達が三年生になった時その反動が出たのか、普通の練習では、下級生達は僕達の生きた標的にされたり、毎夜毎夜が宴会と化した合宿では、僕達のオモチャニされたりしたのです。

 

今では考えられない事ですが、下級生にオールヌードで型をやらせたり、すっぽんぽんの姿で大通りを走らせたりしました。

それとか、熟睡している下級生のオチンチンに赤チンを塗り、翌朝、彼らのその反応を見たりもしました。

 

それから時が過ぎ、今から二十年ほど前に空手部創設五十年のパーティーが開催されたのですが、その時例のT君も出席していました。

 

一次会のパーティーが終わり気の合う学年同士でニ次回に行きましたが、僕達の学年はやはり下級生だったT君の学年のOBを連れて甲府のクラブに行きました。

そこでは昔の懐かしい話題で楽しんでいたのですが、丁度その店に僕より三年先輩のOBから電話が入り、【T君は県の教育界を背負って立つ人物なので、決して外で下品な行動をさせてはならない。】というような忠告でした。

 

そこでT君の席に目をやると何故だか彼は席におらず、時既に遅く、彼は店のカウンターでパンツを下し、おオチンチンと菊さん丸出しで チョットだけよ をノリノリで演じているではありませんか。僕は、必死でT君の局部を隠すのがやっとでした。)

 

やっと引き止めたT君は、『たーさん先輩の顔を見ると、何故か急に脱ぎたくなって』と言っていましたが、僕達は後輩に変な癖をつけてしまったようです。

でも今考えると、楽しい空手部でした。

 

 


僕のW650

2013年11月16日 | Weblog

最近は車での通勤が多くなっているので、バイクに跨るのは月に数えるほどです。

だけど、毎日とは言いませんが、マメにバイクを磨いています。

W650は磨けば磨くほど輝いてくれ、セクシーな車体を魅せてくれます。

 

僕のダブロクはキャブ式なので、定期的にエンジンをかけないといけません。

乗れないときは、二週間に一度はエンジンをかけアイドリングします。

 

今日もアイドリングしながら、明日の天気を見て少し走らせようかと考えています。

あのなんともいえないダブロクのエンジンの響きが、僕には堪らないのです。

 


その後の経過

2013年11月16日 | Weblog

仕事の話です。

例の現場のその後の経過ですが、有利な設計変更に持ち込むのはかなり難しい状況です。

 

と言うのは、例の有名な係長は現在は表舞台には現れず、自分の部下に僕との対応を任せています。

その部下の役人と話と、何かにつけて係長が…という言葉が出ます。

おそらく係長はこちらの交渉の経過と、こちらの施工の落ち度などを細かく観察していることだと思います。

こちらの出方を観察してこちらの弱点を探し出した時は、ヒステリックな言葉でこちらを被せてくるはずです。

 

現在のところ当方の弱点は見せていませんし、どちらかと言うと、役所より先んじた物事の進め方をしています。

 

 

ポイントは、前回不調に終わったもう一つの物件の再入札が、今回も不調に終わると面白い絵が描けるのです。

しかし先週の木曜日に改札されている筈なのに、今日の時点では不調の公告がなされていないのが心配です。

 

 


涙が出てきました

2013年11月11日 | Weblog

全国規模の大手スーパーで買い物をしましたが、今日は【黄色いレシートの日】と呼ばれる慈善の寄付の日だそうで、集めた黄色いレシート金額の1パーセントが福祉の寄付に充てられるのだそうです。

そうした試みはとてもいい事だとは思いますが、実は、僕はそのレシートの集め方を見ていて涙があふれ出てきたのです。

これは僕の偏見かも知れませんが、レシートを集める呼びかけに身障者に健常者が付き添っていたのですが、僕はその光景は見るに耐えないものでした。

 

