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100年耕した成田農民の農地を機動隊が夜襲で奪う

2023-02-15 23:50:00 | 成田闘争

100年耕した成田農民の農地を、機動隊が夜襲で奪う

(YouTube朝日新聞デジタル)

 成田空港B滑走路の誘導路脇にあり、空港反対派の農家が耕作してきた土地(千葉県成田市天神峰)の明け渡しをめぐり、この土地(約4600平方メートル)の農機具小屋やビニールハウス、空港反対の看板・やぐらなどの強制撤去の動きがあるとして、空港反対派や支援者が15日未明、抵抗のため集まった。午後には学生を含め約100人にのぼった。同日夜、強制執行が始まった。

 農家は、三里塚芝山連合空港反対同盟北原派の市東孝雄さん(72)。祖父の代から、3代にわたり、この土地を賃借するなどして営農を続けてきた。15日午前3時過ぎ、市東さんは「ここは俺が生まれた場所。農地と一緒で自分の一部だよね。空港会社は、傲慢(ごうまん)なやり方をずっとやってきた。一番ひどいのは、おやじにだまって底地を買って、明け渡せ、と。そのやり方が認められない」と思いを語った。

(NHKニュース)

成田空港滑走路近くの建設反対派の建物など 強制撤去執行へ | NHK

成田空港滑走路近くの建設反対派の建物など 強制撤去執行へ | NHK

【NHK】成田空港の建設に反対するグループが、滑走路近くの土地に設置している看板や建物などについて、裁判所による強制的な撤去が、1…

NHKニュース

 

強制的な撤去が15日夜に執行される見通しとなったのは、成田空港のB滑走路近くにある4600平方メートル余りの土地です。

この土地は、空港に反対する男性が農業を続け、作業場などを設置しているほか、空港に反対するグループ「三里塚芝山連合空港反対同盟」が、看板や建物を設置するなどして活動拠点としています。



土地を所有する成田空港会社は、反対同盟に対して、看板の撤去や土地の明け渡しを求めて裁判を起こし、東京高裁が去年9月、反対同盟の控訴を棄却し、判決の確定前に強制執行ができる「仮執行宣言」を付けていました。

この「仮執行宣言」に基づき、15日夜に、裁判所による強制執行が行われる見通しとなったことが、関係者への取材で分かりました。

反対同盟の拠点が撤去されれば、2017年以来となります。

成田空港会社は、この土地を活用して、現在、「へ」の字型に曲がっている誘導路を直線化したい考えですが、土地の明け渡しを求める裁判は、ほかにも1件あることなどから、直線化までには時間がかかる見通しです。

2月15日昼の「強制収用許さない」集会の模様

2月15日夜、機動隊による強制収用の模様。
機動隊に抗議する市東さん(野球帽、マスク姿の人物)と支援の人たち


まるでミャンマーのよう、機動隊が農地を踏み荒らした

重機で農作業のためのトイレを破壊、暴虐の限りを尽くす

「猫を殺すな」と女子学生が叫んでいます。

その市東さんの猫がこれ

敷地内の大きな木も強制収用に抵抗

夜を徹した闘いで、ヤグラに立てこもって闘った学生さんたち3人が不当逮捕。

市東さんの畑やビニールハウス、産直野菜集荷作業所などが鉄板で囲まれ、市東さんが自分の畑に入れないようにされてしまった。

しかし、ミャンマーの現状を見てもわかるように、国がいくら暴力の限りを尽くしても、民衆の心まで押しつぶすことはできない。

市東さんは、これからも今までと変わらず、成田の地で無農薬野菜を作り続ける。

ネットでは、こんな声が

戦後に満州から引き上げた人達が ようやく農業で生活できると思ったら 国に土地を取り上げられるとか そりゃ怒るに決まってる

これは日本が悪い

国は農業をして働いている人達の気持ちが分からないのかなと思います。 反対している人達はその地区で何十年も住み農業の仕事をしています。この地区の人達の仕事も奪う事になるのではないのかと思います。 見るからに無理矢理,成田空港の為に土地を奪っているようにしか見えないです。 どんな話し合いをしたのでしょうか。 成田空港の為に,そんなに土地の明け渡しをしなければならないのでしょうか。 昔から色々な地区で土地の明け渡しの反対デモがあったように思いますが,何故良い話し合いをしようとしないのかと思います。

