白露や茨の刺にひとつづつ 蕪 村
蕪村の作品中、何の先入観なしに直接、自然の気息に触れて、物心一如とでもいうべき境地を具現しているものとしては、
蚊の声す忍冬の花の散るたびに
が頂点を示していると思う。(拙ブログ 2011.7.30 参照)
しかし、ほかにもなお、自然の生き生きとした、または繊細な美しさをほとんど客観的に作為なしにとらえ得た句が四句ある。掲句はその中の一つである。
もっとも、この句は、ある本には中七が「茨のはりに」となっている。茨の刺を針のごとく鋭いと説明しているのであって、これでは白露のやさしさとの対照を強化しようとする企図があらわとなり、かえって全体の真実味が希薄となってくる。
季語は「露」で秋。露の澄み輝いているのを白露という。
「茨に近づいてみると、すべての刺の先に、露が一つずつ宿っている。
澄みきった露の玉は、鋭い刺の姿をまどかに己のうちに含み、刺の
方は穏やかにじっと露の玉を支えている」
ひたき来て夕日しばらく藪を透く 季 己
蕪村の作品中、何の先入観なしに直接、自然の気息に触れて、物心一如とでもいうべき境地を具現しているものとしては、
蚊の声す忍冬の花の散るたびに
が頂点を示していると思う。(拙ブログ 2011.7.30 参照)
しかし、ほかにもなお、自然の生き生きとした、または繊細な美しさをほとんど客観的に作為なしにとらえ得た句が四句ある。掲句はその中の一つである。
もっとも、この句は、ある本には中七が「茨のはりに」となっている。茨の刺を針のごとく鋭いと説明しているのであって、これでは白露のやさしさとの対照を強化しようとする企図があらわとなり、かえって全体の真実味が希薄となってくる。
季語は「露」で秋。露の澄み輝いているのを白露という。
「茨に近づいてみると、すべての刺の先に、露が一つずつ宿っている。
澄みきった露の玉は、鋭い刺の姿をまどかに己のうちに含み、刺の
方は穏やかにじっと露の玉を支えている」
ひたき来て夕日しばらく藪を透く 季 己