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絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

小さな親切

2009-10-27 | 新ピカソ
或る時、美術の先生の集まりで、ある女子高校へ行きました。
毎年、美術の先生だけの集まりが二回開かれますが、そのときに、研究授業が行なわれるので、他の美術の先生がどのような授業をしているのかを、見ることができる貴重な集まりです。

また、いろいろな学校で開かれるので、学校を見る機会でもあります。

大抵は、視聴覚室のような広い部屋に集まって、授業は美術室まで行き、また視聴覚室に戻って、反省や質問、意見交換などが行なわれます。

その合間に、休憩があったり、お昼ご飯を食べたりという時間がありますが、私はのどが渇いたので、ジュースを買いたくて、階段を降りて行きました。
その視聴覚室は4階でした。

階段を降りて行くと、階段を上って来る一人の生徒さんに出会いました。それで、私は「ジュースの自動販売機はどこにありますか?」と尋ねました。
その生徒は、一階の向かいの校舎に行く渡り廊下のところにありますと教えてくれました。
そして、階段を上って行きました。

私は、教えられた通りに、一階に向かって歩き出しましたが、何秒かして、後ろから声をかけられました。「あのー、よろしかったら、買ってきましょうか?」と言うのです。
振り向くと、いま教えてくれた生徒さんでした。

私は、「いやー、大丈夫ですよ」と答えましたが、心の中で、へええ、たいしたものだなと思いました。その気遣いというか、親切というか、とてもうれしく思いました。
それで「でも、有難う」と、言ってくれたことにお礼を言いました。

ーーーー
これだけで、とてもいい気分になり、この学校はいい学校だなと思いました。
県内でも有名な進学校です。頭がいいだけでなく、そういう気遣いもできる生徒の集まりなんだなと勝手に評価しました。

ーーーーー
たった一言で、とても気持ちがいい思いがする。気遣いのすばらしさです。
果たして、私の美術部の部員たちには、このようなことができるだろうかと思いました。
そして、そういうことができる部員に育てたいなあと思いました。

帰って、この話をしたことは、記憶に残っています。

ーーーーー
この生徒のこの気遣いは、この場面だから成り立つことです。どこでもということではありません。どこでもやっていたら、キリがないのと、やたらの場面ですると、危険なこともあるかもしれません。

学校にいらしたお客様であること、外部の人だから学校の中がよくわからないだろうということ、自分の教えた教え方が、分かりやすかったかどうか、いろいろ考えたら、お手伝いをする方が、間違いないかな?とその数秒の中で、判断したのでしょう。
そして、そう思っても、わざわざ戻って、買ってきましょうかという言葉を口にするには、ちょっとした勇気がいります。さしでがましいと思われないか?必要以上の親切ではないか?

考えたら、いろいろあるかもしれません。そういうことをほんの短い時間で考えて、判断して、声をかけてくれたのです。

小さな親切という言葉がありますが、みんなが少しづつ、そのような気持ちを持てたら、世の中はとてもいい気持ちで暮らせるだろうと思います。


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Hさんの絵

2009-10-26 | 絵画指導
Hさんが、蔦を描いて持ってきました。

すこし、描きすぎて黒くなった気がします。今は、窓の枠の部分に見えるけばけばがうるさい感じがします。枯れた蔦は細い線で描かないとみっともない感じがします。窓の陰影から考えると、結構強い光が当たっているように感じるので、蔦もそれぞれが壁に影を落とすと思います。それが、統一されてないようです。

ただし、全部が強くなると、きつく感じるので、柔らかいハーフトーンを組み合わせて、描いて行くと良いと話しました。

前回の左上の丸い部分の表現がよくなりました。
蝶つがいの部分がまだ間違っています。今日再び、指摘しました。

全体的には、成功していますので、このまま、もう少し蔦を増やして完成させてくださいと話しました。
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Sさんの絵

2009-10-26 | 絵画指導
Sさんの制作です。

県展出品で、落選してしまいましたが、とても良い絵なので、もう少し描きこんで、麓原展に出してみましょうという流れで、指導しています。

県展の時に、明暗の対比が強すぎると審査員からアドバイスをされたということで、暗く潰したようになっているところを描いてみましたが、今度は明るくしすぎて、明暗の対比が弱く、ぬるま湯のような状態になってしまいました。

この絵は、明暗の対比が強いからいい感じなので、それが無くなったら弱い絵になってしまいますよと話して、もう一度明暗の対比を元に戻してくださいと話して、この段階に入ってきました。

直しながら、前回紹介したように、左上の布の表現がとてもリアルに描けてきたので、それがいいから、他の部分もそれと同じようにリアルに描いてみてくださいと話しましたが、なかなかそのように描けなくて苦労しています。