識者によれば、政府が問答無用で土地を収用しようとしたのが こじれた原因と語っていた。 政府は農民に頭を下げてみなければ解決はしない。

円卓会議かで「強制執行はしない」とか取り決めなかったっけ。 市東さんには同情する。

 

 ここで、改めて、この強制収用が許されない理由を振り返ってみましょう。

➀三代100年にわたって耕した農地。農地法では「耕作する者に権利があり」、耕作者(小作者)の同意を得ずに売買することは許されていなかった。
耕してもいない「名目上の地主」が、農業をやるはずもない「不在地主」NAAに売却することは法律違反

開拓から三代、100年にわたる市東家の歴史(市東孝雄さん談)

「成田空港の『公共性』を問う」(社会評論社)の記事からの抜粋です。

祖父 市太郎と天神峰開拓部落

 家は最初から農家だったわけではありません。
 祖父の市太郎は、明治11年に千葉県山武郡蓮沼村に生まれました。14,5歳のころ、茨城県稲敷郡長竿村の雑貨や酒を売っている店に丁稚に入り番頭になりました。
 祖父は長竿村で20年近く働いて明治末の33歳の時に千葉にもどり自分で店を出しました。

(祖父 市太郎さん)

 祖父が店を天神峰で始めて3年目の大正3年秋に父 東市が長男として生まれています。

祖父が始めた小作地の耕作

 親父が小学校にあがる大正10年頃に祖父は店を閉め、農業を始めています。
 祖父は、取香(とっこう)部落の藤﨑さんから南台の土地を借り、取香の岩澤さんから天神峰の土地を借りていました。当時は、二人とも宮内省から土地を借りていたので、祖父は転借人だったと思います。
 大正15年に祖父は長谷川さんから、自宅の土地(天神峰)の借地権を買い取りました。その後昭和2年12月に、宮内省から御料地を金22円で宅地として払下げる許可を受け、昭和9年8月に4回目の分納を終え、払下げ料を完納しています。しかし、登記名義は昭和60年まで「宮内大臣」のままでした。

取り残された小作地

父東市の戦争体験

 親父は2回も兵隊にとられています。20歳からの2年間と26歳からの6年間の計8年間に及びます。

(東市さんの軍隊時代)

 2回目の臨時招集のときは、母ときと結婚してまだ半年余り経ったばかりで、しかも家ではすでに63歳になった祖父と母だけだったので大変でした。親父の妹のこうさんに農作業を手伝ってもらい、ようやく小作地を守ってきたと聞いています。

 最後はインパール作戦に投入されてビルマで敗戦を迎えました。敗戦と同時にイギリス軍の捕虜となりマンダレーの収容所に送られました。そのため復員は随分遅く、戻ってきたのは1947年(昭和22年)8月、32歳になっていました。ビルマの戦地は「白骨街道」と言われた激戦地だったので、家では戦後もずっと親父が生きているのか死んでいるのかさえわからなかったといいます。

農地改革と家の小作地

 私の家の田畑は、戦前はすべて小作地でした。敗戦直後の農地改革によって自作地になるはずでした。
 ところが親父の復員が遅れ、農地改革の真っ最中に不在だったため、いろいろと不利な扱いをされるようなことが重なって、天神峰と南台の小作地は地主の保留小作地として扱われ、解放されないままになってしまったのです。

➁空港公団(NAAの前身)は土地取り上げのため、文書偽造をやりたい放題やったので、本来NAAが刑事罰を受けなければならない

国家犯罪の極めつけ、文書偽造やりたい放題

 文書偽造問題とは、問題になっている天神峰南台(てんじんみねみなみだい)の市東家の畑の底地について、旧地主であった藤﨑政吉氏から当時の空港公団(現NAA)が1988年4月に買収する時に、市東さんの畑について、境界を確認し、面積を確定するための「境界確認書」「地積測量図」「同意書」を空港公団(現NAA)が、署名と印鑑を偽造して違法に作成した事件を言います。