もしその中に僕の子供が居たとすると、即座にわが子を連れ戻したと思います。

というのは、レシートを集める箱を彼らの首に掛けさせて呼びかけていたのです。

その光景は、昔の縁日にいた傷痍軍人の姿そのものでした。

確かに彼らは手足が不自由だから仕方ないとは思いますが、人前で首からモノをぶら下げて黄色いレシートの協力をたどたどしく叫ぶ光景は、僕にはとても耐え難い光景としか映りませんでした。

もしその箱が、車椅子の横にあるテーブルの上に置かれていたのであれば、そこに身障者のわが子が居たとしても、頑張っているんだなと嬉しく思ったでしょう。

 

僕は一人の身障者の首から下がった箱にレシートを入れ、一目散でその場を離れ、流れ出る涙をぬぐいました。


よかったァ

2013年11月10日 | Weblog

今年は親父に、念願のきのこを食べさすことが出来て良かったです。

そのきのことは、田舎ではオショウニンと呼び、岐阜ではロウジと呼ぶ、クロカワというきのこです。

 

このきのこを焼いてショウガ醤油で食べると、ほろ苦くて最高なんです。

そして親父が一番好きなきのこでもあります。

マツタケより少ないという人も居るほどこのきのこは滅多にお目にかかれませんが、幸いな事に、今年は田舎のあんしん市場にありました。(先月の連休のことでした)

昨年は全くありませんでしたので、このきのこを見つけたときは、直ぐに親父の喜ぶ顔が目に浮かんだのです。

 

先ほどパソコンで調べたら、理由は分かりませんが、このきのこは男性が食べ、女性はあまり食べないようです。

女の味覚は未熟なんですね、きっと。

 


わが社自慢

2013年11月10日 | Weblog

わが社はこじんまりした家族的な会社で、職人さんや社員が20名程度の小さな会社です。

 

社長は職人さん上がりで、自分が動く事に違和感が無いようで、朝も一番早く出勤します。

そして機械の手入れをしたり、ゴミを車に積み込んだりしていますが、それをごく自然にしているのです。

社長は人間味溢れる人柄で、僕は大いに大好きで尊敬出来る社長です。

 

社長の子供は一人娘で、昨年結婚して、今は女の子の母親兼事務員として働いています。

 

本来は娘婿が、社長に代わっていろんな事を処理しなくてはならないのですが、彼はこの業界経験が浅いのと性格が優しいので、実質的には、娘が陰で力を持ちはじめています。

彼女も性格が良く、一生懸命さが伝わって来るので、僕は彼女の為にも頑張ろうとしています。

 

しかし彼女もまだ若いので、仕事に対する考え方が甘いのです。

先日も甘い考えを言ったので、僕は娘に『この会社はボランティア団体か』と叱ってやりました。

 

そんな感じの良き会社員です、


ネコ

2013年11月09日 | Weblog

姿を見せなくなり心配していた白猫のミャが、今回の帰省に、家の前の道路上座って僕の方を見ていました。

直ぐにミャーを呼び、『何処に居たんだ、心配したじゃあないか。』と話しかけ、早速ご飯を与えました。

 


ご冥福をお祈り申し上げます

2013年11月09日 | Weblog

     

 

私の空手の師である金城 裕先生が、先月の10日に94歳のご長命で亡くなられました。

 

ここに謹んで、先生のご冥福をお祈り申し上げます。

 

僕が今まで人生の修羅場に立ち向かうことができたのは、先生が師範をされていた山梨大学空手部時代を体験し卒業したお陰と信じております。

道場へ来られる先生は、いつもダブルのスーツ姿で、頭は坊主にされていました。

先生の指導の多くは単なる稽古ではなく、多くの時間が空手の哲学にさかれておりました。

空手は徹底した合理的哲学に基づかれなくてはならないとか、武士はお金に無頓着でなくてはならない等、先生の空手に対する愛情が溢れた説明が多く、糸洲安恒先生の教えも多く語ってくれました。

先生の空手人生の多くは空手の評論に向けられ、先生ご自身の道場は持っておられませんでした。

 

