【 きのう1月21日付の続きです。
写真は、本文と関係ありません 】
ついつい最近まで、新聞は鉛活字・活版で組んでいたのだよ────後世に書き遺しておこうかな、の第65回。
番外編「CTS始動・前夜編」として
「1990年代初頭、とある新聞社の製作局はこうして活版時代の幕を閉じた」
について、僕自身が忘れないうちに書いておきます、の Part 35。
【 CTS=Computerized Type-setting System( 新聞コンピューター組み版・編集 )。
1960~80年代、朝日新聞社、日本経済新聞社、日本IBMが主導・開発した。
日経東京本社は1978年にアネックスシステムを、朝日東京本社は1980年にネルソンシステムをそれぞれ全面稼動した。
その時つくられたソフトの一部は、パソコンの文字訂正などに転用されている 】
▼ 出稿部と整理部には深くて暗い河がある(かもね)────
1990年代初頭、とある夜21:50過ぎ( →21時は夜だろっと突っ込まれましたが、分かりやすく、ということで)。
途中まで組んでいた地方版の一部が、試運転中CTSのシステムダウンで出力不能になり、
慌てた僕たち整理部&製作局は非常事態宣言。
急きょ、印画紙出力→見出しなど手貼り→スキャナー送信に切り替えて降版することになり、CTS開発室、製作局、整理部は
「どーすんだどーすんだどーすんだ」
と大騒ぎだったが………。
(以上が、前号までのあらすじ)
同夜21:10【 出稿部 】
静か。
カタカタカタカタカタカタとワープロを叩く音、パサパサとモニターをめくる音がしっかり聞こえ、共同通信ピーポもいつもどおり鳴り響いていた。
編集局長は、いつものように都内版の頃でないと戻ってこない【注・下段】。
今は、T局次長がいるだけ。
数分前に、CTS開発室から
「CTSシステムダウン! 最悪、地方版白紙!」
という緊急連絡は各部局はもちろん、当然出稿部にも入っているはずだが、
製作局と怒声飛び交う僕たち整理部の騒然ぶりと比べ………温度が低そう。
同じ編集か(笑)。
今後の対応を考えるため、我らが整理部長が局次長にあたふた向かって言った。
「Tさーん、どうしますか? 復旧のメドが立たないよーなんで、出稿早められそーですか?」
ん?とした顔をあげ、老眼鏡を取りながらT局次長は言った。
「んー、何か騒がしいが、何かあったのかね」
────何かあったのかね? だ・と?
何かあったのかね? だ・と?
(続く)
【局長は戻ってこない=きょくちょうはもどってこない】
僕のボス(編集局長)に聞いたことがある。
僕「局長、よく早版の頃は外出されていましたよね。アレは………」
ボス「わはははは。よく見てるな。私も若い頃そうだったが、うるさそーなのが局内にいると、君たちもやりにくいだろう、仕事が。だから、最終版の頃に上がるようにしていたのだ。わはははは」
いい上司を持った、と思った。
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