 NAAが証拠として提出したのは、1988年に旧地主藤﨑と東市さんとの間に交わされたとする「同意書」「境界確認書」と添付された図面、しかしこれらはすべて偽造文書。

「境界確認書」⇒あわてて偽造したので、「藤﨑」の署名が「藤崎」になってしまっている。市東さんの割り印も偽造

「同意書」⇒東市(とういち)さんは85年に脳梗塞を患っており、筆勢が強い署名は本人のものではない。
 87年に東市さん(孝雄さんの父親)は2期工事差し止めをめぐる裁判での証言に立つんですが、宣誓の際の署名は脳梗塞の影響で明らかにギクシャクとした文字になっています。だけど、翌年の88年に書いたとされる「同意書(偽造)」文字は滑らかで力強く書かれています。明らかに別人が書いたものです。

親子三代100年耕して来た農地、戦後の「農地解放」で市東家の土地になるはずだったが、兵隊に取られ、復員が遅れたために「小作人」のままになってしまっただけ。「地主」の藤﨑氏は「名目上の地主」に過ぎず、そもそも「農業」をやるはずもないNAAが「名目上の地主」の藤﨑氏から土地を買収して「不在地主」になることは農地法で禁じられていた。更に耕作者の市東さんの承諾を得ずに買収することはできない。
そこで「境界確認書」や「同意書」を偽造し、しかもNAAは藤﨑氏から市東さんが耕作している農地を買収したことを、15年間も市東さんに隠していた。
まさに二重三重の犯罪行為を行ったわけです。

➂運輸大臣も前NAA社長も農民に謝罪し、「二度と強制収用はしない」と約束したのに、国交省天下りの今の田村NAA社長は、これらの約束を全く無視し、今回の強制収用に踏み切った

1989年11月30日、江藤は、運輸大臣(今の国土交通大臣)として成田空港問題について「地元への不十分な説明が問題の長期化が原因」と答えて遺憾の意を表明する文書を郵送し、その旨を12月4日に会見で発表した。運輸大臣が公に成田空港問題について過去の誤りを認めたのはこれが初めてである。 江藤は1990年1月30日に現地を訪問している。江藤の来訪に気づいた老人が手筈通り道路に飛び出して土下座し「これ以上農民を苦しめないでくれ」と訴えると、江藤は自らも膝を地面につき、老人の手を取りながら話し掛けた。1時間半ほどの会談の中で江藤は「強制収用は念頭に置かず、誠心誠意やっていく」と話した。

2005年にはNAA社長黒野氏が「皆様の生活環境や人間としての尊厳を損なうようなことは二度とやらない」と謝罪しました。だから市東孝雄さんは「安心して農業を続けられる」と、実家に戻り、農家を継いだわけです。結局、NAA社長の謝罪はウソだった。許せない背信行為です。

えっ?50年もたって、また成田空港敷地内農民から土地を力ずくでとりあげる? - 住みたい習志野

「社会新報」に載った「成田農民の土地とり上げ問題」 - 住みたい習志野

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「成田空港を軍事利用」するため、親子三代100年耕した農地を奪い取る岸田政権 - 住みたい習志野

親子三代100年耕した農地なのに、戦争のせいで所有権を認められなかった成田農民の農地、今年中にも50年ぶりの「強制収用」で奪われようとしている - 住みたい習志野

50年前、成田でミャンマー軍部のようなことをやっていた政府。また農地を暴力で取り上げようとしている。 - 住みたい習志野

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ここまでやるか?岸田政権凶暴化。台湾有事=成田空港軍事利用のため、100年耕した農民の土地を暴力的に取り上げ - 住みたい習志野