しかし先生の空手の実力は素晴らしく、嘗て先生の一番弟子であった試割りで有名な藤本貞治先生(現 尚武館館長、空手道連盟世界大会前監督)をして、私は組手をしても金城先生に指1本触れることが出来なかったと、僕は藤本先生ご本人からお聞きしました。

 

また僕の息子が日本空手協会のお世話になり、他の協会有段者と一緒に十数年ぶりに型をしたのですが、その時、金城先生のいつもの空手に対する考え方に注意して演武を行なったら、空手協会本部の重鎮である大坂可冶先生から、何と僕の型を真っ先に誉めていただいたことがありました。

それは僕の型が上手というよりも、大坂先生の方に対する考え方と金城先生の型に対する考え方近いことを意味すると理解しています。

 

僕は今も少しですが、金城空手を忘れまいと稽古を続けております。

先生からすれば、僕は出来の悪い一門下生に過ぎないと思いますが、僕は金城空手を先生から教わった誇りを忘れないようにします。

 

 

 


殺し文句

2013年11月09日 | Weblog

最近になりつくづく思いますが、還暦過ぎの技術者は、相手から単なるジジイ技術者と思われるか、それとも熟練した知識豊富な円熟技術者と思われるかのどちらかの様に感じます。

先日も書きましたが、今度の現場は、施工条件が極めて厳しいうえに市の担当係長が有名な人なので、知らないで当社だけが破格の値段で落札してしまったとんでもない物件なのです。

しかし営利企業である限り、どんなに困難な現場であろうが、担当した限りは最大限の努力をするのは当たり前で。

 

そこで僕が今の段階(施工の初期の計画段階)で頭にある事は、相手を自分のペースに引き込むことなのです。

そのために相手にナメラレナイよう、また信用をされる努力に力を注ぎ、設計書の数値の不備や施工との矛盾点を中心に指摘し、同時に相手が必要とする書類を早めに作り上げ、さらに相手が心配している点を探し出して、その心配点をどの様に料理してこちらの利益に繋げるかに腐心しています。

 

その中で相手にカマシの言葉として使う言葉は、【私はこの仕事ばかり続けて40年経った、土木施工のプロですよ。】という台詞です。

 

先日の打ち合わせでも、役所の設計をシュミレーションして、その設計を施工した場合の問題点を数多く指摘したのです。

そうしたら相手の役人は、『よくわかりますね。実は我々もその点で頭が痛いんです。』と正直にゲロしたのです。

 

そこで僕は、さっきのカマシの台詞を出しました。

相手は信用し、その後で僕が投げかけた質問に対して解決方法を尋ねてきたので、僕は得意の上から目線で教えてあげたのです。

 

しかし本丸は担当の係長で、彼は直接は僕と接触しなくていい立場で、自分の部下の口を通じていろんな要求をしてくると予想しています。

言い換えれば、彼の部下の報告を聞き自分の考え方を指示させるのですから、僕は、僕に直接接する担当者をマインドコントロールし、間接的に係長をマインドコントロールさせる方法を取ればいいのです。

 

そのために、僕は担当者に対して、【たーさんという人間が、熟練した技術者で土木施工のプロである】と信じ込ませるのです。

自分でも感じますが、最近、このカマセの台詞が通用する場面が多いのです。

 

でもあの係長は、名古屋市の土木業者間で有名な人間性をした奴ですから、僕は慎重に且つ大胆に接する事は忘れません。

彼は細かな性格なようですから、僕も細かな質問をあえてして、その上で土木施工のノウハウをチラッと見せるのです。

 

担当の役人にも言いましたが、僕は工事の仕様書の内容(名古屋市に都合よく書かれている)を議論しても負けるが、施工に関しては、役所の人間には絶対勝つしノウハウも十分あるのです。

 

また設計変更の交渉事は、女を上手に口説けない男は適していません。(キリッ