ーーーーーーー
実は、石膏デッサンをしていても、同じ問題があります。
全体を明暗で大きく分けて、捕らえます。その後に、明るい部分の微妙な変化を描きます。そして、暗い部分の明るい部分を描きます。そうすると、初めの大きな明暗の組み立てが無くなってしまうことがあります。
これは、明るい中の暗いところを暗くしすぎて、暗い中の微妙に明るいところを明るくし過ぎるからなのです。これと同じことを今回のSさんはしてしまったのです。これは、良くあることです。

先生がもう少し明るくと言った時に、どのくらい明るくなのかが分からないと、明るくし過ぎてしまうのです。

ーーーーーー
今の状態は、最初のインパクトの強い状態までは、戻りませんが、また別の良さも出て来たので、このまま完成に向かってほしいと思います。

いまは、右の箒の部分がお化け状態です。これをしっかりさせないと、左上の布の表現と合いません。バランスの問題でも、これを描きこむ必要があるでしょう。
右奥の暗さはなかなか良いと思います。柵のようなものを作りましたが、その中に更に暗い部分を描きこめば、もっと奥行きを感じて、重さも増すでしょう。
地面に葉を描きこみましたが、大きさを考えないと、役者が増えすぎてうるさくなるでしょう。もう少し小さい葉なら邪魔にはなりませんが。
今は、右の地面が水のように見えるので、それをしっかり陽が当たる部分を作って、地面の質感を求めてほしいと思います。


完成させて、額に入れて持ってきました。アドバイスをしたところは、かなり頑張って直してくれました。特に、右側の部分の表現を頑張りました。もう少し、箒が強くなっても良いのですが、まあ、表現がプロっぽくなったので、いいかなと思います。




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小公女セイラ

2009-10-25 | 新ピカソ
昨日、小公女セイラを見ていたら、最後の場面でこのようなことがありました。

「校長先生は、私が嫌いですか?」とセイラが尋ねました。
すると、校長は、「嫌いよ、大嫌いよ」と答えました。

そして、その後、セイラは、「私は、校長先生も、この学校も大好きです」と言いました。とても自信を持って、明るく輝いた表情で、得意そうに言ったのです。
笑っているようにも見えました。
校長先生は、意外なことを言われて、戸惑っているような感じでした。

校長から嫌いだと言われて、泣いたり、がっかりしたりするのではなく、校長先生が私を嫌いでも構いません。私は、校長先生が好きなのです。と。

これが、何を意味するのか、その後の展開がどうなるのか、私にはわかりません。

しかし、私も校長先生が大嫌いです。と答えた場合と、好きですと答えた今回の場合とでは、展開が違ってくるだろうなあと思いました。少なくとも嫌いと言われるより、好きだと言われる方がいいだろうと。

ーーーー

実は、私が生徒を叱るときによく使った手です。手と言っても、決して嘘ではありませんが。

それは、生徒を叱るとき、そんなことをしてはいけないという意味で注意をします。そのときに、そんなことをするなんて、お前なんか大嫌いだと思うときがあります。そんなときに、使いました。
かなり、激しく怒った後で、きっと私が嫌だろうなあと思う時があるのです。
先生なんか大嫌いだと思われてもしかたがないような怒り方をした後です。

お前が、私をどう思っているか知らないけど、俺はお前が大好きだよと言いました。
好きだから、放っておけないんだと。そんな奴だと思いたくないから叱るんだと。

これは、お前なんか大嫌いだというより、ずっと効果があることがあります。
嫌いだと言えば、「嫌いで結構です。先生に好かれたくなんかありません」と開き直られることもあると思います。「どうせ私は先生から嫌われていますから」とひねくれられることもあります。

だから、好きだというんです。

だって、本音なんですよ。好きだから注意するんですから。どうでもいいなら叱りません。

俺は、お前のいいところをたくさん知っている。だから、そんないい人がこんなことをするとは思いたくない。とか。見かけで間違って見られたくないとか言いました。
服装、髪形などを直させる時は、特にそう言いました。俺はお前のいいところをたくさん知っているけれど、それは付き合って分かることで、ただ、見ただけでは分からない。そんないいやつが、見かけで悪く評価されるのは悔しいと。

世間の人には、見かけしか見えない。そして、見かけで判断される。見かけは第一印象だからとても大事だ。それが分からなければならない。と。

そんなことが、懐かしく思い出されました。
ーーーーーーーーー
もっといいのは、

大嫌いだと言葉では言うけれど、その意味は大好きだという意味だと分かれば、尚いいのでしょうね。目に涙をためて、大嫌いだと言う方が、効果的かな?
本気なら、そうなるかな。

ーーーーー
よくよく考えてみたら、初めは、

「先生なんか、大嫌い!」と言われた場面で、使ったように思います。
俺だって、お前なんか嫌いだというところを、「お前が俺を嫌いなのはわかった、でもな、俺はお前が好きだ」と言いました。
言った後、意外だったのは、反発していたのに、変化が生じたことでした。
泣き出したのか、意外な顔をしたのか、色々ありすぎて忘れましたが、とにかく、言っている私は気持ちが良かったし、生徒にも効果があると思いました。