「100年耕した農地を強制収用するな」と、成田農民がNAA(成田空港会社)に申し入れ - 住みたい習志野

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ジュネーブの国連会議で、成田農民の「100年耕した農地を強制収用しないよう勧告を!」の訴えが配布されました

 

 

 

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ジュネーブの国連会議で、成田農民の「100年耕した農地を強制収用しないよう勧告を!」の訴えが配布されました

2023-02-03 03:01:01 | 成田闘争

国連(欧州本部)人権理事会1月31日ジュネーブの会議で、世界中から参加した国・地域の代表と海外メディアに「100年耕した農地の強制収用をしないよう勧告を!」という成田農民の訴えが配布され、注目を集める

(国連人権理事会を報じたYahoo!ニュースより)

韓国「慰安婦問題での緊密な協力を期待」 国連での日本の人権審査で(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース

 国連人権理事会は1月31日、ジュネーブで日本の人権状況についての定期審査の会合を開いた。参加国からは死刑制度や技能実習制度、難民や移民の処遇などについて改善を求める意見が出たほか、韓国は慰安婦問題での両国の緊密な協力に期待を表明した。

(日本経済新聞の記事)

日本に人権機関設置を勧告 死刑廃止も、国連作業部会(写真=AP)

日本に人権機関設置を勧告 死刑廃止も、国連作業部会

国連人権理事会の作業部会は2日、国連全加盟国を対象に人権状況を定期的に検証する「普遍的審査」制度に基づく日本の報告書を公表した。国内人権救済機関の設置や死刑制度の廃止など300項目の勧告が盛り込まれた。日本は6月から始まる人権理の通常会期までに各勧告の受け入れや拒否を回答し、人権理で成果文書として採択される。日本に対する審査は2008年、12年、17年に続き4回目。

1月31日に開かれた審査会合では110カ国超が発言した。

東京電力福島第1原発事故の避難者を「国内避難民」と認定し、住居や健康、生活や教育といった権利が守られるよう求めたオーストリアの勧告も盛り込まれた。

31日の審査会合終了後、日本政府代表を務めた外務省の今福孝男総合外交政策局参事官は「厳しい意見もあったが、出た勧告を見て(受け入れの是非を)考えていく」と述べた。

国連で世界中の代表と海外メディアに配布された、成田空港反対同盟の訴え

この日、世界中から集まった各国・地域の代表と海外メディアに成田空港反対同盟の訴えが配布されました。

「日本の人権状況」を審査する1月31日の会議で配布された成田空港反対同盟の訴え(英文)

(その和訳)

「聞く耳持たない」岸田政権とNAA、農地取り上げのための機動隊プレハブを建設し、50年ぶりの「暴力的土地取り上げ」に突き進んでいる

人権を守らない日本政府に対し、国連が「人権機関の設置」を勧告することになったようですが、いの一番に「100年耕した農地を強奪」という「人権侵害」を止めるべきですね。

機動隊のプレハブ

画面左に見えるコンテナハウスが「強制収用」のために新たに設置されたもの

機動隊の暴力で力ずくで取り上げても、まったく使い道のない土地。それなのに、国交省官僚から天下りしたNAA(成田空港会社)社長田村氏が「100年耕した畑だろうが関係ない。とにかく市東が目ざわりだから追い出せ」と、強制収用する理不尽

この地図をご覧ください。市東さん宅をグルっと囲み、市東さんの日常生活を監視するのに使うだけの「要らない道路」が作られています。人権侵害だし、税金のムダづかいもいいところです。

その上、市東さんの農地を取り上げても、南側には反対同盟農民萩原さんの畑があり、その南には部落の開拓道路があり、手をつけられない。
だから市東さんの農地を取り上げても、結局ほったらかしの「空き地」になるだけ。空港の用途には全く使えません。

こんな「税金のムダ使い」のために親子三代100年間耕してきた農地を奪い取る。無農薬野菜を作っている畑をつぶし、「とりあえず取り上げ」空き地にしておく、というのですから、これほどヒドい話はありません。

「報道の自由度」が低い日本でもようやく報道されるようになったが、市東さんや成田農民の闘いは、世界中からずっと注目されつづけている

(昨年12月24日東京新聞の記事)

