絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

高校時代の思い出 10

2013-04-24 | 思い出
クラスの4人組

私は、美術部でもないのに、休みの日に一人で風景画を描くことがありました。

あるとき、東小平の観音様の下の畑で、絵を描いていたら、I君とN君とO君がバイクでやってきました。
たぶん、私の家に来て、絵を描きに行ったと聞いて探したのだと思います。
この光景は、面白いと思いませんか?
バレー部のI君、バスケット部の宿命のライバルの二人が、高校1年なのでバイクの免許を取って、休みの日にツーリング。
私は、バイクの免許は取らず、自転車で山の方へ、風景画を描きに来ている。そこへ三人が現れる。

その時に描いた絵が、N君の両親に頼まれた水彩画で、その絵は、ずっとN君の家に飾られることなりました。

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また、別の日ですが、三人が私の家に来て、私の部屋でしばらく話していったこともありました。
そのとき、何を話したのか、全く覚えていませんが、ラジオを聴いていて、何度も「花嫁」という歌がかかっていたのを覚えています。
あれは、はしだのりひこだったかな。「はなーよめはーーーーよぎしゃーーにのってーーー」という歌です。
それから、由紀さおりの「手紙」も流行っていました。ルンルルルルーーとかランラララーとかしか歌えないのかと思ったら、急に「死んでもあなたとーー暮らしていたいとーーー」と歌いだしたので、驚きがありました。

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当時は、まだフォークソングが流行る前、グループサウンズが下火になって、フォークに移行する移行期というのかもしれません。
「受験生のブルース」と「帰ってきた酔っ払い」などの時期かな、そのあと辺りです。
私は、スポーツと勉強と絵と将棋とギターといろいろ意欲的で、体は思うように動くので、絶好調でしたね。

母親に、森田健作が風邪ひいたような顔をしていると言われました。
明るく爽やかであったと思います。「友達よなくんじゃない」「さらば涙と言おう」をよく歌いました。
外国の歌では、「悲しき天使」が流行っていたかな?

あるとき、私が、4人でフォーリーブスをやろうかといったことがありました。
本当に、歌をやるとかではありませんが、俺たち4人組みたいになったから、人気者グループを結成しようかといったのです。
しかし、I君に菅野とN君はだめだと言われました。見かけがそこまでのレベルじゃないというのです。確かに。

ただ、I君はハンサムで爽やかですし、O君は後に生徒会長になります。N君は、なんとも魅力のある人間で、女の子にはとてもモテます。
一番該当しないのが、私だと思いますが、私は信じられないことに、全校を対象に人気投票を女子がひそかに行ったとき、1位になったことがあるのです。そう数え上げたら、最高の4人なんですけどね。4人とも運動神経抜群ですし。キャプテン経験者ばかりです。

まあ、高校1年のクラスのムードメーカーにはなっていましたし、とにかく目立つ4人だったことは確かです。

つづく







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