伊豆の国蛭が小島の桑門、これも去年
(こぞ)の秋より行脚(あんぎゃ)しける
に、我が名を聞きて、草の枕の道づれ
にもと、尾張の国まで跡を慕ひ来たり
ければ、
いざともに穂麦喰はん草枕 芭 蕉
「穂麦喰(くら)はん」という気持は、どういう気持なのであろうか。
気軽に旅を続けようともとれそうであるが、ここはやはり、辛苦を共に堪えてゆこうという気持の方が強いと思う。
そのまますぐには喰えない穂麦であるが、それをあえて言い出でたところに、その気持が出ているようである。貞享二年(1685)、再び尾張を訪れた時の作。
「桑門(そうもん)」は、出家して仏道を修める人、つまり僧侶。
「行脚」は、僧が諸国をめぐって修行すること。また、徒歩で諸国を旅すること。「あんぎゃ」と読む。「ぎょうきゃく」などと読まないように注意。他に、行灯(あんどん)、行火(あんか)など。
「草枕」は旅寝のこと。旅をもいう。
季語は「穂麦」で夏。
「草を枕とする漂泊の旅であるから、穂麦を食って一時の飢えをしのぐ
ような辛苦もあるが、その乏しさに堪えて、さあ共に旅を続けよう」
降りにけり穂麦に雨の限りなく 季 己
(こぞ)の秋より行脚(あんぎゃ)しける
に、我が名を聞きて、草の枕の道づれ
にもと、尾張の国まで跡を慕ひ来たり
ければ、
いざともに穂麦喰はん草枕 芭 蕉
「穂麦喰(くら)はん」という気持は、どういう気持なのであろうか。
気軽に旅を続けようともとれそうであるが、ここはやはり、辛苦を共に堪えてゆこうという気持の方が強いと思う。
そのまますぐには喰えない穂麦であるが、それをあえて言い出でたところに、その気持が出ているようである。貞享二年(1685)、再び尾張を訪れた時の作。
「桑門(そうもん)」は、出家して仏道を修める人、つまり僧侶。
「行脚」は、僧が諸国をめぐって修行すること。また、徒歩で諸国を旅すること。「あんぎゃ」と読む。「ぎょうきゃく」などと読まないように注意。他に、行灯(あんどん)、行火(あんか)など。
「草枕」は旅寝のこと。旅をもいう。
季語は「穂麦」で夏。
「草を枕とする漂泊の旅であるから、穂麦を食って一時の飢えをしのぐ
ような辛苦もあるが、その乏しさに堪えて、さあ共に旅を続けよう」
降りにけり穂麦に雨の限りなく 季 己