海外での報道

イギリスBBC、フランスAFP、独立系メディアやインドの報道

イタリアRepubblica

アラブニュース

Landowner continues struggle against expansion of Narita Airport

Landowner continues struggle against expansion of Narita Airport

Arab News JapanTOKYO: SHITO Takao, one of the last land・・・

Arab News Japan

 

こちらは、その日本語版です。

地主が成田空港拡張反対闘争を継続

昨年12月ドイツでの報道

三里塚:50年以上成田空港と闘ってきた労働者と農民。そして今も

Sanrizuka: Über 50 Jahre bekämpfen Arbeiter:innen und Bauern den Flughafen Narita – auch aktuell » LabourNet Germany

Sanrizuka: Über 50 Jahre bekämpfen Arbeiter:innen und Bauern den Flughafen Narita – auch aktuell » LabourNet Germany

Kämpfe gegen Flughäfen und deren Erweiterungen gibt es nicht erst seitdem sich Aktivist:innen der letzten Generation auf die Startbahn des BER geklebt haben. In ...

 

「三里塚 もう一つの日本」(AGAINST the STATE)という本

えっ?50年もたって、また成田空港敷地内農民から土地を力ずくでとりあげる? - 住みたい習志野

「社会新報」に載った「成田農民の土地とり上げ問題」 - 住みたい習志野

親子三代100年耕してきた農地を暴力で奪い取る岸田政権と闘う農民・市東孝雄さん - 住みたい習志野

50年前の「国家暴力による農地強奪」を再度強行する岸田政権。緊迫する成田。 - 住みたい習志野

「成田空港を軍事利用」するため、親子三代100年耕した農地を奪い取る岸田政権 - 住みたい習志野

親子三代100年耕した農地なのに、戦争のせいで所有権を認められなかった成田農民の農地、今年中にも50年ぶりの「強制収用」で奪われようとしている - 住みたい習志野

50年前、成田でミャンマー軍部のようなことをやっていた政府。また農地を暴力で取り上げようとしている。 - 住みたい習志野

アラブ世界も注目。今年の「ニュースの顔」、農地とり上げと闘う成田農民、市東孝雄さん - 住みたい習志野

ここまでやるか?岸田政権凶暴化。台湾有事=成田空港軍事利用のため、100年耕した農民の土地を暴力的に取り上げ - 住みたい習志野

「100年耕した農地を強制収用するな」と、成田農民がNAA(成田空港会社)に申し入れ - 住みたい習志野

みんなが市東孝雄になる。 非暴力でいこう。(市民の投稿) - 住みたい習志野

全国から寄せられた「檄布」で埋め尽くされた、空港反対同盟のテント

 

 

 

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「100年耕した農地を強制収用するな」と、成田農民がNAA(成田空港会社)に申し入れ

2023-01-26 21:49:31 | 成田闘争

「100年耕した農地を強制収用」で緊迫する成田

25日に「農地奪うな」とNAA(成田空港会社)に申し入れ

(東京新聞の記事)

うその主張、文書偽造、証拠隠しで「農地取り上げ」
モリカケ問題のルーツは成田空港問題にあった

モリカケ、桜を見る会で、悪事がバレるたびに政府は文書偽造、証拠隠しを繰り返してきましたが、そのルーツは「成田農民からの無法な土地取り上げ」にあった、と言えます。

NAA(成田空港会社)の「とんでもない勘違いで始められた」農地とり上げ裁判

NAA(成田空港会社)は「不法耕作者だから出ていけ」と言って成田農民の市東孝雄(しとうたかお)さんに裁判をしかけてきました。しかし、その土地は市東さんが一度も耕したことがない空き地。つまりNAAのとんでもない勘違いで始まってしまった裁判だったのです。だからNAAが「とんでもない間違いをしてしまいました。お詫びして裁判を取り下げます」と言えば済んだ話。しかしNAAは何だかんだ言い逃れをして裁判を取り下げなかった。裁判官も政府とNAAに「忖度」してそれを認めてしまった。まさに「権力犯罪」「国策裁判」が、この「農地取り上げ裁判」です。

