絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

美学 2

2013-01-21 | 美術
リアルさは、一つの美しさだと言ってみた。

今では、上手さは軽く見られがちである。しかし、もう一度このリアルさの価値を再認識してもいいのではないか。
絵を描き始めた時、何を思うか?私はやはり「上手に描きたい」だった。見える通りに描けたらいいなと思った。
だから、上手になればなるほど満足だったし、上手に描けるようになると得意になった。


似顔絵を描いてやると言うとみんな興味を持って、私が描くのを見ている。
そして、似て来ると、とても感動してくれる。
「まるで神業だね」などと思う人もいる。

真っ白な画用紙に現れるその人の姿。描けない人にとっては新鮮な感動なのである。

似るということは、リアルさである。そこには感動が伴う。
線が生み出す感動、それは美しさではないのか?
他の線では許されない厳しい選択、そんな線を見つけ出すこと。
それは美しさの追究ではないだろうか。

人間を描いていると、それが例え、しわの多いお年寄りであっても、リアルに描けて来ると
美しいと感じる。その美しさは、美人コンテストの美しさではない。リアルさからくる美しさである。

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ここで言いながら、頭をかすめたのは、漫画的な似顔絵である。
あれは、ここで言うリアルとは区別したい。
漫画の場合は、他の人にないその人の特徴を誇張して取りだしたのであって、
私が今述べたリアルとは違う。

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私がここで言っているリアルさとは、いわゆる美大受験生が石膏デッサンをするような空間把握の美しさである。
形が正確で、明暗が整っていて、質感が伴うようなリアルさである。
全てが同じ空間の中に存在する調和のとれた美しさである。

「リアルさは一つの美しさだ」というのは、調和が取れていて、自然な統一された空間が出ている状態を指している。
造形要素で考えるならば、ハーモニーの美しさだろうか。万物は神が作ったというセオリーに従えば、真実に迫り、本物に迫ることも美の追究だと言えなくもない。


つづく










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