平塚にあるキリスト教会 平塚バプテスト教会 

神奈川県平塚市にあるプロテスタントのキリスト教会です。牧師によるキリスト教や湘南地域情報、世相のつれづれ日記です。

F姉の証し

2010-05-29 11:38:26 | 教会案内

 F姉の証し

 住み慣れた横浜を離れて、今年の一月末に平塚市西八幡1丁目に引越してまいりました。私にとって平塚は、1982年から結婚生活の最初の約2年間を過ごした懐かしい所です。平塚バプテスト教会に導かれましたことを心から感謝しております。
 
 私は1969年の春、中学3年生になるイースターに横浜の栗田谷という丘の上にある捜真バプテスト教会で、千葉勇牧師よりバプテスマを受けました。両親はキリスト教徒ではありませんでしたが、教会の幼稚園に入園したことによって教会学校に通うようになりました。小学校、中学校、高校、そしてその後の進学先も宣教師によって、キリスト教の信仰の上に建てられた学校で学びました。特に母校である小・中・高はキリスト教教育をとても大切にする学校で、毎朝行なわれる礼拝、週に一度の聖書の授業、修養会、宿泊での自然教室、特別礼拝など様々な機会が与えられていました。そのような中で幼い時からごく自然に神の存在を受け入れていました。特に心を静めて御言葉を聞き、讃美し、祈って一日の学校生活を始める礼拝の時が好きでした。それは自分自身を見つめる時間でもありました。
 
 中学一年生の秋の修養会で、私はイエス様との魂を激しく揺り動かされるような、火花の散るような出合いを経験しました。信仰について、愛について、罪について、信仰を持って生きていくことの力強さについて、そしてイエス様の御生涯について、その修養会の講師でいらした日野綾子先生は篤く語って下さいました。聖書の御言葉の一つ一つが私の心の中に深く染み込んでゆくのをはっきりと感じました。そして主を信じる信仰を持って、キリスト教徒として人生を歩んでいきたいと心から願い、バプテスマを受けました。
 
 教会生活の中では、中高生の時には中高科礼拝での奏楽を、その後は夕礼拝の奏楽を、また教会学校のスタッフとして、そして三十年間聖歌隊員として毎週の聖日礼拝で讃美をしてきました。私の好きな讃美歌の一つに、「歌いつつ歩まん」という曲があります。思いがけない出来事に直面した時、試練の中にある時、人の言葉に心が乱れて苦しくてたまらない時、そしてその為に教会から離れていた時、讃美によって強く支えられました。一人の産婦人科医師の手によって次女の命が絶たれた時も、母の突然の死も、続けて父が召された時も、自ら病を得た時も、
マタイによる福音書11章28節29節の「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。」という御言葉、
ローマの信徒への手紙5章1節~5節「このようにわたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。」という聖句、そして、「失望することはあっても、絶望してはならない。」という教えが心の底から湧き上がってきました。

 祈ること、讃美することを与えられ、「あなたを愛しているよ」という主の眼差しをしっかり感じることができる、そのことを心から感謝します。イエス様が十字架の死と復活をもって示してくださった愛を感謝し、その愛に答えて、その愛に反射して日々の生活を主にささげていきたいと願っております。