NAAが「市東さんが不当耕作をしている」と言いがかりをつけてきた土地、関係土地図のE1(南台41―9)はもともと別の人間の賃借地であり、市東家は一度も耕したことはないのです。こんなデタラメな裁判、見たことも聞いたこともありません。

国家犯罪の極めつけ、文書偽造やりたい放題

 文書偽造問題とは、問題になっている天神峰南台(てんじんみねみなみだい)の市東家の畑の底地について、旧地主であった藤﨑政吉氏から当時の空港公団(現NAA)が1988年4月に買収する時に、市東さんの畑について、境界を確認し、面積を確定するための「境界確認書」「地積測量図」「同意書」を空港公団(現NAA)が、署名と印鑑を偽造して違法に作成した事件を言います。

 NAAが証拠として提出したのは、1988年に旧地主藤﨑と東市さんとの間に交わされたとする「同意書」「境界確認書」と添付された図面、しかしこれらはすべて偽造文書。

「境界確認書」⇒あわてて偽造したので、「藤﨑」の署名が「藤崎」になってしまっている。市東さんの割り印も偽造

「同意書」⇒東市(とういち)さんは85年に脳梗塞を患っており、筆勢が強い署名は本人のものではない。
 87年に東市さん(孝雄さんの父親)は2期工事差し止めをめぐる裁判での証言に立つんですが、宣誓の際の署名は脳梗塞の影響で明らかにギクシャクとした文字になっています。だけど、翌年の88年に書いたとされる「同意書(偽造)」文字は滑らかで力強く書かれています。明らかに別人が書いたものです。

親子三代100年耕した土地は市東家のもの。「名目上の地主」藤﨑氏から「不在地主」のNAAが「市東さんの同意を得ず」買収することなど、法律上100パーセントあり得ないはずなのに…

親子三代100年耕して来た農地、戦後の「農地解放」で市東家の土地になるはずだったが、兵隊に取られ、復員が遅れたために「小作人」のままになってしまっただけ。「地主」の藤﨑氏は「名目上の地主」に過ぎず、そもそも「農業」をやるはずもないNAAが「名目上の地主」の藤﨑氏から土地を買収して「不在地主」になることは農地法で禁じられていた。更に耕作者の市東さんの承諾を得ずに買収することはできない。
そこで「境界確認書」や「同意書」を偽造し、しかもNAAは藤﨑氏から市東さんが耕作している農地を買収したことを、15年間も市東さんに隠していた。
まさに二重三重の犯罪行為を行ったわけです。

2005年にNAA社長が謝罪し、「二度とやらない」と約束したが、すべてウソだった

2005年にはNAA社長黒野氏が「皆様の生活環境や人間としての尊厳を損なうようなことは二度とやらない」と謝罪しました。だから市東孝雄さんは「安心して農業を続けられる」と、実家に戻り、農家を継いだわけです。結局、NAA社長の謝罪はウソだった。許せない背信行為です。

理不尽な農地とり上げと闘う市東さんに海外メディアも熱い視線

これほどの不正義を暴力で押し通そうとする岸田政権とNAA。これと真っ向から闘い抜く市東さんに海外メディアも注目しています。

イギリスBBC

イタリアRepubblica

Bravo Takao(ブラボー、孝雄)なんていうイタリアからのコメントも寄せられています(^^)

えっ?50年もたって、また成田空港敷地内農民から土地を力ずくでとりあげる? - 住みたい習志野

「社会新報」に載った「成田農民の土地とり上げ問題」 - 住みたい習志野

親子三代100年耕してきた農地を暴力で奪い取る岸田政権と闘う農民・市東孝雄さん - 住みたい習志野

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親子三代100年耕した農地なのに、戦争のせいで所有権を認められなかった成田農民の農地、今年中にも50年ぶりの「強制収用」で奪われようとしている - 住みたい習志野

