辛崎の松は花より朧にて 芭 蕉
――とらわれの心のない人は、誰に対しても自由でいられる。ただ微笑んで……
お手紙ありがたく拝見しました。
お元気とのこと、何よりです。
大津滞在の折には、ゆったりした時を過ごさせていただき、大変うれしう
ございました。
ところでお願いなのですが、貴僧のお住まいの、本福寺別院で詠みました
愚句を、つぎのようにお改めください。
辛崎の松は小町が身の朧 → 辛崎の松は花より朧にて
何とはなしに何やら床し菫草 → 山路来て何やらゆかしすみれ草
このように、旅の途次に詠んだ句が五十三句ありますが、随時、推敲して
いこうと思っています。
あなたの御句「夏萩の此の萩いやかほととぎす」が、論争の種になっている
ようですね。論争するのも俳諧修業の道ではありますが、必要以上に論争を
することは、わたしの好むところではありません。不必要に論争せずに、適
切にやってください。
あなたが寄せた其角宛書状については、重ねて其角本人から返事がいくこ
とでしょう。嵐雪は近頃、主君 井上相模守に随行して、越後高田に出張中
ですので、あなたのお手紙は、まだ本人に届いていません。
何やらかにやら、まだ取込中なので、積もる話は山ほどありますが、暇が
ないので用件のみにて失礼します。
渋谷与茂作殿から書簡があり、貴僧がお元気だということがわかりました。
以上 五月十二日 芭蕉桃青
この千那(せんな)宛の手紙にあるように、「辛崎の松は花より朧にて」の句は、貞享二年(1685)三月中旬、『野ざらし紀行』の旅で大津滞在中の作である。
「湖水の眺望」という詞書があるこの句は、
辛崎の松は小町が身の朧
辛崎の松は花より朧かな
辛崎の松は花より朧にて
と三度の推敲を経て決定したようである。
芭蕉はなぜ、「小野小町」を「花」に変えたのであろうか。
山本健吉氏のすぐれた評釈があるので、それを見てみよう。
いい課さないところに現実と幻想との交錯する濃淡複雑なイメーヂが
生れてくる。小町の幻想は消えても、この「花」は幽艶な情緒を生み出
している。この「花」が言葉としてはありながら、具象としてはない。
しかも詩的イメーヂとして存在するという重層的な性質に、この句の魔
力がかかっていると思うのである。(『芭蕉その鑑賞と批評』)
――ある俳席で、伏見の名の知れた俳人が、芭蕉のこの句に対して、
「連句の発句は必ず“云ひ切るべし”という教えのあるとおり、切字が必ずあるべきである。それなのに、この句は「にて留め」になっていて、切字がない。そこが欠点であると思う。それとも、名人ならば許されるのでしょうか」
と噛みついた。
それに対して其角は、
「連句の第三句目は、ふつう、“て留め”や“にて留め”を多く用います。“にて”には、詠嘆して軽く切る意があり、“かな”に通用するので、“かな留め”の発句の場合は、連句の第三句目の終わりを“にて”で留めることを、嫌うことが多いのです。
この句の場合、“かな”とすると句調の上で切迫した感じがするので、“にて”と余韻を持たせるように留めたものと思います」
と評した。(つづく)
白桃のしづく六根自在かな 季 己
――とらわれの心のない人は、誰に対しても自由でいられる。ただ微笑んで……
お手紙ありがたく拝見しました。
お元気とのこと、何よりです。
大津滞在の折には、ゆったりした時を過ごさせていただき、大変うれしう
ございました。
ところでお願いなのですが、貴僧のお住まいの、本福寺別院で詠みました
愚句を、つぎのようにお改めください。
辛崎の松は小町が身の朧 → 辛崎の松は花より朧にて
何とはなしに何やら床し菫草 → 山路来て何やらゆかしすみれ草
このように、旅の途次に詠んだ句が五十三句ありますが、随時、推敲して
いこうと思っています。
あなたの御句「夏萩の此の萩いやかほととぎす」が、論争の種になっている
ようですね。論争するのも俳諧修業の道ではありますが、必要以上に論争を
することは、わたしの好むところではありません。不必要に論争せずに、適
切にやってください。
あなたが寄せた其角宛書状については、重ねて其角本人から返事がいくこ
とでしょう。嵐雪は近頃、主君 井上相模守に随行して、越後高田に出張中
ですので、あなたのお手紙は、まだ本人に届いていません。
何やらかにやら、まだ取込中なので、積もる話は山ほどありますが、暇が
ないので用件のみにて失礼します。
渋谷与茂作殿から書簡があり、貴僧がお元気だということがわかりました。
以上 五月十二日 芭蕉桃青
この千那(せんな)宛の手紙にあるように、「辛崎の松は花より朧にて」の句は、貞享二年(1685)三月中旬、『野ざらし紀行』の旅で大津滞在中の作である。
「湖水の眺望」という詞書があるこの句は、
辛崎の松は小町が身の朧
辛崎の松は花より朧かな
辛崎の松は花より朧にて
と三度の推敲を経て決定したようである。
芭蕉はなぜ、「小野小町」を「花」に変えたのであろうか。
山本健吉氏のすぐれた評釈があるので、それを見てみよう。
いい課さないところに現実と幻想との交錯する濃淡複雑なイメーヂが
生れてくる。小町の幻想は消えても、この「花」は幽艶な情緒を生み出
している。この「花」が言葉としてはありながら、具象としてはない。
しかも詩的イメーヂとして存在するという重層的な性質に、この句の魔
力がかかっていると思うのである。(『芭蕉その鑑賞と批評』)
――ある俳席で、伏見の名の知れた俳人が、芭蕉のこの句に対して、
「連句の発句は必ず“云ひ切るべし”という教えのあるとおり、切字が必ずあるべきである。それなのに、この句は「にて留め」になっていて、切字がない。そこが欠点であると思う。それとも、名人ならば許されるのでしょうか」
と噛みついた。
それに対して其角は、
「連句の第三句目は、ふつう、“て留め”や“にて留め”を多く用います。“にて”には、詠嘆して軽く切る意があり、“かな”に通用するので、“かな留め”の発句の場合は、連句の第三句目の終わりを“にて”で留めることを、嫌うことが多いのです。
この句の場合、“かな”とすると句調の上で切迫した感じがするので、“にて”と余韻を持たせるように留めたものと思います」
と評した。(つづく)
白桃のしづく六根自在かな 季 己