壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

露ながら

2011年08月13日 00時08分06秒 | Weblog
          秋夜閑窓のもとに指を屈して、世になき友を算ふ
        とうろうを三たびかゝげぬ露ながら     蕪 村  

 平坦に叙していながら、次第に友に先立たれてゆく中年以後の年齢の人の哀情がにじみ出ている。
 「露ながら」は、燈籠が夜気に潤う(高燈籠であれば、杉丸太の先端に吊るのでなおさらである)のを表すと同時に、主人公の哀傷の気持そのものを具象化した言葉なのである。そのことをはっきりとさせておかないと、〈以前ある友の盆に用いて露に濡れていたんだ燈籠が保存してあったのを今また用いる〉などという解釈が生じたりする。

 「三たび」は厳密な数字ではない。「はや幾たびか」の気持を印象強く言ったものである。
 「と」と「う」の音を重ねて静かに詠い出して、「みた」「かゝぬ」「つゆなら」と、濁音を重ねて詠い終えた表現は、この句の内容にふさわしい。

 季語は「とうろう」で秋。「とうろう」は、盂蘭盆に掲げる切子燈籠のこと。

    「今年もある友の新盆(あらぼん)なので、その魂を迎え慰めるために
     燈籠を軒に掲げ吊った。夜が更けるとともに、それは灯ったままで露
     けくなってくるが、追憶は尽きない。この友に限ったことではない、
     考えてみれば、こうして亡き友のために燈籠を掲げることも、はや幾
     たびになるだろうか」


      爽やかに友さくさくと墨をする     季 己