壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

アヽ楽や

2011年08月04日 00時37分37秒 | Weblog
        蚊屋の内にほたる放してアヽ楽や     蕪 村

 蕪村には、貧しい暮らしにありながら、画俳両道に悠々と遊ぶ、自足の気持を述べたと推測される句がかなりある。
        水の粉のきのふにつきぬ草の庵
 もその一例である。水の粉(小麦を軽く煎って引いて粉としたもの。砂糖を加え水に溶いて飲む)さえ、もう昨日で全部尽きてしまったことを述べながら、全体の気分はいかにも明朗である。

 口語を使ったものは、芭蕉の作品にも相当数あるが、この句ほどに露骨な日常語を進んで採り入れたものはない。
 「アヽ楽や」は、軽妙さと共に、市井生活の気分を出すのに成功している。
 蕪村は、「俗語を用いて俗に堕ちないことが俳諧の要訣だ」と弟子の召波に説いている。掲句などその精神の端的な現れである。
 初案では下五が「アラ楽や」であったのを、より自然な「アヽ楽や」に直している。
 この句には、蕪村の興味本位の俳画に見受ける線条と同一の線条が躍動している。

 季語は「蚊屋(蚊帳)」で夏。

    「灯りもつけられない我が家であるが、折から手に入れた何匹かの螢を
     思いつきで蚊帳の中へ放した。螢はもとより古蚊帳さえも青々と照ら
     されて美しい。貧しい生活ながら心にかかる苦労はない。敷いてある
     蒲団の上へ、そのまま転がって手足を思う存分に伸ばして、思わず口
     をついて出たのが、〈アヽ楽や〉」


      蟻地獄ふみつけ癌のはなしかな     季 己



 ――現在、抗癌剤治療を中断している。また中断と同時に、Mクリニック銀座院長のM先生と、K大学校のS先生のご指導の下、代替療法を実践している。今日でちょうど2週間になるが、恐いくらいに日々、体調が元気な頃に戻ってゆくような気がする。風前の灯火のロウソクの、最後の一輝きではないかと、逆に心配になるほど。
 S先生は、「私の言うとおりにFを三ヶ月飲めば、あなたは必ず元気になる」とおっしゃってくれたが、2週間でこの快調さ、三ヶ月後が楽しみである。
 ということで、近々、『去来抄』を書き始めるつもりで、今また読み直して、頭の整理をしている。たくさんの方々の応援のお陰で体調も回復し、少しはましなものが書けるような気がする。
 ありがとうございます。感謝申し上げます!