50年前、成田でミャンマー軍部のようなことをやっていた政府。また農地を暴力で取り上げようとしている。 - 住みたい習志野

アラブ世界も注目。今年の「ニュースの顔」、農地とり上げと闘う成田農民、市東孝雄さん - 住みたい習志野

ここまでやるか?岸田政権凶暴化。台湾有事=成田空港軍事利用のため、100年耕した農民の土地を暴力的に取り上げ - 住みたい習志野

 

 

 

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「成田空港を軍事利用」するため、親子三代100年耕した農地を奪い取る岸田政権

2022-12-11 23:15:53 | 成田闘争

沖縄の下地島空港や成田空港を軍事利用する、と防衛大臣が重大発言

こんなニュースがネットに出ていました。

(しんぶん赤旗の記事より)

空港・港湾軍事利用で政府/沖縄・下地島、成田に言及/赤嶺議員追及

 政府が「国家安全保障戦略」など安保3文書の改定にあたり、民間空港・港湾の軍事利用の拡大を検討している問題で、浜田靖一防衛相は8日の衆院安全保障委員会で、沖縄県の下地島空港や千葉県の成田空港の軍事利用に向けて、関係自治体の協力を求める考えを示しました。政府が具体的な空港名に言及したのは初めて。

成田空港の軍事利用に向けて、親子三代100年間耕して有機野菜を育てている農地(農民の命!)を奪い取ろうとする岸田政権

 岸田政権は、成田空港の軍事利用に向けて、目ざわりな空港反対派農民の農地を年内にも力ずくで奪おうとしています。50年前に反対派農民「大木よね」さんの農地を奪い、自宅を重機で破壊し、その後「もう力ずくの強制収用は行わない」と明言した運輸大臣(現国土交通大臣)の約束を破り、再び農地を強奪しようとしているのです。しかも、戦争のために!

(you tube「抵抗の大地」より)50年前、政府は農家の女性「大木よね」さんにこんなひどいことをしました

親子三代100年間耕し、有機野菜を育てている農地は「農民の命」
 これが、空港反対派農民市東孝雄さんが親子三代100年間耕してきた農地です。


(現地の様子を取材してきました)

現地では「戦争のための農地強奪」許さない、と座り込み、宿泊場所づくり、団結芋煮会

成田現地では、この「戦争のための農地強奪」を迎え撃ち、阻止するため、沖縄の辺野古のように座り込みを行っています。

座り込む人たちの宿泊場所をつくり、

団結芋煮会を開いたりして、「戦争のための農地取り上げ」を迎え撃ち、阻止する万全の体制をとっています。

団結芋煮会

(芋煮汁で、みんな舌つづみ)

(市東孝雄さんの発言)

(「いなのとひら・のとこば」さんの演奏で大盛り上がり)

市東孝雄さんと、亡き父、市東東市さん
(「大地の乱」より)

明治時代にも政府は同じことをやっていた(田中正造と谷中村事件)

映画「襤褸(らんる)の旗」より

三国連太郎さん、かっこいいですね。なお、この映画には、まだやせていた頃の若き日の西田敏行さん(村の青年)や反対同盟事務局長の故・北原鉱治さん(執行官で「悪役」)が出演しています。さがしてみてください(笑)

反対同盟の歌、聞きほれてしまいます

えっ?50年もたって、また成田空港敷地内農民から土地を力ずくでとりあげる? - 住みたい習志野

「社会新報」に載った「成田農民の土地とり上げ問題」 - 住みたい習志野

親子三代100年耕してきた農地を暴力で奪い取る岸田政権と闘う農民・市東孝雄さん - 住みたい習志野

50年前の「国家暴力による農地強奪」を再度強行する岸田政権。緊迫する成田。 - 住みたい習志野

 

 

 

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50年前の「国家暴力による農地強奪」を再度強行する岸田政権。緊迫する成田。

