梶の葉を朗詠集のしほり哉 蕪 村
古く七夕には、七枚の梶の葉に七夕の歌を書いて織女星を祭るのが、普通であった。その際によく利用されたのが「朗詠集」。正しくは『和漢朗詠集』といい、藤原公任の著で、和漢の詩歌の秀作を集輯(しゅうしゅう)したもの。
先に、
夏百日墨もゆがまぬこゝろかな 蕪 村
の句について説明したように(拙ブログ2011.07.08参照)、季語が自然に備えている事情を働かす以上には、特別に配合や技巧をこらさず、しかも季語の美感を十分に醸し出している種類の句である。その点、その句と性質が共通し、より以上に成功している句としては、
駒迎ことにゆゝしや額白(ひたひじろ) 蕪 村
がある。昔、毎年陰暦八月十六日諸国の牧場から宮中へ良馬を献ずるのを、天皇が親覧せらるる行事を「駒牽(こまひき)」といい、その駒が近江逢坂の関まで着いたとき、宮廷から迎えに行くのを「駒迎(こまむかえ)」といった。この句の意味は――いずれも良馬ばかりだが、その中の一頭が額に真っ白な斑が鮮やかに大きく出ていて、いずれの馬よりも厳めしく勇ましい姿であった、というのである。
「しほり」は「しをり」と書くのが正しい。
季語は「梶の葉(七夕)」で秋。
「梶の葉を栞代わりに挟んだ朗詠集が置いてある。七夕の部分を開いて
そこにある歌を梶の葉に書き写していた最中、何かの用事が出来て
そのままに座を立ってしまったのであろう。葉の緑の色が、本の白さに
映えていかにも美しい」
裸婦像の重き輝き晩夏かな 季 己
古く七夕には、七枚の梶の葉に七夕の歌を書いて織女星を祭るのが、普通であった。その際によく利用されたのが「朗詠集」。正しくは『和漢朗詠集』といい、藤原公任の著で、和漢の詩歌の秀作を集輯(しゅうしゅう)したもの。
先に、
夏百日墨もゆがまぬこゝろかな 蕪 村
の句について説明したように(拙ブログ2011.07.08参照)、季語が自然に備えている事情を働かす以上には、特別に配合や技巧をこらさず、しかも季語の美感を十分に醸し出している種類の句である。その点、その句と性質が共通し、より以上に成功している句としては、
駒迎ことにゆゝしや額白(ひたひじろ) 蕪 村
がある。昔、毎年陰暦八月十六日諸国の牧場から宮中へ良馬を献ずるのを、天皇が親覧せらるる行事を「駒牽(こまひき)」といい、その駒が近江逢坂の関まで着いたとき、宮廷から迎えに行くのを「駒迎(こまむかえ)」といった。この句の意味は――いずれも良馬ばかりだが、その中の一頭が額に真っ白な斑が鮮やかに大きく出ていて、いずれの馬よりも厳めしく勇ましい姿であった、というのである。
「しほり」は「しをり」と書くのが正しい。
季語は「梶の葉(七夕)」で秋。
「梶の葉を栞代わりに挟んだ朗詠集が置いてある。七夕の部分を開いて
そこにある歌を梶の葉に書き写していた最中、何かの用事が出来て
そのままに座を立ってしまったのであろう。葉の緑の色が、本の白さに
映えていかにも美しい」
裸婦像の重き輝き晩夏かな 季 己