たーさんの世界(意地悪じーさん)

ようこそ たーさん珈琲へ。
この珈琲は見るだけですのでお代は要りません。

有難い話し

2012年09月30日 | Weblog
今の会社の前に面接した会社の息子さんから電話が入り、業者の紹介を依頼されました。

その会社は僕と同い年の同業の古い知人が企業して二十年になる会社ですが、彼は癌に侵されて、今は再発の癌治療を行っています。
現在は息子に彼の引き継いでいますが、その息子(36才)は、僕から言わせれば、空手の教え子(ちょっと大げさ?)に当たります。

面接した時はその息子から土曜日がほとんど休みではないと聞いたので断わりましたが、今の会社に決まってから偶然にその父親の方から電話があり、働く条件を変えても僕の経験を利用したいので、今度の会社の後でも良いので宜しくと電話がありました。


しかし業者の紹介をするにしても具体的に分からない事があったので、彼の息子から話しを聞きに会社に出向きました。
すると息子が言うに、彼の父親(古い知人)は仕事上の事での相談事を僕にもする様にと話したらしいのです。

僕にはその意図が分かるので、真剣に業者を探して紹介する気持ちになりました。

人と人の繋がりは、困った時とか悩んだ時に相談に乗ってあげる事で深まります。

還暦を過ぎた僕を必要としてくれる人が居る事は、本当に有難い事です。

その会社との付き合いがどうなるか分かりませんが、今度の造園会社に勤めながら、知人の息子からの相談に乗ってあげようと考えています。

母達に報告

2012年09月30日 | Weblog
栗拾いに帰省して仏壇の母と祖母と息子そしてご先祖様に、良い会社に再就職でき、その会社の人達とも仲良く出来ているだけでなく、僕を必要としてくれる昔の仲間がいる有り難さを報告しました。

母はニコニコしながら『(^^)良かったね』と、祖母は『(^_^)頑張るんだヨ』と、息子は『(^_^)そう』と言ってくれました。

息子と言えば、今度開眼供養をした後に息子の位牌を名古屋に持ち帰りたいと女房が言っています。

今まで別れて暮らしていましたが、今度からは寂しい思いをさせなくて済みそうです。

生きていれば31才になります。

おまえを早く逝かせてゴメンね。

父の気持ち

2012年09月29日 | Weblog
秋の味覚の一つの栗が、我が家でも味わえる様になり、父に栗を拾いに来る様に言って来たので、今週末は仕事であるにも関わらず、仕事を終えてから帰省しました。
五時に退社してから家に戻り、食事を済ませてから田舎に向かったので、田舎に着いたのは十一時近くになっていました。

父が僕に栗を食べさせたい一心からの言葉なので、今日は少し無理しても帰省しました。

父のこんな言葉は、来年は聞けないかも知れないから。

田舎に着いて父の部屋に行くと、待ちくたびれのか、テレビを点けたままの父は、リモコンを握って寝ていました。

少ししてから再び父の部屋に行くと、今度はテレビは消えていました。

ストレス発散♪

2012年09月27日 | Weblog
年甲斐もない話ではありますが、僕はストレスを発散させる場所は警察でします。

今はそんなにストレスはありませんが、今日たまたま右折禁止の交差点でパトカーにサイレンを鳴らされ違反切符を切られました。

仕事も一段落したので管轄の警察署へ行き、僕が違反をする前に、どうして警官が注意を促さなかったのかを説明して貰いに行きました。

対応に出た交通課の若い警官がいい加減な受け答えをしたのですが、僕の思うツボです。


僕の声はだんだん荒くなります。

すると刑事が僕をにらみつけるので、負けずに僕もにらみ返します。

僕のスタンスは反則切符を無かったことにしてくれという事ではなく、あくまでも、どうして違反をしそうな状態の車に注意を促さなかったのかを、僕が納得するように説明してくれというものでした。

あまり長引かせたくなかったので、最終的には、僕に切符を切った警官の説明を聞いて大人しく帰ってきましたが、災難だったのは、最初に僕の対応に当たった目つきの悪い警官です。

僕の戦闘心に火をつけてしまったので、僕から言いたい放題言われてしまったのです。


ストレス発散は他の役所でしてはいけません。

あくまでも警察署でしなくてはいけません。それもスジの通った話でなくてはなりません。

他の役所で同じ事をすると下手をすれば警察を呼ばれてしまいますが、警察署では警察を呼ぶ事はありません。

しかも警察署は取調べで大声を出すのは日常茶飯事なので、少々声を荒げても彼らは馴れています。

いい年こいて、このようなバカなことを自慢するのは大人げありませんが、時にはストレス発散にはなります。


改良しました!!

