絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

最後の晩餐

2009-08-21 | 美術
レオナルド・ダ・ビンチが描いた最後の晩餐です。
(大きさは、横幅が約9メートル、縦が約4メートルです。)

ミケランジェロが描いたのは、最後の審判ですから、題名が似ているので間違わないようにしましょう。

これは、ミラノのサンタマリア・デレ・グラッツェ教会の食堂に描かれています。

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テンペラ画です。
テンペラとは、顔料を卵で溶いて描く技法で、正式なフレスコ画とはことなります。
正式なフレスコ画は、漆喰の壁を塗り、その壁が乾かない内に顔料を水で溶いて描く技法で、塗れている壁に絵具を染み込ませて描く技法ですが、このテンペラ画は乾いた壁の上に、描くことができます。
フレスコ画は、壁が乾いてしまうとそれ以上描けないので、素早く描かないといけないのですが、テンペラは、じっくりと時間をかけて描くことができるのです。

レオナルドは、完璧主義者なので、筆が遅く、納得するまで描きたいというタイプだから、このテンペラの方が向いていたのです。

しかし、一部油を混ぜたり、いろいろ実験的なことをしてしまったため、レオナルドが描いてすぐに、絵が痛み始め、現在ではかなり表面の絵具が剥がれたりしています。

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この絵は、完成までに、二年かかったそうですが、レオナルドにしては、超ハイスピードで描いたものです。これだけ大きな画面を二年ですから、異例の速さです。

それは、母親の死が関係しているようです。母への思いがつまっているのかもしれません。

実は、レオナルドの母は、カテリーナという人ですが、父親とは結婚できませんでした。身分の違いで結婚できなかったのです。

しかし、最後はレオナルドが面倒を見たようです。母親がミラノにきて、一緒に住んで、そこで亡くなったのです。

その後すぐに描いたのが、この最後の晩餐でした。

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最後の晩餐は、いろいろな画家が描いていますが、このレオナルドの描いたものが一番有名です。

本来は、ユダだけをテーブルの手前に描いて、その人がユダだとわかるようにするのが、普通ですが、レオナルドはユダもテーブルの向こう側に描きました。これは、当時のルール違反です。そのかわり、他の人たちとは、変化をつけました。
なにが、違うかわかりますか。

まず、ユダは、どこにいるかわかりますか。

正解は、中央のキリストから左に三人目です。
ユダだけ、顔に光が当たっていません。それで、ユダだとわかるようにしたようです。また、ユダの手は、お金の入った袋を持たせています。これは、キリストを裏切ってもらったお金です。
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この最後の晩餐は、「あなた方の中で、私を裏切ろうとしている人がいる」と言った瞬間を描いたものだと言われています。だから、キリストの口は空いています。そして、弟子たちは、驚いているところです。

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この絵の中に、聖杯が描かれていません。それが、ダビンチコードで問題になりました。それは、聖杯とは、マグダラのマリアのお腹を意味していると言い、キリストの左隣にいる本来はヨハネだと思われている人が、実はマグダラのマリアだと解釈されているのです。そういえば、女性に見えなくもないですね。

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キリストは、この最後の晩餐の次の日に、捕まって磔にされてしまいます。
ユダがキリストにキスをすることで、ローマの兵隊にこの人がキリストであると、教えてしまうのです。
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磔にしたのは、ローマの総督ピラトであると、言われています。美大受験生は知っておくとよいでしょう。
しかし、ピラトはキリストを磔にしたくはなかったようです。なんとか、逃がそうと思いましたが、民衆が神を冒涜するものだとキリストの死刑を求めたのです。
もし、キリストを死刑にしなければ、暴動が起きないとも限らない状態でした。しかたなく、磔にしたようです。

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最後の晩餐は、正確な透視図法が使われています。いろいろな水平な平行線が全て、地平線上のある一点に集まるように描かれています。
それは、消失点と言いますが、この絵は、キリストのこめかみに集まっています。
もし、その高さに上がって、その点の正面に立てば、この絵は、建物の壁ごと、本当にずっと奥に続いているように見えると思います。実物の建物の壁と絵の中の壁が続いているように見えるのです。

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この最後の晩餐は、第二次世界大戦のとき、建物が壊れました。屋根が完全に落ちてしまいました。そのため、絵もだめだろうと思われましたが、奇跡的に絵が残りました。だから、今は、建物の壊れた部分を作り直して、絵を見ることができます。裏から、鉄筋で支えも作られています。
最近、絵の修復が行われて、煤で汚れていた部分がきれいになりました。しかし、痛みはひどいものです。

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今は、予約をして行かないと入れません。人数制限もしています。一団体15名まで、時間で区切って入場をさせています。一分でも遅れたら、もう入れません。
私は、芸術コースの生徒を連れて行った時、道が混んで遅れたため、生徒の半分は見られませんでした。次の日になんとかと思いましたが、残念ながらダメでした。

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レオナルドが描いたあと、この部屋は、若い画家たちの勉強の場になって、食堂の役割を果たせなくなったと言われています。本来は教会の食堂なのに、絵を学ぶ場所になってしまったのです。絵の勉強には、模写という勉強があるのです。素晴らしい絵を真似して描いて技法を学ぶという方法です。そのための場所になってしまったのです。
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この絵については、まだまだ、いろいろありますが、頭がパニックになるといけないので、この辺で、一区切りにしておきます。

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