壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

『去来抄』2 辛崎の

2011年08月18日 00時03分09秒 | Weblog
        辛崎の松は花より朧にて     芭 蕉


 ――とらわれの心のない人は、誰に対しても自由でいられる。ただ微笑んで……


     お手紙ありがたく拝見しました。
     お元気とのこと、何よりです。
     大津滞在の折には、ゆったりした時を過ごさせていただき、大変うれしう
    ございました。
     ところでお願いなのですが、貴僧のお住まいの、本福寺別院で詠みました
    愚句を、つぎのようにお改めください。
      辛崎の松は小町が身の朧 → 辛崎の松は花より朧にて
      何とはなしに何やら床し菫草 → 山路来て何やらゆかしすみれ草
     このように、旅の途次に詠んだ句が五十三句ありますが、随時、推敲して
    いこうと思っています。
     あなたの御句「夏萩の此の萩いやかほととぎす」が、論争の種になっている
    ようですね。論争するのも俳諧修業の道ではありますが、必要以上に論争を
    することは、わたしの好むところではありません。不必要に論争せずに、適
    切にやってください。
     あなたが寄せた其角宛書状については、重ねて其角本人から返事がいくこ
    とでしょう。嵐雪は近頃、主君 井上相模守に随行して、越後高田に出張中
    ですので、あなたのお手紙は、まだ本人に届いていません。
     何やらかにやら、まだ取込中なので、積もる話は山ほどありますが、暇が
    ないので用件のみにて失礼します。
     渋谷与茂作殿から書簡があり、貴僧がお元気だということがわかりました。
       以上  五月十二日   芭蕉桃青


 この千那(せんな)宛の手紙にあるように、「辛崎の松は花より朧にて」の句は、貞享二年(1685)三月中旬、『野ざらし紀行』の旅で大津滞在中の作である。
 「湖水の眺望」という詞書があるこの句は、

        辛崎の松は小町が身の朧
        辛崎の松は花より朧かな
        辛崎の松は花より朧にて

 と三度の推敲を経て決定したようである。
 芭蕉はなぜ、「小野小町」を「花」に変えたのであろうか。
 山本健吉氏のすぐれた評釈があるので、それを見てみよう。

     いい課さないところに現実と幻想との交錯する濃淡複雑なイメーヂが
    生れてくる。小町の幻想は消えても、この「花」は幽艶な情緒を生み出
    している。この「花」が言葉としてはありながら、具象としてはない。
    しかも詩的イメーヂとして存在するという重層的な性質に、この句の魔
    力がかかっていると思うのである。(『芭蕉その鑑賞と批評』)


 ――ある俳席で、伏見の名の知れた俳人が、芭蕉のこの句に対して、
 「連句の発句は必ず“云ひ切るべし”という教えのあるとおり、切字が必ずあるべきである。それなのに、この句は「にて留め」になっていて、切字がない。そこが欠点であると思う。それとも、名人ならば許されるのでしょうか」
 と噛みついた。
 それに対して其角は、
 「連句の第三句目は、ふつう、“て留め”や“にて留め”を多く用います。“にて”には、詠嘆して軽く切る意があり、“かな”に通用するので、“かな留め”の発句の場合は、連句の第三句目の終わりを“にて”で留めることを、嫌うことが多いのです。
 この句の場合、“かな”とすると句調の上で切迫した感じがするので、“にて”と余韻を持たせるように留めたものと思います」
 と評した。(つづく)


      白桃のしづく六根自在かな     季 己