壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

程は雲居

2011年08月25日 00時01分10秒 | Weblog
        百里来たり程は雲居の下涼み     桃 青(芭蕉)

 「程は雲居」は、和歌でしばしば用いられる成句である。おそらく、『伊勢物語』の
        忘るなよ 程は雲居に なりぬとも
          空行く月の めぐりあふまで
        〈あなた方から距たること、雲ほどに遠のいたとしても、
         空を行く月がまた帰って来るように、再びめぐり逢う
         ときまで、私のことを忘れてくださいますな〉
などを、心に置いているのであろう。「百里来たり程は雲居」というところに、謡曲風な口調が出ており、その辺に談林的な味わいを感じさせる。

 この句『蕉翁全伝』に、「山岸氏半残に歌仙あり」として出ている。延宝四年(1676)の帰郷の際の作。半残は、芭蕉の姉の子、蕉門。
 「程は雲居」は、雲の彼方に遠く隔たっていることをいう語。ここでは「雲居の下涼み」とも続く。
 「来たり」の「たり」は完了の助動詞終止形なので、ここで切れる。

 「涼み」が季語、納涼で夏の句。

    「江戸を出て百里もやって来た。まさに“程は雲居”ともいうべき
     遙かな旅路である。自分は今、江戸を心に描きつつ、旅路の
     中なる故郷の大空の下でくつろいで涼みをしていることだ」


      母と居て別のさみしさ青簾     季 己