2012年09月25日 | Weblog
コーヒー豆を焙煎するラーメンザルに改良の手を加えました。




今まで焙煎時間が25分以上になってしまい時間がかかり過ぎたので、ラーメンザルの周囲にアルミ箔を貼り付けて熱効率を高めました。

まだこの方法で試していませんが、焙煎時間が蒸しから始めて20分を切れば合格です。



私、焙煎師として精進してます。




可愛い汗拭きタオル

2012年09月23日 | Weblog


先日同じ病で闘病生活を送られているyukikoさんから戴いた可愛い汗拭きタオルを、明日から使わせていただきます。

その前に、皆様にご披露します。


今までは職人さんと一緒の仕事をしていたので、ヘルメットの下のタオルから汗が滴っていましたが、先週から内業が続くようになったので、戴いたこのタオルを使わせていただきます。

熊のプーさんの顔が可愛い素敵なタオルです。

大切に使わさせて頂きます。

yukikoさん素敵なタオルをありがとうございました。

最後の同級会

2012年09月23日 | Weblog


名古屋に戻る途中、父を同級会の会場まで送り届けました。

父は今年で89歳になりますが、昨日も書きましたが旧制中学の最後の同級会とのことです。

同級生に会えると、父は喜んで会場に入っていきました。

血糖値アップか!

2012年09月23日 | Weblog
田舎に行ってホウボウから果物をいただきました。

父の軽で戴きに行きましたが、家に戻るとご覧のとおり。





梨が大箱二個+α、ブドウが30房以上、大根四本、りんごジュース3本。

娘に上げる分もありますが、軽四の荷台に一杯いただきました。

名古屋に戻る時は乗用車の後部座席に乗せてきましたが、イスから床までギッシリ一杯になりました。

本当は先週末にも、叔母から梨が大箱一箱届いているものですから全てを食べようとすると、僕の血糖値がアップしてしまいそうです。

でも皆が果物をくれるおかげで、毎年秋の味覚を楽しめます。

ありがたい事です。


名古屋に戻り先ずちーちゃんのお店に行って、梨とブドウと大根を少し置かせてもらいました。

特にブドウを喜んでくれて嬉しかった。

運がいい?

2012年09月23日 | Weblog
普通の学歴で普通の会社に就職した僕は、最初の所属部所は本社設計部でした。
一日中図面を書いたり計算をする仕事は性に合わない僕は、二年弱で名古屋支店への転勤を命じられた。
(^_^;)人はフルイから落とされたと見る人も居ただろうと思いますが、これが最初の運の良さだったのかも知れません。

(^^)最初は現場での仕事は大した事は出来ませんでしたし、自分でも、どうしてこんな道に進んだのか後悔した時期もありましたが、ある人との出会いで現場屋としての道を積極的に歩み出す決心が着きました。
(^o^)v気がつけば、支店で一番、イエ会社で一番ぐらいの儲け頭になっていました。

(^_^;)しかし儲け過ぎて、警察や国税庁の方々とお話する事になり、一年程北海道暮らしの後、懲戒解雇され名古屋に戻りました。
(^^)名古屋に戻り、知り合いの企業舎弟の会社に就職したり自分で起業したりしましたが、最終的には地元の小さな土木会社に就職しました。

(^_^;)上から目線の僕は、その会社に八年、次の会社に三年在籍して解雇され、今の会社に就職出来ました。

(^^)この会社で骨を埋めようと思いますが、今までの地元の会社勤めの経験で、今の会社の雰囲気にも早く馴れる事が出来ました。
(^_^;)僕が何も無くてゼネコンを退職して地元の業者に就職したならば、仕事の感覚に大きなギャップがあったと思います。(最初のゼネコンに勤めていたら、定年間際では、それなりの役職になっていたかも知れませんが…)

(^_^;)年金の満額受給年齢が65才に引き上げられた現在では、少なくともその年齢迄働かなくてはならないし、また田舎の父の事もあるので、本社から名古屋支店に配属されたのは、僕には運が良い事だったと思います。

(^^)名古屋支店に配属されたおかげで、田舎の女性(今の鬼嫁)とも結婚出来たし、今も名古屋から田舎に簡単に帰省出来ます。

(^_^;)これが本社から他の支店だったら、事情は大きく変わっていたでしょう。
(^_^;)警察への関わりが無くて、僕が最初に就職したゼネコンに居られたとしても、そのゼネコンは不渡りを出して今は社名が変わっています。

^_^;僕が長男の役目を果たす事が出来ているのは、自分で言うのも可笑しな話ですが、運が良いのと同時に、仕事に対する考え方が良かったのかも知れません。

ありがたい

2012年09月23日 | Weblog
父に今度の会社の話をした。
僕が話し始めると父は、『その会社はどんな会社だ?』と心配そうな顔をして聞いた。

(^^)僕は前の会社と比較しながら話すと、父は安心した様な表情をして聞いていた。

親子は幾つになっても親子関係は変わらないもので、九十近くなっても僕を心配してくれる親はありがたい。

(^_^;)いずれは父と別れる日が来ますが、名古屋から実家に通い始めて13年目入ったが、仮に父が居なくなっても、僕は田舎に定期的帰る事が続くと思います。

【話しは変わり】
(^_^;)七十を過ぎたら田舎に戻ろうカナアとも思いますが、女房は名古屋に住みたいなんて言うんだろうナア。

(^O^)一人で田舎に住み、月に一度ぐらい名古屋に通ってもいいかナア。

(^_^;)でも年金暮らしで別々の生活は無理だから、やはり名古屋から田舎に通いながら、野菜や果物を作ろうかナア。

(^^)まだ時間があるから、じっくり考えよう。