牧師室だより 2013年10月27日 祈りと信仰
信仰とは祈りの生活と言っていい。朝の祈りに夕べの祈り。食前の祈りに仕事を始める時の祈り、願いの祈りや感謝の祈り、賛美の祈りなど、日々の生活の節々に祈りがある。
英国の神学者・牧師のウィリアム・バークレ―は祈りには法則があると書いている(『希望と信仰に生きる』)。①祈りは神が我々のために何かをなさることではなく、我々が自分でやれるように助けてくださることである、という。神は私たちが自分でやれることを、私たちに代わってやるようなことはなさらない。神は簡単な逃げ道ではない。祈りは私たちのなすべきことを神に押しつけることではない。神頼みはダメということ。祈りは、神が私たちに自分でできるようにさせてくださる、そのための手段である。
②祈りは状況を変えず、我々を変える、という。状況は前と変わらない。だが、私たちは新しい勇気と新しい力とそれに取り組む新しい能力を持って、その状況に対応できるのである。祈りは、私たちが人生の困難に新しい仕方で対処できるように、助けてくれるのである。
『聖書教育』の今朝の学びの箇所(44p)に、「聖書が教える信仰は、自分の思いを神さまに組み込むことではなく、神さまの御心に自分が組み込まれるのを拒まない生き方です」と書いてあった。私たちの信仰は、神の愛への応答である、と言われている。ならば、祈りも神のみ言葉の応答ではないか。それもみ言葉に対して「否」ではなく「諾」の応答であろう。そのような主イエスのゲッセマネの祈りがある。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」(マルコ14:36)。
時に、自分の祈りを吟味してみよう。祈りが変われば信仰が変わる。信仰が変われば人生が変わる。