壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

盂蘭盆

2011年08月15日 00時14分36秒 | Weblog
        御仏はさびしき盆とおぼすらん     一 茶

 ――盂蘭盆は、梵語ウラムバナ(逆さ吊りの苦しみの意)とも、また、イランの語系で、霊魂の意のウルバンとする説もある。
 盂蘭盆経の目連説話によると、目連尊者が、悪道に堕ちている母の苦しみを救うため、釈尊の指導によって、衆僧を集めて供養したのが起こりであるという。
 中国にならって、日本でも宮中で古くから法要が行なわれ、民間にも年中行事として定着した。
 「なき魂の来ます日」として、かずかずの行事があり、句にもされてきた。
 仏事という特異なフィルターを透かしてみる一連の行事の、人くささ・人なつかしさが俳句にぴったり合っている。
 ながく陰暦七月十五日・満月の頃であったが、今では太陽暦の八月十五日を中心として行なうことが多い。都会では、太陽暦の七月十五日に行なうようである。
 我が家は浄土真宗なので、わたし自身は盂蘭盆といっても何もしない。浄土真宗には「霊魂」という考えはなく、墓地も「霊園」ではなく、「浄園」などと称している。
 真宗では、亡くなった人は老若男女、貧富の差もなく、誰でも阿弥陀さまのもとへ成仏できる。したがって、現世の人間は故人を供養する必要もなく、また供養できるほど人間は偉くない。「おかげさま」の感謝の心で日々を切に生きよ、というのだ。
 ただ、これらはわたしの勝手な解釈で、お寺さんの実情は知らない。


      耳とほき母あはあはと盂蘭盆会     季 己