壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

穂麦喰はん

2011年08月28日 00時03分20秒 | Weblog
          伊豆の国蛭が小島の桑門、これも去年
          (こぞ)の秋より行脚(あんぎゃ)しける
          に、我が名を聞きて、草の枕の道づれ
          にもと、尾張の国まで跡を慕ひ来たり
          ければ、
        いざともに穂麦喰はん草枕     芭 蕉

 「穂麦喰(くら)はん」という気持は、どういう気持なのであろうか。
 気軽に旅を続けようともとれそうであるが、ここはやはり、辛苦を共に堪えてゆこうという気持の方が強いと思う。
 そのまますぐには喰えない穂麦であるが、それをあえて言い出でたところに、その気持が出ているようである。貞享二年(1685)、再び尾張を訪れた時の作。

 「桑門(そうもん)」は、出家して仏道を修める人、つまり僧侶。
 「行脚」は、僧が諸国をめぐって修行すること。また、徒歩で諸国を旅すること。「あんぎゃ」と読む。「ぎょうきゃく」などと読まないように注意。他に、行灯(あんどん)、行火(あんか)など。
 「草枕」は旅寝のこと。旅をもいう。

 季語は「穂麦」で夏。

    「草を枕とする漂泊の旅であるから、穂麦を食って一時の飢えをしのぐ
     ような辛苦もあるが、その乏しさに堪えて、さあ共に旅を続けよう」


      降りにけり穂麦に雨の限りなく     季 己