かはほりやむかひの女房こちを見る 蕪 村
ある偶然の機会に、意識せずしてひらめく色気ともいえない色気、恋情ともいえない恋情である。夏の黄昏時(たそがれどき)、独得の一種妖しい物悲しさと、物恋しさの気分が一句をこめている。
人妻から感得された魅力を主題としたものには、
酒を煮る家の女房ちよとほれた 蕪 村
がある。これは、
「酒造業者の家で、腐敗を防ぐために新酒に火を通している最中で、
主人から雇い人の末に至るまでが勢い立っている。平生は奥深く
住んでいる女房までがちらちらと人前へ姿を見せる。その活気の
ある内儀ぶりが、なかなか凛としたなかに色気があって、よそ目
にも忘れがたいものがあった」
という意味である。煮酒の行事の中のこととて、「ちよとほれた」もそれにふさわしく、気軽に興じているような調子である。
それに対して、この「かはほり」の句の方は、もっとしみじみとはしているが、同じく「こちを見る」という俗語の活用によって、執拗さを巧みに逃れている。
この二句を関連させて考えれば、この「かはほり」の句の女房も、やはり町女房と解せられる。蕪村は太祇などと同様に、人事を好んで材料とし、この二句のように、人妻の魅力さえ感興の対象にしている。しかし、決して太祇のように作品の上に人肌の香を残すようなことはしていない。
この句も、「女房」という語を、他の適当な語に置き換えれば、このままで、少年詩の夏の黄昏の感傷に通じる。
季語は「かはほり」で夏。「かはほり(蝙蝠)」は、コウモリの古い語形。
「町には黄昏の闇が下りてしまったが、家々はまだ全部に灯が入っては
いない。蝙蝠が時々空から舞い下りて、軒下に閃いては消えてゆく。
それに誘われてふと目をやると、むかいの家の薄闇の中に、その家の
女房がたまたま立っていて、これもふとこちらへ振り向いた気配であ
った。ほのかに白く顔の輪郭だけが浮かび出ていて、何か一抹の艶や
かな気分が胸中をかすめて過ぎるような思いがした」
片蔭の羅漢三人酒酌んで 季 己
ある偶然の機会に、意識せずしてひらめく色気ともいえない色気、恋情ともいえない恋情である。夏の黄昏時(たそがれどき)、独得の一種妖しい物悲しさと、物恋しさの気分が一句をこめている。
人妻から感得された魅力を主題としたものには、
酒を煮る家の女房ちよとほれた 蕪 村
がある。これは、
「酒造業者の家で、腐敗を防ぐために新酒に火を通している最中で、
主人から雇い人の末に至るまでが勢い立っている。平生は奥深く
住んでいる女房までがちらちらと人前へ姿を見せる。その活気の
ある内儀ぶりが、なかなか凛としたなかに色気があって、よそ目
にも忘れがたいものがあった」
という意味である。煮酒の行事の中のこととて、「ちよとほれた」もそれにふさわしく、気軽に興じているような調子である。
それに対して、この「かはほり」の句の方は、もっとしみじみとはしているが、同じく「こちを見る」という俗語の活用によって、執拗さを巧みに逃れている。
この二句を関連させて考えれば、この「かはほり」の句の女房も、やはり町女房と解せられる。蕪村は太祇などと同様に、人事を好んで材料とし、この二句のように、人妻の魅力さえ感興の対象にしている。しかし、決して太祇のように作品の上に人肌の香を残すようなことはしていない。
この句も、「女房」という語を、他の適当な語に置き換えれば、このままで、少年詩の夏の黄昏の感傷に通じる。
季語は「かはほり」で夏。「かはほり(蝙蝠)」は、コウモリの古い語形。
「町には黄昏の闇が下りてしまったが、家々はまだ全部に灯が入っては
いない。蝙蝠が時々空から舞い下りて、軒下に閃いては消えてゆく。
それに誘われてふと目をやると、むかいの家の薄闇の中に、その家の
女房がたまたま立っていて、これもふとこちらへ振り向いた気配であ
った。ほのかに白く顔の輪郭だけが浮かび出ていて、何か一抹の艶や
かな気分が胸中をかすめて過ぎるような思いがした」
片蔭の羅漢三人酒酌んで 季 己