詠むるや江戸にはまれな山の月 桃 青
「詠(なが)むる」は、つくづくと眺める意。
「山の月」といったのは、伊賀山中の月を指したもの。
平凡で何の奇もない句である。ただ、「江戸」に「穢土(えど)=けがれた国土。この世」が掛けられており、「江戸にはまれな」というあたりに、談林的な発想をうかがうことができる。
『蕉翁全伝』に、「桑名氏何某ノ催ニ応ジ、渡部氏ノ方ニ会あり」として、この句が掲出されている。延宝四年(1676)帰郷の時の作という。
季語は「月」で秋。
「江戸を遠く離れ、久方ぶりに故郷へ帰ってみると、何もかも物珍しい感が深い。
折しもこの世ならぬ清らかな月が山の上に昇ったが、これもまた人家の混み合
うほこりっぽい江戸とは違った趣で、つくづくと見守られることだ」
ちぎり絵のやうな蝶来て処暑すぎし 季 己
「詠(なが)むる」は、つくづくと眺める意。
「山の月」といったのは、伊賀山中の月を指したもの。
平凡で何の奇もない句である。ただ、「江戸」に「穢土(えど)=けがれた国土。この世」が掛けられており、「江戸にはまれな」というあたりに、談林的な発想をうかがうことができる。
『蕉翁全伝』に、「桑名氏何某ノ催ニ応ジ、渡部氏ノ方ニ会あり」として、この句が掲出されている。延宝四年(1676)帰郷の時の作という。
季語は「月」で秋。
「江戸を遠く離れ、久方ぶりに故郷へ帰ってみると、何もかも物珍しい感が深い。
折しもこの世ならぬ清らかな月が山の上に昇ったが、これもまた人家の混み合
うほこりっぽい江戸とは違った趣で、つくづくと見守られることだ」
ちぎり絵のやうな蝶来て処暑すぎし 季 己