壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

二人して

2011年08月02日 00時05分06秒 | Weblog
        二人してむすべば濁る清水哉     蕪 村

 この句は、のどが渇ききった二人を同時に満足させるほどには、水の量が十分ではなかった、ことを示している。
 しかし、そうかといって、「一人が飲むだけの分量は十分にあり、さてその後で、次の一人が飲もうとすると、底につかえて濁る」と解する説には従えない。そこまで詮索(せんさく)しては理屈になるからだ。
 それに、「むすべば」は「むすんだところが」の意であって、「むすんだとしたならば」の意ではない。ちなみに、「むすぶ」は、水を手に掬(すく)って飲むことである。
 また、「二人して」の語も、ふつう二人の者が同時に一つの事にかかわる共同動作を表す。
 言うまでもなく、掲句の裏に処世訓が含まれているとする説など、この句ともともと何の関係もないものである。

 季語は「清水」で夏。「清水」は、自然に湧く澄明な水。たたえているもの、流れているもの両方をいう。

    「底が浅く、ほんのわずか、たたえられている清水である。遠路、暑い中を
     たどってきてやっとこれを見つけた二人。前後の見境もなく、二人同時に
     そろって手に掬って飲んだ。一、二杯飲んでから気がつくと、もう底から
     濁りが立って、これ以上飲めないようになっている」


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