老人(としより)の目(『ある年寄りの雑感』)

「子どもの目」という言葉がありますが、「年寄りの目」で見たり聞いたり感じたりしたことを、気儘に書いていきたいと思います。

『フランクリン自伝』の「少年時代」の一節について(4)

2009-09-08 16:28:00 | インポート
さて、「少年時代」という題で前記の教科書に採られた本文の出典は、岩波文庫本『フランクリン自伝』(松本慎一・西川正身訳、1957(昭和32)年1月7日第1刷発行、1961(昭和36)年8月20日第6刷発行)である。
以下は想像であるが、この訳文が誤訳ではないかという指摘を受けた教科書会社では、驚いて直ちに岩波書店に連絡をとって確認作業を行うとともに、次年度から教材の差し替えを行う措置を講じたことであろうと思われる。

翻訳に誤りはつきものであるから、誤訳があったからといってどうということはないが、たまたまそれが教科書に採られたために、影響は少なくなかっただろうと思う。尤も、この誤りに気づいた人はほとんどいなかったと思われるから、それほど大きな騒ぎにはならなかったようである。しかしだからといって、そのまま頬かむりをして済ませてしまっていいというものではあるまいと思う。

岩波文庫で、いつその部分を改訂したかは調べてないが、1957(昭和32)年1月7日第1刷発行、1987(昭和62)年7月15日第38刷発行の岩波文庫の本文は、正しく改訂されている。比較する意味で、教科書の文章と並べて、あげておこう。

(教科書の本文=岩波文庫第8刷の本文)
ところで、この行を彼は別の行と並べているが、それはあまり適当ではないようで、むしろ次の行と並べたほうがよかったのではないかと思う。

(岩波文庫第38刷の本文)
ところで、この一行は、次に引用する一行、つまり、彼があまり適当でない別の一行と対句(ついく)にしている、次の一行と並べたほうが、むしろよかったのではないかと思う。(同書、30頁)
 
 ※ 問題の個所の原文を、再掲しておく。

  “To speak, tho’sure, with seeming diffidence.”
And he might have coupled with this line that which he has coupled with another, I think, less properly, 
  “For want of modesty is want of sense.”


──以上は、ある出版社の教科書に「少年時代」という題でフランクリンの自伝が掲載されたおかげで、岩波文庫『フランクリン自伝』の本文の誤りが訂正された、という話である。

             *   *   *   *   *   *   *   *

《付言》
ついでに、ポープの引用について、岩波文庫第38刷から注を引かせていただく。

(注1)ポープ=1688-1744、英国の詩人、古典主義の詩人として著名。次の引用は詩論『批評について』より。ただし、正確な引用ではない。(「次の引用」とは、「人にものを教えるには、教えているような風をしてはならない、/ その人の知らぬことでも、忘れたことのように言い出さねばならない。」の2行をさす。)

(注2)  不遜な言葉には弁護の余地がない、
      謙遜が足りないのは分別が足りないのだという以外には。
この二行はじつはポープからの引用ではなく、彼の先輩ウェントワース・ディロン(1633?-85)の詩である。


(引用者注)
この(注2)は、
   (A) 不遜な言葉には弁護の余地がない、
      謙遜が足りないのは分別が足りないのだという以外には。
という、フランクリンが書き直したものに付けるのではなく、
   (B) 不遜な言葉には弁護の余地がない、
      謙遜が足りないのは分別が足りないのだから。
という、フランクリンが書き直す前の形のものに付けるべきではないだろうか。

それはともかく、参考までにこの2行の原文を引用しておく。

   (A) Immodest words admit but this defense,
      That want of modesty is want of sense.
   (B) Immodest words admit of no defense,
       For want of modesty is want of sense.


○ フリー百科事典『ウィキペディア』に、「ベンジャミン・フランクリン」の項目があります。
○ 岩波文庫第8刷の発行年は昭和37年9月20日、第38刷の発行年は1987(昭和62)年7月15日です。
○ ついでに教科書の発行年も挙げておきますと、昭和39年1月20日発行です。
○ 岩波文庫巻末にある訳者・松本慎一氏の「解説」によれば、『フランクリン自伝』の版本としては、ハーヴァード大学の史学教授で後に総長となった有名な伝記学者スパークスが1836-40年に『フランクリン全集』10巻を出版、この中に収められている自伝がいわゆるスパークス本で、最も権威あるものとされ、多くの自伝はこれによっている由です。そして、フランクリンの原稿にはもともと章分けはないそうですが、読者の便宜のためにスパークスが全編を12章に分けたのだそうで、岩波文庫の各章の題名(第1章は「少年時代」)は訳者(松本慎一氏)が選んでつけたものだそうです。
松本氏が訳された『フランクリン自伝』の訂正補筆する仕事を依頼された西川正身氏は、テキストとしてスマイズ Albert Henry Smyth が1905-7年に編集出版した『フランクリン著作集』所収のもの(スマイズ版)を使うことにした、と「あとがき」に書いておられます。詳しくは文庫巻末の「あとがき」を参照してください。