だから、セイラの場面で思い出しました。そういえば、俺もこういう場面があったなと。セイラの場合と先生と生徒が逆ですが。

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美術部での教育

2009-10-25 | 新ピカソ
作品コンクールの文章の最後のところで、書いたことから、少し書いてみようと思うことが出て来ました。

これは、保護者会でもお話しましたが、物事は考え方次第で、180度違うということです。

いろいろな体験をさせていただいて有難いと思うか、こんなことまでさせやがってと思うかで、180度違うという話です。

そう考えると、美術部での取り組みが全く違ってきます。

ーーーーーーー
私は、以前テレビを見ていたら、とてもきれいな品のいい女性が着物姿で出ていて、ある先生に美術館に連れて行って頂いたことがあると話されていました。そして、そういう経験がなかったので、とても有難く、感謝していると言っていました。
私は、品の良い人は違うなあと思いながら、しかし、その程度のことでそんなに感謝するのかなあと思いました。あまりに美しい人だったので、こんな女性から感謝されたらうれしいだろうなあなどと、不謹慎な考え方をして見ていましたが、それにしても、たかが展覧会に連れていくというそれだけのことです。
そんなら、私なんか何人の生徒を展覧会に連れて行ったかしれません。

と、考えている内に、そうか、物事は受け取り方次第なんだなと思いました。

ーーーーーーー

同じことをしていても、不満に思う人もいる。展覧会に行きたくなくても連れて行かれる。行かなきゃいけないの?なんて思う人もいる。しかし、そうしたことに感謝する人もいる。たかが展覧会に連れて行っただけで、感謝の気持ちになる。この違いはなんだろうと。

それは、考え方次第なのだと。その代わり、大人ならそれが分かっても子供では教えないと分からないかもしれないと思い、これは教えてやろうと思ったのです。

ーーーーーー
それで、このテレビで見た話を生徒にしました。

ついでに、私の気持ちも話しました。

私は、いろいろなことを生徒にさせるけれど、それは、いずれは生徒のためになると思ってやっていることなのだと。それをさせやがって気に入らねえなのか、それともこんな体験をさせていただいて有難うなのか、それによって全く違ったものになるんだと。

どうせやるなら、やって良かったと思ってほしい。それには、信じてついて行くという気持ちを持ってほしいと。


まあ、後悔させないから、信じてついてこないかという投げかけでした。
もっと、激しいかな?黙って俺についてこい!だったかもしれない。

大松監督みたいですね。(東京オリンピックの女子バレーの監督です)

ーーーーーーー

それで、自分の考え方次第で180度変わるなら、どうせなら不満の塊よりも、感謝にした方がいいだろうと思ったのです。

だから、具体的には、信じてついて行ったら、高校生にはとても無理な県展に入選しちゃったよとなればいいなあと思いました。

信じてついて行ったら、ヨーロッパにも行くことができたよ。
埼玉県の代表になって、全国大会にも行けたよ。
コンクールで、全国一位になっちゃったよ。
新聞やテレビにも出ちゃったよ。
と、高校生ではなかなか経験できない体験をたくさんさせることができたと思います。

実現するまでは、本当にただの夢だったのです。そうなればいいなあと思うことが、いつの間にか実現しました。

後から、入ってきた部員は、それらのことを先輩たちが平然としているので、それが当たり前のようになって、本当になかなか体験できないことができたと思います。
要するに、信じてついて来て良かったと生徒に思わせたかったのです。

ーーーーーー

作品コンクールについては、展覧会を企画する側の大変さを知ることができました。このノウハウを学ぶと、いろいろな企画をする能力が身に付きます。人を動かすという能力もつきます。どんなことに配慮する必要があるのか、気配りや目配りが学べます。事前準備から、展覧会の運営、表彰式の展開、最後の搬出まで、本当に様々のことで、いろいろな人の手が入ることがわかります。

この勉強は、美術部にとっては、一年間のたった一つの行事です。

このような勉強は、さわらび展でも、文化祭でも、各展覧会の搬入搬出でも、中学生の体験入学や技術講習会でも学べます。美術部の活動は、そういう意味では、かなり沢山の勉強ができるのです。だから、全部をこなしていると、いろいろな意味の専門的知識が学べます。これらは、机に向かって9教科を学んでいても身に付きません。

だから、私は部活動がとても意味があると思うのです。
同級生だけではなく、上下関係も学べますし、その集団の中での自分の位置や役割を学ぶことにもつながります。

それらのことの、一つ一つを良い経験をさせていただいて、と感謝できるようになるといいと思いました。



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