Straight Travel

日々読む本についての感想です。
特に好きな村上春樹さん、柴田元幸さんの著書についてなど。

「たそかれ 不知の物語」朽木祥著(福音館書店)

2009-02-06 | 児童書・ヤングアダルト
「たそかれ 不知(ふち)の物語」朽木祥(くつき しょう)著(福音館書店)を読みました。
前昨「かはたれ」から4年後の物語です。
たそかれは「誰そ彼」、夕暮れ時、薄暮のなかで彼は誰かを見分けがたい時間。
子河童・八寸に与えられた新しい役目。それはまた里に下りていき、学校の古いプールに棲む河童「不知(ふち)」を連れて帰ってくることでした。
六十年、人間の友達・司を待っていた銀色の美しい河童・不知。
再会した八寸と麻(あさ)は不知の記憶をたどる旅をすることになります。

麻は中学校二年生。老犬になったチェスタトンとともに八寸との再会!
前作を読んだ私にもうれしい出来事です。

不知は月読みの一族という能力の高い河童です。
人間の友達・司ができ、彼についてプールで暮らすことになったのでした。
物語は戦前から今まで続く60年の時間と、亡くなった多くの方たちへの哀悼の想いにあふれています。

「死者の数があまりに多かったために、あまりにも突然にこの地上から消えてしまったために、亡くなった人々は生きている人々の暮らしの中に、ごくあたりまえのように紛れ込んでいた。
過去は、過ぎたれど去らぬ日々だったのである。
亡くなった娘のことを、まるで生きている人のことのように話す、聞いている人もあたりまえのように相槌を打つ、そんな、奇妙な感覚が人々の間にあった。
死者たちは慕わしいものであっても、決して厭(いと)わしいものではなかったのである。」

八寸がうっかり姿を見られたことから中学校に起きた河童騒動。
そのことについて校長先生が語った話も胸に迫ります。

河童はもしかして戦争の日に亡くなった子どもの影だったのかもしれない。
もしそうだとしたらそっとしておいて祈ってあげてほしい、半世紀前のあの日にこの学校で犠牲になったのは、君たちと同じ年頃の生徒たちだったのだから・・。

そして、小学校時代いじめられていた河井くんがピアノを再び弾くようになったきっかけの話も印象的でした。

「人の心が悲しみや苦しみでいっぱいになってしまうと、音楽や絵や物語の入り込む余地はなくなってしまう。だけど、心はそのまま凍ってしまうわけではない。人の心の深いところには、不思議な力があるからだ。何かの拍子に、悲しみや苦しみのひとつが席をはずすと、たとえば音楽は、いともたやすくその席にすべりこむ。そっとすべりこんできた感動は、心の中の居場所をひそやかに広げて、まだ居座っている悲しみや苦しみを次第にどこかに収めてしまう」

苦しみや悲しみに心がちぎれそうになっても、心の深いところで何かが生き延びようとしている、その人間の底力には敬意をはらわずにはいられません。

「本当は、悲しみや苦しみをよく知る心こそが、より深く「聞くこと」ができたはずだった。もしも、また心を開くことさえできていたならば。」

待ち続けた不知の心、さまよいつづけていた司の魂に響いたのも音楽の(芸術の)力。

不知を思いやる麻子や河井君、八寸の心、そして司のことを思う不知の心。
みんなが相手を思う気持ちが痛くせつなく伝わってくる物語でした。


「中原の虹 第三巻」浅田次郎著(講談社)

2009-02-06 | 日本の作家
「中原の虹 第三巻」浅田次郎著(講談社)を読みました。
孫文を掲げた相次ぐ革命勢力の蜂起。
皇族たちは、革命勢力を制圧するため軍を動かせるのは彼しかいないと、一度は追放した袁世凱を都に呼び戻します。
ですが俗物、袁世凱には大いなる野望がありました。
一方満洲では革命勢力でも清の軍隊でもない馬賊の頭領・張作霖が、まったく独自の勢力を形成していました。
龍玉を握る張作霖は乱世を突き進みます。

第三巻のキーパーソン袁世凱。(ユアンシイカイ)
野心を抱く俗物、軍隊を動かす男。
思いつきで行動し、そのたびに権力を得てきた実行の男。
でも実は科挙へのプレッシャーに負けかけ、自殺も図ったことを知るのは進士登第同期であり、彼の参謀役でもあった徐世昌(シユシイチャン)のみ。

袁世凱の人となりについての彼の独白。
「慰庭(ウェイテイン)よ。君は弱い人間だ。李公(李鴻章)ほどの人物が、その弱さを見抜けなかったはずはない。むろん西太后陛下もそれは同じだ。
ではなぜ君に国家の行方を托したのか。それは、弱い人間がみずからを律し、みずからを鍛えるその自強の精神に感心したからにちがいない。君のうちに、自強せねば生きてゆけぬ国家の姿を重ね合わせたのだろう。
君は足るを知らぬ。たゆまぬ努力の結果、むりやりに広げた器の大きさが、君にはわからない。だから満足できぬ。」

中正で理の人、徐世昌のこの言葉には重みがあります。

袁世凱は皇帝溥儀に退位を促します。
この場面、物語では西太后の声が皇帝に聞こえ、詔を唱えさせたという場面になっていますが、史実は果たしてどうだったのでしょうか・・・。

一方紫禁城から離れた満州では張作霖のもとに王永江(ワンヨンジャン)が幕下に入り、事実上張作霖による東三省の独立宣言となる布告文を出します。
態度をはっきりさせない村を皆殺しにし、談合する革命派の幹部を殺す張作霖。
恐れられる、と同時に熱狂的に愛されもする張作霖。

「張作霖(チャンヅオリン)は理屈が嫌いなのではなく、いくつもの理屈を考えることが嫌いなのだろうと思った。
理はただひとつ、生まれ育ったこの土地は誰にも渡さない。」

苛烈ではあるけれど、その強力なカリスマ性と実力が、極寒の土地で毎日を生き延びている人々の心を掴むのでしょう。

そして今巻では中原にかかる大きな虹の場面があります。
時代はさかのぼり、李自成(リイヅチヨン)が焼き尽くした都を平定するためにのちの順治帝を掲げた愛親覚羅の一族がやってきた北京。空に架かる暁(あきら)かな虹。

「それはまるで神々の乗り給う小舟が七色の幡(ばん)を曳いて天空を滑り行くかに見えた。」
「おそらくは李自成にとって大凶、愛親覚羅のつわものどもには、大吉兆の虹であろう」

大清国が中華民国となった今。
中原の虹が吉兆をもたらすのは誰の上に?
いよいよ最終巻につづく!