2022-12-05 23:38:26 | 成田闘争

何で今?支持率ガタ落ちの岸田政権、今度は33年前の「強制収用はもうしない」という約束を破り、「暴力による農地強奪」を強行。緊迫する成田

親子三代100年も耕し続け、多くの家庭に無農薬野菜を届けている成田農民、市東孝雄さんの農地を岸田政権が50年前と同じように機動隊の暴力で奪い取ろうとしている、という、このブログの記事、連日閲覧1位で大きな反響をいただいています。

えっ?50年もたって、また成田空港敷地内農民から土地を力ずくでとりあげる? - 住みたい習志野

「社会新報」に載った「成田農民の土地とり上げ問題」 - 住みたい習志野

親子三代100年耕してきた農地を暴力で奪い取る岸田政権と闘う農民・市東孝雄さん - 住みたい習志野

そして、ついに5日、「力ずくでの農地取り上げ」に動きだした、というニュースがとびこんできました。

20人近くの作業員を動員して市東さん宅向かいの草刈り、伐採作業を開始し、警察も作業の監視に入る異様な雰囲気です。
重機で木を引き倒すなど、かなり大掛かりな作業が行われています。強制執行時に執行官が立つ高台を造るための整備でしょうか?

市東さんの農地をほとんど奪い取り、有機農業をできなくするようにする、あまりにひどい岸田政権の仕打ち

市東さんの農地A(南台の畑)と農地B(市東さんの自宅周辺の天神峰の畑)が50年前の大木よねさんへの強制収容と同じ、機動隊の暴力で奪われようとしている。本当に許せません。

南台の畑(赤い部分を奪い取ろうとしています)

天神峰の畑(赤い部分、すなわちほとんど全部を奪い取ろうとしています)

50年前大木よねさんは、こうして暴力的に家も土地も取り上げられ、農家の青年は自殺に追い込まれた

33年前の江藤運輸大臣の「(暴力的農地取り上げを)謝罪し、強制収用はもうしない」という約束をふみにじっている岸田政権

33年前江藤運輸大臣は、農民に謝罪し、二度と強制収用をやらない、と約束した。それを岸田政権は平気でふみにじり、また「暴力的土地取り上げ」を開始しました。ハレンチきわまります。

成田空港問題との関わりとは何? わかりやすく解説 Weblio辞書

1989年11月30日、江藤は、運輸大臣(今の国土交通大臣)として成田空港問題について「地元への不十分な説明が問題の長期化が原因」と答えて遺憾の意を表明する文書を郵送し、その旨を12月4日に会見で発表した。運輸大臣が公に成田空港問題について過去の誤りを認めたのはこれが初めてである。 江藤は1990年1月30日に現地を訪問している。江藤の来訪に気づいた老人が手筈通り道路に飛び出して土下座し「これ以上農民を苦しめないでくれ」と訴えると、江藤は自らも膝を地面につき、老人の手を取りながら話し掛けた。1時間半ほどの会談の中で江藤は「強制収用は念頭に置かず、誠心誠意やっていく」と話した。

習志野市から移設された「東峰神社」

市東さんの家の近くにある「東峰神社」は、反対同盟農民萩原富夫さんの住む東峰部落の神社です。

東峰神社

(神社⛩のマークがある所が東峰神社)

この東峰神社は、もともと習志野市にあった「航空神社」が移設されたもので、今は空港反対闘争のシンボルになっています。以前このブログに載った記事にそのことが書いてあります。

鷺沼海岸に飛行場があった!日本民間航空の開拓者「伊藤音次郎」(投稿) - 住みたい習志野

 伊藤音次郎は、戦後GHQの航空禁止令を受けて航空界から引退し、農業に転身、成田市東峰に入植し、昭和28年(1953)航空神社は鷺沼から東峰の地へ移されました。その際神奈川県二宮神社から勤労の神とされる二宮尊徳を授かり、この神社の祭神としました。
「航空神社」から東峰集落の産土神社(うぶすなじんじゃ:土地を守る神社)に変わったんですね。

市東さんの農地を守るため、多くの皆さんが現地にかけつけてくれるよう、市東さんはじめ反対同盟の皆さんが呼びかけています。

 

 

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